2012-07-16から1日間の記事一覧

美、Schein、appearance

ヘーゲルは『美学講義』において、「美」のステータスを「仮象」と定義したと思うが、その原語は"Schein"である。我々が日本語で「仮象」というと、限りなく「虚偽」、「嘘」に近い受け取り方だと思うが、そうではないのであり、英語では"appearance"だが、…

「商品」とその魅惑

補足すれば、柄谷行人のベンヤミン批判は、都市を遊歩する人々が商店のショーウィンドウに陳列された魅惑的な商品の数々を眺め、そのイマージュを楽しむ、というような、美的、感性的な次元は、資本主義、資本制経済の把握として本質的ではない、ということ…

「自然」の多義性

ホワイトヘッドの最もよく知られた著作は『科学と近代世界』だが、これに限らず彼の著作を読んでいて驚くのは、コールリッジなどロマン派の詩人からの引用が非常に多いことである。それはただの飾りということではなく、ホワイトヘッドはロマン主義のいうよ…

言葉と制度

アレン・ギンズバーグの父親も詩人だったが、アカデミックな詩人、文学研究者であった。ギンズバーグはそれに反撥して彼自身の『吠える』を書いたわけだが、そういうビート・ジェネレーションの作品が良いか悪いかはともかく、近代日本にも類似した問題があ…

詩の言葉を巡って

「生活詠」の短歌について言及したが、それを詠んでいるのは膨大な生活者の群れである。彼らが実作した短歌が後世に遺るのかといえば、それは厳しいと思うが、幾つかの他のありようと比べてみたほうがいい。例えば、1950年代のアメリカのビート・ジェネレー…

ハイデガー、ニーチェ

ハイデガーの基本的な歴史の把握は、ニーチェと似ているが、プラトン以来決定的な変化が生じ、それがニーチェにまで継続された。ニーチェにおいて形而上学は完成された、というものである。その結論部分が、ニーチェ自身とハイデガーでは全く異なる。確かに…

技術、合理性

私はハイデガーに詳しくないが、自分が知る限りのハイデガーの考え方を要約すれば、彼は「技術」(テクネー)を重視する、ということになる。「組み立て」が具体的にどういうことかという中身はよく分からないが、彼にとって「技術」の本質は「組み立て」で…

「信」を巡って

私が言いたいのは、伝統的な哲学とか形而上学は神、神々などを想定してきたが、もし、そういうものが世界にいきなり介入してきて、例えば自然法則さえも変更してしまうのでないならば、それは想像的な次元、本当に「信じ」られるものでしかない、ということ…

「水」と生命

タレスの「水」という発想は、どうも湿ったところから生物が生まれてくるようだ、という素朴な観察に基づいていたようだが、ごく感覚的にいえば、じめじめしたところに虫などが湧いてくるような気もする。例えばいつくらいか忘れたが、18-19世紀のいずれかだ…

life is water

英語が母語ではないから、文法の細部まで分からなくて困るのは、"life is water"が正しいのか"life is a water"が正しいのか、というようなことで困ることだ。恐らく後者が正しいと思うが、とにかく、それはそういう音楽(ロック?)の題名である。昨日、自…