言葉と制度

アレン・ギンズバーグの父親も詩人だったが、アカデミックな詩人、文学研究者であった。ギンズバーグはそれに反撥して彼自身の『吠える』を書いたわけだが、そういうビート・ジェネレーションの作品が良いか悪いかはともかく、近代日本にも類似した問題がある。

『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』の序文だか後書きだったかで、大江健三郎が「学者犬」、学者詩人を罵倒している。その状況を推察してみれば、大江健三郎は在野で書いている小説家、作家なわけである。そういう彼にとって、大学に属し、生活を保障されてのうのうと暮らし、口先だけで過激な主張を繰り返しているお仏蘭西な現代詩人連中からあれこれ文句を言われたり揶揄されるのは非常に不愉快だ、ということだったのだろうと思うが、そもそも、アカデミズムとジャーナリズムとか、哲学と文学(大江の場合はそうではないが)というような対立構造を持ち込んだのは、小林秀雄吉本隆明である。

小林秀雄三木清を酒場だったかで対面で批判、罵倒したことを三木が書いていたと思うが、小林秀雄は、君達哲学者連中は読者のことを少しも考えていない、と言ったそうである。京都学派とかその周辺の哲学者を考えてみると、そうだったのかもしれないが、思想の表現というような形式的な問題と、社会的・経済的・制度的なありようの関係も考えさせる。小林秀雄自身は、文芸ジャーナリズム、文芸誌、雑誌に書いていたわけである。そうすると、小林の書き方に余りにもわけの分からぬ逆説、人を煙に巻く韜晦などが多過ぎるのだとしても、そもそも一般読者に「読めない」ものだったら、売文業そのものが不可能であり、成り立たなかった、ということがある。

吉本隆明の場合も、自分は在野の物書き、批評家なのだ、ということが根本的なアイデンティティだったのである。以前書いたように、彼の柄谷行人への批判は、柄谷が大学に属しているということ、文芸ジャーナリズムにはたまに出て来るだけだということが理由だったが、アカデミズムとジャーナリズムという抽象的な対立を創ってしまうべきではない、という以前に、少し状況を検討したほうがいい。

それは大学に属している、と一言でいっても、個別具体的に状況が異なる、ということである。柄谷行人ゼロ年代、NAM解散後に、近畿大学の人文科学研究所の所長になったし、それ以前に、アメリカのコロンビア大学の教授になっているはずだが、吉本隆明が大学人だという理由で柄谷を批判した当時どうだったのかをいえば、柄谷は法政大学のただの語学教師、英語の教師であり、哲学・思想とか文学を教える立場にはなかったのである。そして、自分は制度的には語学教師というだけでいいのだ、というのが、当時の柄谷の考え方であった。

そうすると、それは大学人といっても、生活のためにやっているだけだし、それに、柄谷は大学講師の労働条件だったか何かの問題で延々と大学当局と闘争し続けていたはずである。そういう当時の彼と、後年のコロンビア大学教授とか、近畿大学の人文科学研究所の所長である彼をアカデミシャン、大学人だという括りだけで大雑把に語ることはできないのである。そういう細かい事実関係が大事なのだ、と私には思われる。