think

感想

自分なりのつまらない感想だが、ポストモダニズムへの批判や非難は倫理的だが、どう申し上げればいいのか、現状に照らしてリアリティを感じない場合もある。そのことについて先程目醒めたときにたまたま考えていたことをメモしておく。20世紀の終わりくら…

感想

僕は勿論高名な批評家 、評論家とか優れた評論家とかではありませんが、自分の仮説も書いてみよう。僕の意見では、主要な問題は、福島さんのおっしゃる倫理的?な課題というよりも、或る意味非常に狭い(そしてその狭さと小ささの内側では異常に精緻な)趣味…

感想

清水晶子さんという方、ジェンダーとかクィア論とかフェミニズムの方だと思うが、彼女が萩上チキなどの『社会運動の戸惑い』というバックラッシュを調査し考察した本について、こういうことをおっしゃっていた。著者の一人の「現実」という言葉の使い方に疑…

合理性が必要だ

【今朝の一言:合理性が必要だ】 僕は明星氏、後藤氏に100%同感だ。どうしてイデオロギーが権威や信用を失墜したのか。人々の不信や懐疑が高まったのか。理由は極めて簡単である。合理性が皆無だからだ。どれだけ美しい道徳的心情があろうとそんなことは…

メモ

シャワーでも浴びるが、その前にメモ。「或る特定の社会集団を恣意的にカテゴライズして一般的な言明をしてはならない」というのは、反差別やいわゆる表象批判の文脈でよく見掛ける。一例として、「男性同性愛者はアナルセックスをする」という思い込みが必…

仮面についての雑感

人格(パーソナリティ)を仮面(ペルソナ)から考えるという意見はよくあるが、ここではまず音楽から考えてみたいが、ドビュッシーとラヴェルの対比である。僕は彼らの楽譜を持っていないし、音楽学的・楽典的な分析を加えたわけではないことはお断りしてお…

経験の変容を巡って

ソフィストというカタカナ語をどう日本語に訳せばいいのかは諸説あるが、弁論家、詭弁家、法律家。さらに進んで詐欺師ともいえるが、僕は十代の頃から屡々そう非難されてきたが、要するに恣意的な意見を平然と開陳するということである。僕はそういうことに…

『個人的な体験』から

『個人的な体験』から。243ページ以下。 「そうじゃないよ、鳥(バード)。夜明けまで追いかけたあなたと、真夜中に脱落して逃げだしてしまったわたしとでは、それ以後の人生がすっかりちがったもの。あなたはわれわれ不良少年とつきあうのをやめて東京の…

『不満足』から

幾つかの抜き書き。『不満足』から。55ページ以下。 ──おかまはあの男をいわばキリストみたいだなどと誇張していうほどで、と鳥(バード)がいって、微笑しながらつづけようとした、それを突然はげしい声で菊比古がさえぎったのである。──もういいよ、おか…

『不満足』から『個人的な体験』へ

『個人的な体験』は『不満足』の続編である。主人公たちが共通である。つまり、鳥(バード)。そして、菊比古。政治とは関係がないこれらの物語が、どうして、転向と市民的な徳の物語なのか。それは、そこにおいて決定的な傷が問題であるからだ。『不満足』…

市民的な徳と転向

ここでようやく市民的な徳(エートス、シティズンシップ)と転向という主題に入ることができるが、検討するのは以下である。大江健三郎『不満足』、『後退青年研究所』、『個人的な体験』、『万延元年のフットボール』。島田雅彦『天国が降ってくる』。『優…

風俗の混乱

続いて林達夫『歴史の暮方』(中公文庫)の138ページ以下に収められた「風俗の混乱──学生服を着た職工」という文章の結びだが、僕の意見では現代にまで続く重要な問題がこういう一見瑣末なエピソードに凝縮されている。昭和15年の文章である。145ペ…

ボナパルティズム

続いてカール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(伊藤新一・北条元一訳、岩波文庫)を検討するが、ボナパルティズムと現代を比較するとき、それは、代議制の危機であるだけでなく、金融貴族、(保守的な)分割地農民、ルンペン・プロレタ…

多数者の暴虐

次に、J・S・ミル『自由論』(塩尻公明・木村健康訳、岩波文庫)14ページから「多数者の暴虐」についてである。「さらにまた、人民の意志は、実際には人民の最多数の部分または最も活動的な部分の意志だということになる。すなわち、大多数者、または自…

プラトン『国家』篇の民主制批判

続いてプラトン『国家』篇の民主制批判を見るが、それは非常に長い。岩波文庫(篠沢令夫訳)では下巻の210ページから216ページまでである。これは余りにも長くて書き写すことはできないので、部分的に重要と思える箇所をピックアップすることにしたい…

ヒューマニズム書簡

続いて、マルティン・ハイデッガー『「ヒューマニズム」について パリのジャン・ボーフレに宛てた書簡』(渡邊二郎訳、ちくま学芸文庫)からマルクス(主義)及び唯物論に触れた議論を整理するが、簡単に申し上げればこうである。ハイデガーは「故郷喪失」を…

サラリーマンとしての総統

Facebookに書いていたから、ブログでは連続性は途切れるが、民主主義の存立の条件であるところの市民的な徳の問題を、転向と関連させて考察するが、その前に、ハンス・エーベリンク『マルティン・ハイデガー 哲学とイデオロギー』(青木隆嘉訳、法政大学出版…

音楽を考える

【いーぐる掲示板への投稿】 iPhoneから長文を書き込もうとしたら全部消えてしまいますた・・・しょうがないから書き直しますね。僕は政治や社会にも音楽にも両方興味があるんですよ。ただ、それらは直結しないと思うのです。PCは大事でしょうが、それをジャ…

think

ポストモダン的なシニシズムで申し訳ありませんが、先程のパスカル/三木清の洞察、我々人間は倦怠のために慰戯を求めるが、それの過剰がまたしても我々を倦怠と退屈へと送り返す、という洞察を「賢者タイム」という最近のネットスラングに関係させて少し考…

表現の自由とその限界〜文化的自由主義を巡って

今週は表現の自由とその限界という主題を取り上げる。広くいえば、(文化的)自由主義とその限界ということである。実に瑣末なというか、どうでもいいことだと思われるだろうが、端緒として今話題にされているふたつの事柄を取り上げる。ひとつは、AKB48峰岸…

濱野智史氏のコラムから考える

讀賣新聞で濱野智史氏の短いコラムを読んで、少し考えたことをメモしておく。私は濱野氏の御意見はその通りだと思うが、どうしてそういうことになっているのか、ということを検討したい。私の意見では、ここ20年くらいを振り返って、現状を規定する大きな…

歴史の可知性についてのノート

歴史の可知性について考えてみた。もう少し説明すれば、過去の経験を再構成する方法ということである。私は同性愛について考えていた。その歴史について、自分なりに「おおよそこうであろう」という意見ならあるが、それを超えて実証するのは難しい。実証と…

随想

むちむちぽこにゃん氏のツイートに触発されてFacebookであれこれ書いたが、それを再録することは控え、少し別の話題に触れてみたいが、世の中には思想は行動として実現され、テストされるべきだ、という御意見がかなり存在している。しかしながら、ぼくはそ…

道徳を排する

中村順さんはいいます。「宇都宮健児さんは本当に心優しい方で、あの世代には珍しく上から目線が一切なく、威張らない……」。確かにそれは素晴らしいですね。悪人や権力主義者、差別主義者が都知事であるよりは、弱者に優しい道徳的な善人が都知事に選ばれる…

石原慎太郎を擁護する

威勢だけはいいですが、何もわかってない意見だと思うよ。 ↓ アッテンブローさんに学ぼう。石原達はブルジョアどら息子の「文学」、「太陽の季節」を「愛国主義」の行動規範とするのか! 彼の「入党資格」のコメントについて。 塩見孝也 我がミク友、アッテ…

広告を考える

ポスティングから帰ったが、200枚程度のチラシはすぐに配り終えてしまった。私はかつて、明光義塾に勤務していた頃によくポスティングをやらされたが、その経験からいえば、数百枚程度のチラシ入れをしたところで、無効である。広告宣伝というものは、この船…

午前4時の思索

私は10代の後半には、20世紀の終わりの20年程に日本でちょっと人気だったものをよく読んでおり、それは例えば浅田彰などだが、それからちょうど20年くらいが経過した現在、どうなのかといえば、それはこういうことである。当時子供だった私は、そういう著述…

犬の生活

はてなダイアリーに書いていたが、理由も分からず、全部消えてしまった。長文だったのだが、歳を取ると、偶然の思いつきとか、一瞬の閃きなどを信用しなくなるものである。つまり、或る思想や意見は極めて長い間考えてきたものだから、何度でも展開できるは…

通俗の論理

佐野眞一が『週刊朝日』誌に掲載した『ハシシタ:奴の本性』が賛否や毀誉褒貶の対象になり、橋下徹が抗議し、『週刊朝日』誌は謝罪し連載打ち切りを決めた。私は『ハシシタ』そのものは未読だが、現在得られている情報だけから判断しても、それには疑問であ…

総体性、全体性について

上述の総体性について少し説明すれば、例えば、現在の日本社会について、個々の市民の次元でなく為政者とか統治のレヴェルでは、「原発事故の問題には取り組むが、格差の問題は考慮しない」とか、或いはその逆ということは許されないのではないか、というこ…