浄められた夜

ピエール・ブーレーズが指揮するシェーンベルクを聴く。曲目は幸福な手、管弦楽のための変奏曲、浄められた夜。音楽だけが愉しみであり喜びだが、20世紀の音楽をもっともっと聴かなければ、と痛感する。特にシェーンベルク。これをもっともっと聴いて究めなければ。ほかにすることもないんだし。興味あることもないんだし。

僕は二和向台でのんびり暢気に暮らしている。気楽な隠居隠退生活である。ひきこもりというか、「隠れて生きよ」という忠告を実行している。つまらない苦労や不安のことは全部忘れて、暢気に暮らすのが一番である。僕はそう思う。

あれこれとつまらない気苦労が多過ぎた、また、多過ぎるのである。不愉快な意見も余りにも多過ぎた。だが、そういうものは気にしないように心掛けたい。

自分自身(の意見)を貫くという、ただそれだけのことが、それほどに大変でしんどいことなのか。ほとんど一生の仕事になってしまうのか、ということを考えると、非常に暗い気持ちになる。だが、それはやむを得ない。こういう行き掛かりでこういう結果になったのは、避けることはできなかったのである。というところから、運命や必然についての省察に導かれる。