音楽の枠組み、その条件

近代ヨーロッパで確立された音楽の規範について、それを批判的に吟味して乗り越えようという試みが続けられてきている。それは、現代音楽であれジャズであれ、同じである。

バッハの平均律以来、我々が熟知し日々経験しているような調性が生まれた。さらに、それは観念的な理屈だけではなく、近代的な仕方で発達し改良されてきた楽器の数々によっても、技術的に実現された。例えば、チェンバロハープシコードからフォルテピアノ、さらには19世紀に、我々が知るようなグランドピアノなどに進化、変化してきた鍵盤楽器などである。それは近年では、シンセサイザー、電子ピアノなどになっているが、そういうものとアコースティック・ピアノのタッチや響きが違う、というのは、当たり前のことである。具体的なモノとしての楽器でなくても、編成も問題であり、例えば、近代的な大編成のオーケストラ、交響楽団が実現するのは19世紀後半なのではないだろうか。ジャズにしても、初期のビッグ・バンドからモダン・ジャズにおけるスモール・コンボ、ピアノ・トリオなど様々な編成があるわけである。

フリー・ジャズを検討する前に、ヨーロッパの音楽を検討すると、最初にそれまでの主流で伝統的な音楽に異を唱え、別の音楽を実現したのは、シェーンベルグと彼の新ウィーン楽派である以前に、エリック・サティなのではないだろうか。サティのロマン派への批評は、現代の我々にはむしろ分かり易いものだが、それは、主体とか濃厚なロマン的感情、自己表現などへの違和である。そういうサティにとって、彼自身の音楽は「家具」のようなものだったが、そういう発想は今日の環境音楽などにダイレクトに繋がるし、むしろ、最近の試みより遥かに徹底してラディカルであり、面白いものである。

それからシェーンベルグが現れたが、彼はかつてのブラームスに似て、実は保守的な傾向の人だったが、結果的に新しいものを実現してしまった、というタイプである。特に音楽教師としての彼を特徴付けるのは、当時のウィーンの知識人に共通したことだが、非常に濃厚なペシミズムである。彼は、自分の生徒連中が作曲が不可能になるようにするために音楽教育をやっていたのだ。ところが、楽天的なジョン・ケージは、老いたるヨーロッパのそういう抑圧を、いとも簡単に撥ね除けてしまった。

ジョン・ケージピエール・ブーレーズメシアン、ヴァレーズ、シュトックハウゼンなど多数の現代音楽の人々がいるが、ジョン・ケージについていえば、後年の根本的な「偶然性」に到達する前に、インドの音楽に惹かれ、それを参照していたことに注意すべきである。『プリペアド・ピアノのためのソナタとインターリュード』がそうなのだが、そこで実現されているものを、マイルス・デイヴィスのモードと比べたほうがいい。モードにおいても問題だったのは、近代の音楽における和声、和音よりも、古代の旋法であった。それから、プリペアド・ピアノは、実験のための実験ではなかった。ケージは、打楽器オーケストラのために曲を書きたかったのだが、当時まだ若く無名だった彼にはそれを実現する経済的余裕がなかった。そこで、ピアノの弦に消しゴムなどの物を挟むと、響きや音色が変わり、ちょっと打楽器のように聴こえる、というところから、打楽器オーケストラの代理としてプリペアド・ピアノを発想したのである。

フリー・ジャズを検討すると、そこに「理論」があったのかどうかは不明だが(オーネット・コールマンのハーモロディック理論を除く)、中上健次が『破壊せよ、とアイラーは言った』(集英社文庫)で書くような、「コード」との闘争、格闘というような、具体性がまるでない抽象、観念だけのレヴェルで捉えるならば、そういうものが成果などなく自滅するのは致し方がないことである。

現代の高橋悠治などが実行したことは、そういうふうに、それまでの規範、秩序などを、いきなり抽象的に全部否定し解体するということではなかった。クセナキスに師事し電子音楽を作曲していた彼が、コンピューター、ピアノ、楽譜などを突然全部棄ててしまい、水牛楽団などに向かって以降、彼は、非西洋世界、近代以前の世界の音楽を探究し続けている。例えば、日本の伝統的な音楽、純邦楽雅楽などである。

そうするとどうなるかといえば、そこには、バッハ以降の均質的な音楽空間などないのである。簡単に技術的にコピーしたりあれこれ移すことができないものではあるが、そこに「多様」な音楽が実現されているということは、どうみても事実である。そういう現代の音楽の試みについては、近代を止揚するには前近代を積極的に参照しなければならない、と考えた花田清輝アヴァンギャルド芸術論などを想起すべきである。