美、Schein、appearance

ヘーゲルは『美学講義』において、「美」のステータスを「仮象」と定義したと思うが、その原語は"Schein"である。我々が日本語で「仮象」というと、限りなく「虚偽」、「嘘」に近い受け取り方だと思うが、そうではないのであり、英語では"appearance"だが、重要なのは、それが非真理、非実在、欺瞞、魅惑などであるだけではなく、感覚的に実在してもおり、さらに、我々に対して「現れて」くる何かだということである。

「美」="Schein"としての芸術作品を具体的に検討すると、ジャンルによってその非真理のありようは異なる。文学、言語芸術をまず考えれば、そこではただの虚構、嘘の物語が語られているという意味で非真理である場合がある。それから、自然主義とかリアリズムなど、外的「現実」とか「物」を描写しようと努める場合もあるが、そういうときの「言葉」と「物」の関わりは曖昧である。

美術を考えると、特に絵画、通常の絵画では、現実に存在する事物の似像である、ととりあえずは言うことができる。そしてその似像は実物ではない、という意味で非真理である。ただ、絵画でも、近代的なリアリズム以前の寓意とか、現代絵画の抽象、デフォルメ、もう「物」を写さない、とかもあり得るから、そういうケースも考慮すると複雑である。

厄介なのは音楽だが、音楽は最初から外的現実を模倣したり再現するものではない。具体的に存在するありとあらゆる音楽を考慮してみて、そういうことがいえるのだろうか。私が考えるのは、チャーリー・ミンガスが何度かそういうことをやった、ということである。例えば、『直立猿人』のなかの「霧深き日」で、自動車のクラクションの音を取り入れた。また、エリック・ドリフィーとの掛け合いが有名な、『チャーリー・ミンガス・プレゼンツ・チャーリー・ミンガス』における「ホワッツ・ラヴ?」では、ドルフィーバスクラリネットが馬のいななきに似た音を立てる。だが、その場合もドルフィーが現実の馬などを「模倣」していたのかどうかは分からないし、恐らくそうではなかったであろう。

音楽を一つ一つ検討すると、グレゴリオ聖歌、中世の音楽、ルネッサンスバロック、古典派、ロマン派、現代音楽となるが、古典派などは形式的で均衡が取れた美である。ハイドンとかモーツァルトの音楽に、外的な現実の模倣とか写実があるのだろうか。ロマン派において、標題音楽、標題性が出て来る。それは言語とか文学との密接な関わりということだが、やはりそういう場合も、外的現実とか「物」と直接関わっているとか、それを模倣しているといえるのだろうか。私はそうはいえないと思う。

ただ、時代時代によって、音楽の音の組織化が変わってきたということだけは事実である。それは西欧の純音楽だけではなく、ジャズについてもいえる。録音が存在する限りの音源を一々辿っていくと、時代によって、また地域によって全く異なる音の秩序が見られるであろう。ジャズ以外のポピュラー音楽、或いは、伝統的な音楽なども一つ一つ調べる必要があるが、そこに見られるのは、恐らくクラシック音楽などとは大変違ったものだろうが、そういう音楽と外的現実、「物」、社会などとの関係は慎重に調べなければならない。

美を仮象、"Schein"である、ということは、それが確かに感覚的に実在するものであると共に、欺くもの、騙すものであるという根本的な次元を認めることだが、そういうことは既にプラトンによって気付かれていた。プラトンは『国家』篇において、詩人を彼の理想の国、共和国から追放すべきだと主張したが、彼が厳しい判断を下したのは何も詩人達だけではない。彼にとっては、画家も現実の事物の似像、贋物を造るだけの存在だったし、音楽家への評価も苛酷である。

プラトンだけではなくアリストテレスなど古代人に共通する意見なのだが、彼らにとっては、音楽は、それ自体としてある芸術などではなく、国家に奉仕するものであった。つまり、一定の旋律、旋法が人々の心、精神、感情に影響を与え、風俗習慣を創っていく、という見方である。例えば、若者を剛毅にする旋律と、柔弱にする旋律がある、というふうに道徳的に発想された。個人レヴェルでは、医学的なものとして考えられた、というか、プラトンにとっての医学のふたつの柱は、音楽と体育であった。

そういう音楽観のルーツは、ピュタゴラスにまで遡ることができるが、ピュタゴラスと彼の弟子達は、古代ギリシャの竪琴の複数の弦を一定の仕方で同時に鳴らすと快い、ということを発見し、「調和(ハルモニア)」を考えた。それは数的、数学的なものと捉えられ、そういう「調和」がピュタゴラス及びピュタゴラス派の宇宙観、自然観の根本であった。プラトンは、ピュタゴラスから深く影響されたが、一旦は魂の諸能力、諸部分の調和、協和というピュタゴラス的な発想を斥けている。プラトンにとってはそれはまだ、どういえばいいのか、物質的なものに留まっているように思えたのであった。だから、プラトン、及びプラトンが描き出すソクラテスは、《善》のイデア、《美》のイデアなどの超越的な存在を想定することになる。

《美》のイデアを考慮すれば、プラトンには、真正性の契機としての美的体験もあったのだ、と分かる。芸術家とか芸術作品に辛い評価を下す『国家』篇と矛盾しないのだろうか。とりあえず事実を指摘すれば、《美》のイデアが論じられる『パイドロス』とか『饗宴』などにおいてまず重要なのは、恋愛、性愛、エロスであり、とりわけ少年の美であるという事実である。勿論、プラトンは、少年の美というような個別的なものに留まっているわけではなく、そういう美しい個人と遭遇したというきっかけで、彼の文学的な表現では、魂に翼が生え、イデア界へと上昇するという契機が重要なのである。そうすると、最終的に、美しい個物、個人などではなく、《美》そのもの、イデアそのものを純粋に観照する、という結論になる。そういうプラトンの考え方は、後のプロティノスなどの新プラトン主義者に継承される。

さて、カントの『判断力批判』を取り上げれば、幾つかのことが重要である。まず、カントにとっては、芸術美ではなく自然美が問題である。そして、合目的性が重要である。合目的性という概念を理解するのは難しいが、それはとりあえず、露骨な目的論ではない、と考えられており、自然そのものにおいて目的があるかどうかは最終的に分からない。ただ、我々、我々の主観が自然を考察し考慮するときには、たとえ結果的、事後的にであれ、何らかの目的を想定せざるを得ない、という不可避性、必然性が問題である。カントがそういうふうに考えるのは、生物、有機体の複雑で高度に発達した身体、その諸器官などを観察したことが理由であるようだ。

カントは「美」と「崇高」を分けて論じ、そこにおいて、諸能力、例えば悟性と構想力、理性と構想力の協和、不協和があらわれるが、そういうことは、自然において悟性の、或いは理性の理念が実現されている、或いは我々にとってそう見える、ということが重要である。カントにとって、自然はただ単に機械論的なもの、物理的な過程、生理過程に還元されるものではなく、かといって、理念とか概念の実現というふうに単純化、図式化されてしまうものでもない。そのステータスは曖昧で微妙なのである。

昨日、歴史と自然が人間にとっての根本的なエレメントだ、と申し上げたが、そのいずれにおいてもこういう厄介な問題があることが窺われるであろう。歴史は、ただの経験的な諸事実の堆積ではないが、理念の実現などという図式的なものであるだけでもない。人間は歴史に意味を見出すが、その意味が歴史そのものに客観的に内在しているとはどうしてもいえない。意味や目的などは事後的に見出されるのではないか、とも考えるべきである。そして自然のほうも、ただ単に客観的、物理的、感覚的な実在であるだけではない。そこには、一定の法則、合目的性、斉一性などが想定される。さらに、生命的なもの、生きた(活きた)ものであるとか、全体である、などと表象される。本当に、客観的、対象的にそうであるのかどうかは分からない。ただ一つ確実にいえるのは、我々としてはどうしてもそういうふうに考えざるを得ないのだ、ということだけである。