音楽を考える

【いーぐる掲示板への投稿】
iPhoneから長文を書き込もうとしたら全部消えてしまいますた・・・しょうがないから書き直しますね。

僕は政治や社会にも音楽にも両方興味があるんですよ。ただ、それらは直結しないと思うのです。PCは大事でしょうが、それをジャズやタンゴを含めた音楽の領域にいきなり持ち込めるのでしょうか。

僕の考え方を申し上げれば、人種や民族その他を考えるならば、生物学的要因、法律的要因(国籍)、音楽の感覚などの文化的要因を切り分けるべきだと思います。アメリカの場合、フロンティア精神(西垣通『IT革命』岩波新書)、移民の国などの要素も考慮する必要がある。アメリカ人といっても多様だし、しかし、様々な人種が移民して入ってきたとしても、そこには力関係がある。WASPによる支配といっても、後藤さんが指摘されたようにそこには若干の歴史的経緯や含みがあるようです。

まずアメリカ性ということについて一言すれば、アメリカ独立戦争アメリカ革命)の評価や南北戦争及び奴隷解放ということもありますが、僕がそれなりに面白いと思うのは、ただのイメージではありますが、ドゥルーズ=ガタリ千のプラトー』(河出書房新社)の序論「リゾーム」です。彼らはそこで、ヘンリー・ミラーレスリー・フィードラを引きながら、こういう大意のことを語っていた。ヨーロッパは超越性、体系である。樹木である。他方、アメリカは草、雑草である。草は蔓延る・・・

これは感覚的なイメージでしかないわけですが、社会制度や現実と関連させて捉えてみれば、ヨーロッパの知識人が批判したり解体(脱構築)しようとした中心性はアメリカでは既に解体されていた、または、最初から構築されていなかった可能性があるのではないでしょうか。例えば、70年代にフーコーは屡々アメリカ西海岸の大学に招かれて滞在し、非常に居心地が良かったそうです。フーコーが云うような、権力というものは国家において中央集権的にあるというよりは社会体に様々な権力諸関係として遍在しているとか、ドゥルーズ=ガタリのいう分子革命などはアメリカでは理想とか観念ではなく単に社会的現実なのではないか。そして、国家や社会や権力のありようがアメリカとヨーロッパで若干違うとしても、それはアメリカが素晴らしいということではない。アメリカが蔓延る草、雑草だとしても、「草の根」の狂気だって幾らでもあるでしょうからね。

話を黒/白、ブラックネスなどに戻せば、確かに黒人とかブラックネスをアフロ・アメリカンと書き直すほうがPCなのかもしれない。だけど、それは人種的な要素とイコールなのでしょうか。アフリカの人々の感覚とアフロ・アメリカンに多い感覚、我々がブラックネスと呼ぶものも違ってるかもしれませんよね。

幾つか挙げてみましょう。アフリカの音楽の感覚は、我々からすれば「黒い」というよりはむしろ「白い」と感じられる場合があるそうです。僕も何度かアフリカ音楽のコンサートに足を運んで、ジャズとはかなり違うと実感しました。

日本では、或る時期の渡辺貞夫がアフリカでコンサートした際に現地の音楽にインスパイアされました。アルバムでは"Sadao Watanabe"などですが、それらの音源を聴いて我々はどう思うのでしょうか。

もし、黒い/白いといった音楽的感覚が、アフリカというルーツとは少し別のもの、異質のものだとしたら、そこにはアメリカにおいて19−20世紀(そして、現在)に展開した独特の歴史的、社会的、文化的経緯、奴隷というような暴力も含めた様々な人種や民族の混合、混交を考慮すべきではないでしょうか。

それから、文化的現象としてのブラックネスの習得可能性、学習可能性という問題もあります。幾つか挙げてみましょう。日本人でも敦賀明子さんというオルガニストのように、ハーレムに住み、黒っぽい感覚を体感で習得したのではないか、という方もいます。50年代終わりを考えれば、ウィーンっ子のジョー・ザヴィヌルアメリカに住んで数年でファンキー感覚を体得し、キャノンボール・アダレイのバンドでファンキー・ジャズの代表曲まで書いてしまったことも想い出される。

それから、我々(の多く)は日本人、東洋人、アジア人なわけですが、自らの文化圏とは異なる欧米の洋楽を学ぶということについて、大学時代に聴講した音楽学者小島美子氏の講義を想い出します。小島氏は小泉文夫の弟子の民族音楽学者です。

我々日本人が欧米の音楽を学んだり、カヴァーするとするでしょう。小島氏の例では、例えば、西城秀樹ヴィレッジ・ピープルの"YMCA"をカヴァーした。『ヤングマン』ですね。そして、彼女の授業で実際に音源を聴き比べたのですが、そういう場合に異質なのは、リズム感覚とかテンポ感である。

先入観からすれば意外かもしれませんが、ヴィレッジ・ピープルよりも西城秀樹のほうが速いのです。そして、小島氏の意見では、その場合に違っているというか、日本人としてなかなかすぐには体得・体現しがたいのは、腰の粘りというか重さというか、そちらのほうだと・・・

先程申し上げた、文化的、音楽的現象としてのブラックネスの習得なり学習ということについては、そういう身体感覚、微妙なリズム感、揺らぎ、アクセントなどといったものまで体得することが異文化の人間に果たしてできるかどうか、ということになりそうですね。

民族や人種と音楽ということは難しい。幾つか考察してみましょう。

まず、我々の多くは、日本人、東洋人、アジア人、黄色人種である。そうしますと、人種や生物的にも歴史的、文化的にもかなり欧米と違う。

ということは、例えば僕らも学校で習うわけだけど、音楽の授業でクラシックを習うでしょう。そのときの違和感や習得の困難ということがあります。歌を歌うとしても、クラシック的な歌唱法に馴染めないとか。

ピアノ演奏にしてもそうです。昔の、最初の頃の日本人ピアニストの代表格として園田高弘氏がいますが、彼くらいの世代は、教育されたピアノ奏法が古かった。という限界があったのだ、と中村紘子が『チャイコフスキー・コンクール』で書いてますが、それは日本とヨーロッパの違いそのものではないですが、明治以来ヨーロッパ文化を音楽を含め日本に移植しようとしたときに起きた一つの問題である。

ジャズに眼を転じれば、『幻のモガンボ・セッション』守安祥太郎の悲劇がある。守安は天才といわれたが、それ故にか、日米のジャズのギャップに悩み、銀座駅で鉄道自殺してしまった。さらに、バークリーに留学し、アメリカで活躍した秋吉敏子の問題もあります。彼女はアメリカの口さがない聴衆からピーターソンやパウエルのコピーだと嘲弄されて一度挫折した。そして、その後、ビッグバンド、オーケストラで日本的要素を取り入れた自作曲で成功を収めた。

60年代のフリージャズを考えてみます。そこにおける「日本」というイメージがどうだったのか、適切だったのかという問題はありますが、そこには明らかにナショナリズム的な動機があった。山下洋輔などのミュージシャン側も、油井正一などの評論家サイドもそうですが、「日本の」ジャズを確立したのだ、という誇らしい意識・・・ですが、このことについても、よくよく再考したほうがいいと思います。