多数者の暴虐

次に、J・S・ミル『自由論』(塩尻公明・木村健康訳、岩波文庫)14ページから「多数者の暴虐」についてである。

「さらにまた、人民の意志は、実際には人民の最多数の部分または最も活動的な部分の意志だということになる。すなわち、大多数者、または自己を大多数者として認めさせることに成功した人々の意志を意味している。それ故に、人民は人民の一部を圧制しようと欲するかも知れない。そして、かような圧制に対して予防策の必要であることは、他のいかなる権力の濫用に対する場合とも異なるところはないのである。それ故に、個人を支配する政府の権力を制限することは、権力の保持者が社会──すなわち社会における最強の政党──に対して正式に責任を負うているときにおいても、いささかもその必要性を減ずるものではない。このようなもののみかたは、思想家の知性にも、またそもそも民主制と相容れない現実の利害──もしくは利害と思い込んでいるもの──をもっているヨーロッパ社会の有力な諸階級の性向にも、等しく訴えるところがあったために、何らの困難もなしに確立された。今や政治的問題を考える場合には、「多数者の暴虐」は、一般に、社会の警戒しなくてはならない害悪の一つとして数えられるに至っている。」

自由論 (岩波文庫)

自由論 (岩波文庫)