音楽と「理論」

アドルノがジャズを否定しただけではなく、三宅榛名によれば、高橋悠治はかつて、ジャズの「理論」などは全部クラシックからの剽窃、窃盗、泥棒なのだ、と断言したそうである。三宅榛名自身は、自分は高橋のようにそう言い切ることはできない、と書いていたが、彼女のほうが普通でまともである。

確かに個々のジャズの「理論」がどうなのか、ということを検討してみたら、問題があるし、そもそも音楽の「理論」などはどういう性格のものなのだろうか、と考えざるを得ない。

非常に一般的な枠組みをいえば、音楽を巡る我々自身の近代的、現代的な経験はバッハの平均律によって確立されたものである。細かくいえばそれは移調可能性ということだが、それまでの調律、例えば純正律では、或る調、例えばハ長調で作られた曲を別の調に移すと、音楽の性格が変わってしまう、ということがあった。バッハの時代に確立された音楽の技術、方法というのは、その名の通り「平均」化、どの調で演奏しても同じだ、という均一化を齎したのである。そしてちょっと考えてみれば分かるが、そういう均質的な空間がなければ、クラシックであれポピュラーであれ、曲を作る、編曲するとかは困難である。勿論、バッハ以降も、それぞれの調によって微妙に性格が異なることは聴き取られており、そこから、バッハの『平均律クラヴィーア曲集』、ショパンの『24の前奏曲』など、全部の調で作曲してみる、という試みが出て来る。

音楽はバッハ(バロック)以後、古典派、ロマン派と展開したが、そういう調性音楽の「理論」、というか、具体的に和声、和音がどうなっているのか、というエッセンスが、楽典の教科書に書かれている。そして、バークリー・メソッドと言われているものは、そういう近代の純音楽の経験、精華を、平易化、通俗化、記号化したものなのではないのか、と考えてみるべきである。

バークリー・メソッドについて、それを誰が確立したのか、というようなことについて、菊地成孔大谷能生の興味深い議論があるが、重要なのは、当たり前のことだが、アメリカのバークリー音楽院の音楽教育と結び付いているということであり、時代と共に教習内容が変化してきている、ということである。例えば、近年は、バークリーの教育の終わり、総仕上げは、パソコンによる入力、打ち込みなどの電子機械の操作技術の講習である。ごく普通に楽器を演奏したり作曲、編曲が出来るという以外に、そこまでやれて、現代では職業音楽家として通用するのだ、ということである。

それから、バークリーが、例えば、秋吉敏子渡辺貞夫小曽根真上原ひろみ山中千尋などの優れたミュージシャンを生み出し続けているというだけではなく、現実的にいえば、そこで養成された生徒の多くが、映画音楽やTVのサントラなどを制作する技術者になる、ということも大事である。日本でも状況は同一なのだが、クラブ、ライブハウスでの演奏やレコード、CD制作だけで生活できなければ、スタジオ・ミュージシャンになるしかないし、実際、ハンク・ジョーンズは10年以上第一線を退いてそういうことをやっていたわけである。日本の現実で、生活費を得るためにスタジオの仕事をしなければならない、というのは、楽譜を読め、色々な状況に適応できるタイプの音楽家が絶対的に有利だ、ということを意味しており、そういう条件がない人々、例えば、フリー・ジャズの即興演奏は優れていても、譜面を読んでその通りに演奏したり、企業の要求に合わせることができない人々は、スタジオの仕事をやることはできず、建設現場で肉体労働をするしかない。そして、アメリカ、ニューヨークなどでも同じであるようで、例えば、フィニアス・ニューボーン・Jr.は道路工事で生活費を稼ぎながら夜はピアノを弾いていたそうである。

ジャズの「理論」は何もバークリー・メソッドだけではないが、ジョージ・ラッセルのリディアン・クロマティック・コンセプトの問題は秘教的だということであり、オーネット・コールマンのハーモロディック理論の問題は、オーネット以外誰もそれを合理的に理解、実践できないことである。

マイルス・デイヴィスが『カインド・オブ・ブルー』で実現したモード奏法だが、マイルスはそれでほんの数枚CDを作っただけで、その後は別の音楽、フュージョンとかクロスオーヴァーなどと言われるような、ロックのリズムと大音量の電気楽器を大胆に取り入れたものに変貌していったのではないだろうか。

フリー・ジャズに「理論」があるのかどうか知らないが、コードを徹底的に複雑化してみた後、それでは行き詰まりだから全部放棄して「自由」にやる、ということだろうが、自分でもし試してみれば、本当に何もかも「自由」にやることでどういう困難に遭遇するかがすぐに分かる。

そして、ジャズにおける最大の理論家といえば、レニー・トリスターノであり、彼は「ミュージシャンズ・ミュージシャン」として今現在も幅広い音楽家に深い影響を与え続けているが、ビバップともフリーとも異なる彼独自の音楽についての考え方、技術、方法論がどういうものであったかというのは、トリスターノ・スクール、トリスターノ楽派など以外にとってそれほどはっきり分かっている、というわけではない。