2012-07-13から1日間の記事一覧

《彼、彼、彼。》

ブランショの元々の右翼思想や反ユダヤ主義がいかがわしくても、彼がただの右派ではなく、また、文学者であるだけでもない、ということは推察される。例えば、彼は、フーコーの死後2年が経過した段階で、『想いに映るまま』という短く簡潔なフーコー論を発表…

過去と死者

先程の夢を分析、解釈してみると、その昔、別府市に住む伯父から、先祖代々の墓を守ってくれ、と頼まれたが、拒絶した、という出来事に思い至った。近代的な夢についての考え方とか理論ではなく、伝統的で宗教的な夢の理解からすれば、そうすると、私が今し…

dream / daydream / nightmare

疲れたので少し横になると、幾つか夢を見たが、中間の夢を忘れてしまい、今憶えているのは、最初の夢と最後の夢だけである。最初の夢のなかで、脱原発か何かを理由に、私は20-30名くらいの人々と一緒に外を更新していた。我々以外には人通りのない県道のよう…

微妙な狂い、偏差

セロニアス・モンクが1954年のパリで録音した『ソロ・オン・ヴォーグ』で演奏したピアノの調律が狂っていたが、それが逆に面白い効果を生んでいた、という事実から、近代の音楽、ピアノという条件などについて幾つかの省察が出て来る。検討してみれば、上述…

セロニアス・モンクのソロ演奏

そういう「理論」の問題もあるが、少し思い出してみると面白いのは、セロニアス・モンクがパリで最初のソロ・ピアノのアルバムである『ソロ・オン・ヴォーグ』を吹き込んだとき、彼が演奏したピアノがどうみても調律が狂っており、それが、記録された音や和…

音楽の枠組み、その条件

近代ヨーロッパで確立された音楽の規範について、それを批判的に吟味して乗り越えようという試みが続けられてきている。それは、現代音楽であれジャズであれ、同じである。バッハの平均律以来、我々が熟知し日々経験しているような調性が生まれた。さらに、…

音楽と「理論」

アドルノがジャズを否定しただけではなく、三宅榛名によれば、高橋悠治はかつて、ジャズの「理論」などは全部クラシックからの剽窃、窃盗、泥棒なのだ、と断言したそうである。三宅榛名自身は、自分は高橋のようにそう言い切ることはできない、と書いていた…

音楽を巡る「言葉」

バークリー・メソッドの解説書とジャズ批評の類いは異なる。渡辺貞夫の『ジャズ・スタディ』と後藤雅洋の『ジャズ耳の鍛え方』はまるで違う、ということだが、それは当たり前のことだが、要するに、音楽家なり演奏家の立場とリスナーの立場が別だということ…

「自立」などしてどうなるか?

近年の「新しい働き方」、日雇い派遣などで、労働者が「個人事業主」にされることがあるが、別に労働者個人の自主性とか主体性を重んじたいわけではなく、企業の側がその人についてそれほど責任を負いたくないし面倒も見たくない、という意味である。日雇い…

賃労働を「辞める」とどうなるか:経済的「自立」を巡る問題と困難

『国家民営化論』の、或る一つの社会を構成するみんなが独立小生産者になればいい、物書き、作家になればいい、という考え方を幻想だと断じたが、難しいのはこういうことである。資本主義を批判する論客が、賃労働、労働力商品そのものが問題だと考えるとし…