濱野智史氏のコラムから考える

讀賣新聞濱野智史氏の短いコラムを読んで、少し考えたことをメモしておく。

私は濱野氏の御意見はその通りだと思うが、どうしてそういうことになっているのか、ということを検討したい。私の意見では、ここ20年くらいを振り返って、現状を規定する大きな要因は二つであると思う。

一つは、90年代の「政治改革」である。自民党が下野したが、その後は小泉政権を除いて、どれも安定した政権にはならなかった。もう一つは、バブル崩壊以後、特にゼロ年代に顕著になってきた経済的な沈下である。私は、これらのことから、日本社会は「人に厳しい」社会、苛酷で非情な社会になってきた、と考える。それは宇野常寛氏のいうような、セカイ系からサヴァイヴァル、決断主義へ、という変化と同じかもしれない。だが、宇野氏は、そういう変化が生じた理由を具体的に説明しているのだろうか。私は、その変化には政治的、経済的な理由がある、と思うのである。

人に厳しいとか非情だというだけでは不親切だから、もう少し申し上げれば、他人のことに構う余裕が余りない、ということである。確かに、多くの日本人は今すぐ飢え死にするような状況ではない。だが、経済的なことを含めて、徐々に追い詰められ、下方へと沈み込むのはそれなりに辛いものだと思う。私自身を含めて、気持ちの余裕がさほどない人々に、他人のことを思いやる想像力や倫理を持て、と説教しても難しいし、「それは無理だ」と無愛想に答えるしかないのである。

2011年の3.11、東日本大震災福島第一原子力発電所の事故という「大きなドカン」、でかい一発は、今のところ大多数の人々を覚醒させ団結させる、ということには全くなっていない。勿論、今後そういう方向になる可能性はある。私が濱野氏のコラムを読んで思ったのは、今後状況が少し変わるとしても、恐らく時間が掛かるだろう、ということである。

細野豪志氏は、もし、民主党がなくなったら、日本の政治は今後10年は混乱するだろう、と述べたそうである。菅直人元総理は、民主党が復活するかもしれないとしても、8年くらい掛かるかもしれない、とブログで書いている。民主党を支持するか否かに関わりなく、現状を短期的に一変させる魔法がない、という事実は変わらない。

上述のように批判的に考えても、私は、諸悪の根源は「政治改革」だという恨み言は申し上げたくない。というのは、もしそういうならば、55年体制が永続していたほうが良かったのか、ということになりかねないからである。55年体制崩壊は、当時の社会党の縮小を齎しているが、他方、自民党サイドも変わらなかったはずがないのだが。

━━というふうに、大雑把な俯瞰をしても、と思うが、私はFacebook湯浅誠氏などの投稿も興味深く拝読しているが、全体を考慮すると共に、もう少し地域的な、または個別的な何かが必要である。私自身はそれを、さしあたり「対話」が必要だ、というふうに申し上げたいが、ただそれだけのことも、容易ではない現実も認識せざるを得ないのである。