プラトン『国家』篇の民主制批判

続いてプラトン『国家』篇の民主制批判を見るが、それは非常に長い。岩波文庫(篠沢令夫訳)では下巻の210ページから216ページまでである。これは余りにも長くて書き写すことはできないので、部分的に重要と思える箇所をピックアップすることにしたい。

まず、213ページ。

「そしてこのまやかしの言論たちは、それらの徳を追い出して空っぽにし、自分たちが占領して偉大なる秘儀を授けたこの青年の魂を洗い浄めると、つぎには直ちに、〈傲慢〉〈無統制〉〈浪費〉〈無恥〉といったものたちに冠をいただかせ、大合唱隊を従わせて輝く光のもとに、これを追放から連れもどす。〈傲慢〉を『育ちのよさ』と呼び、〈無統制〉を『自由』と呼び、〈浪費〉を『度量の大きさ』と呼び、〈無恥〉を『勇敢』と呼んで、それぞれを美名のもとにほめ讃えながら──。」

続いて、215ページから216ページに掛けて。

「こうして彼は」とぼくはつづけた、「そのときどきにおとずれる欲望に耽ってこれを満足させながら、その日その日を送って行くだろう。あるときは酒に酔いしれて笛の音に聞きほれるかと思えば、つぎには水しか飲まずに身体を痩せさせ、あるときはまた体育にいそしみ、あるときはすべてを放擲してひたすら怠け、あるときはまた哲学に没頭して時を忘れるような様子をみせる、というふうに。しばしばまた彼は国の政治に参加し、壇にかけ上って、たまたま思いついたことを言ったり行なったりする。ときによって軍人たちを羨ましくなれば、こんどはそのほうへ向かって行く。こうして彼の生活には、秩序もなければ必然性もない。しかし彼はこのような生活を、快く、自由で、幸福な生活と呼んで、一生涯この生き方を守りつづけるのだ」

「まったくのところ」と彼は言った、「平等を奉ずる人間の生活というものは、あなたがいま述べたとおりのものです」

「思うにこれはまた」とぼくは言った、「あらゆる変様に富んだ、そして最も多様な習性に満たされた生活であり、またこのような人間こそは、ちょうど先の民主的な国家がそうであったように、美しくもまた多彩な人間にほかならないのだ。男も女も、多くの人々がこのような人間の生き方を羨むことだろう。彼は、さまざまの国制と性格の見本を最も多く内にもっているのだから」

「たしかに彼は、そのような人間ですからね」と彼は言った。

「それならどうだろう──われわれとしてはこのような人間を、民主制国家に対応させて考えてよいだろうね? まさに〈民主制的〉と呼ばれてしかるべきような人間なのだから」

「対応させることにしましょう」と彼は答えた。

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)