随想

僕の考察は極めて常識的で地味(地道)なものだった。当たり前とも見られる事実や条件の確認を一つ一つ積み重ねていったのである。感情であるとか希望などは抜きにして(そういう機械的即物的な非情さ、非人間性が僕の本質である)。

例えば、こういう迂遠さは多くの人々を苛立たせるだろうが(特に脱原発派を)、現在の日本社会を冷静にみれば脱原発派と存続派が確かに存在している。脱原発が圧倒的に優勢なわけでもない。そうすると、社会政策が脱原発に決まろうとその逆(存続、維持)に決まろうと、不満を持つ人々が大量に出て来る。結果、日本社会の分裂は深まる。

それから、デモなどの抗議、通常の選挙、国民投票のそれぞれについてその条件や状況を検討した。僕は憲法9条脱原発などは国民投票には馴染まないテーマではないか、という考えだったし、今もそうだが、国民投票運動を推進する有力な人々も沢山いるから(例えば、マエキタミヤコさんなど)、彼(彼女)らの御意見も謙虚に傾聴しなければならないと思う。