2013-04-05から1日間の記事一覧

『個人的な体験』から

『個人的な体験』から。243ページ以下。 「そうじゃないよ、鳥(バード)。夜明けまで追いかけたあなたと、真夜中に脱落して逃げだしてしまったわたしとでは、それ以後の人生がすっかりちがったもの。あなたはわれわれ不良少年とつきあうのをやめて東京の…

『不満足』から

幾つかの抜き書き。『不満足』から。55ページ以下。 ──おかまはあの男をいわばキリストみたいだなどと誇張していうほどで、と鳥(バード)がいって、微笑しながらつづけようとした、それを突然はげしい声で菊比古がさえぎったのである。──もういいよ、おか…

『不満足』から『個人的な体験』へ

『個人的な体験』は『不満足』の続編である。主人公たちが共通である。つまり、鳥(バード)。そして、菊比古。政治とは関係がないこれらの物語が、どうして、転向と市民的な徳の物語なのか。それは、そこにおいて決定的な傷が問題であるからだ。『不満足』…

市民的な徳と転向

ここでようやく市民的な徳(エートス、シティズンシップ)と転向という主題に入ることができるが、検討するのは以下である。大江健三郎『不満足』、『後退青年研究所』、『個人的な体験』、『万延元年のフットボール』。島田雅彦『天国が降ってくる』。『優…

風俗の混乱

続いて林達夫『歴史の暮方』(中公文庫)の138ページ以下に収められた「風俗の混乱──学生服を着た職工」という文章の結びだが、僕の意見では現代にまで続く重要な問題がこういう一見瑣末なエピソードに凝縮されている。昭和15年の文章である。145ペ…

ボナパルティズム

続いてカール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(伊藤新一・北条元一訳、岩波文庫)を検討するが、ボナパルティズムと現代を比較するとき、それは、代議制の危機であるだけでなく、金融貴族、(保守的な)分割地農民、ルンペン・プロレタ…

多数者の暴虐

次に、J・S・ミル『自由論』(塩尻公明・木村健康訳、岩波文庫)14ページから「多数者の暴虐」についてである。「さらにまた、人民の意志は、実際には人民の最多数の部分または最も活動的な部分の意志だということになる。すなわち、大多数者、または自…

プラトン『国家』篇の民主制批判

続いてプラトン『国家』篇の民主制批判を見るが、それは非常に長い。岩波文庫(篠沢令夫訳)では下巻の210ページから216ページまでである。これは余りにも長くて書き写すことはできないので、部分的に重要と思える箇所をピックアップすることにしたい…

ヒューマニズム書簡

続いて、マルティン・ハイデッガー『「ヒューマニズム」について パリのジャン・ボーフレに宛てた書簡』(渡邊二郎訳、ちくま学芸文庫)からマルクス(主義)及び唯物論に触れた議論を整理するが、簡単に申し上げればこうである。ハイデガーは「故郷喪失」を…

サラリーマンとしての総統

Facebookに書いていたから、ブログでは連続性は途切れるが、民主主義の存立の条件であるところの市民的な徳の問題を、転向と関連させて考察するが、その前に、ハンス・エーベリンク『マルティン・ハイデガー 哲学とイデオロギー』(青木隆嘉訳、法政大学出版…

随想

別に文句や不満を云うつもりはないが、事実として、職場の団結とか労働組合運動などは賃労働者の問題でしょう。JALなどもあるから工場労働者などだけの問題ではないとしても、やはり雇われて働いている人々の問題だ。僕は文句を申し上げるつもりはなく、むし…

随想

我々の99%以上は、当たり前のことだが、神々、英雄、独裁者などではない。そうすると、仮に行動とか実践といっても、身の丈でできることなどは限られているわけである。従って、実践を志向する人々は地域活動に向かうが、しかし僕は地域にも地域住民、隣…

随想

そういう僕の意見について、お前には情熱や希望、理想、主体性などはないのかとか、行動しないのか、と怒る人々、政治的な、また道徳的な人々もいるだろうが、そんなことを云われても困る。氷のように冷たいのである。徹底的な客観主義であり、実践者とか行…

随想

僕の考察は極めて常識的で地味(地道)なものだった。当たり前とも見られる事実や条件の確認を一つ一つ積み重ねていったのである。感情であるとか希望などは抜きにして(そういう機械的で即物的な非情さ、非人間性が僕の本質である)。例えば、こういう迂遠…

随想

僕は3.11については民主主義についてずっと省察している。それは何故かと申し上げれば、僕自身は科学に疎いし、だから、放射能被曝についてあれこれ云うことはできない。また、そもそも交通費を持ち合わせないし体力もないから、官邸前デモなどに出向く…

随想

僕はそのことについて、西垣通『IT革命』(岩波新書)の意見を支持する。ネチズン(ネット市民)、ネット民主主義は成立困難なのである。もっと申し上げれば、そもそも市民及び民主主義がまともに成り立つことが非常に困難だ。ということは、我々の社会や日…

随想

Twitter, Facebook以前には、2ちゃんねるとか、膨大にあったもろもろの掲示板とか、またはmixiなどで、やはり果てしのない論争というか議論というか、むしろそういう上等なものではなくdisり合い、罵倒合戦などが延々と繰り広げられていたはずなのである。…

随想

ただ、僕はこう思うが、別にネットが悪いとか、TwitterとかFacebookが悪いという、技術やメディア環境のせいだ、ということは成り立たない気がする。それはこれまで見えなかった(しかし、確かに存在していた)ものを露わにしただけである。日本社会には、ぞ…

随想

書きたいことというのはFacebookとUstreamのことだったような気がする。まず、Ustreamだが、アプリの視聴者数表示や再生回数表示の数字を疑う合理的な理由はないが、そうするとそれは少ないということになる。視聴者は一人だし、再生回数も一回とか。それは…

随想

午前4時である。目が醒めた。日課のブログ更新をしようと思う。まず、今はラジオを聴いているが、音楽ばかり聴くのも疲れる。それほど大量に聴くわけでもないが、昨日も武満徹を一枚聴いたし、それなりに充実しているのではないか、というような気もした。…