道徳を排する

中村順さんはいいます。「宇都宮健児さんは本当に心優しい方で、あの世代には珍しく上から目線が一切なく、威張らない……」。確かにそれは素晴らしいですね。悪人や権力主義者、差別主義者が都知事であるよりは、弱者に優しい道徳的な善人が都知事に選ばれるほうが確かにいいでしょう。それはそう思うけどね。

それはそうですが、道徳を一切度外視するのがぼくの流儀です。

宇都宮弁護士がいかに善人でいい人なのかということよりも遥かに重要なのは、志葉玲さんや伊藤みどりさん、また彼らがRTしている意見が指摘しているような、現状の支持者では宇都宮健児候補は勝利できないという事実でしょう。湯浅さんが彼の出馬見送りのときに書いていたように、共産党社民党などの革新勢力の支持者だけでは足りない。また、伊藤さんが指摘していたように、マスメディアや一部の言論人には、宇都宮氏に「共産党が推薦している候補」というレッテルを貼って片付けようとする戦略がある。それは、共産党がいいか悪いかということとは別問題の、実際の選挙がどうかという話でしょう。

実際には宇都宮健児候補は、共産党に限らない広汎な人々から支持されていますが、それをメディアとか保守系の政治評論家は「共産党」ということだけに切り縮めてしまうわけですね。そして、そのことで有権者が偏見を持つとしたら、それはどうしてなのでしょうか。石原が信じているらしい変な新興宗教は気持ち悪くないのに、共産党は不愉快なのでしょうかね。もしそうだとすれば、どうしてでしょうか。

石原が都知事に再選されたときのことを考えてみましょう。『てっぺん野郎』の420-421ページです。そこでは、樋口恵子氏は「軍国おじさん対平和ボケおばさん」というキャッチフレーズで戦いました。また、佐野によればこういうことであったようです。

実現性はどうあれ、国との対決姿勢を鮮明に打ち出した慎太郎に比べ、樋口のキャッチフレーズは「問答無用から都民が主役へ」という、わかったようでよくわからない曖昧なものだった。共産党候補に至っては「戦争知事さんさようなら、平和知事さんこんにちは」という選挙民を愚弄するバカバカしい街頭演説が第一声だった。

ぼくは過去のこういう敗北から学んだほうがいいと思いますよ。