セロニアス・モンクのソロ演奏

そういう「理論」の問題もあるが、少し思い出してみると面白いのは、セロニアス・モンクがパリで最初のソロ・ピアノのアルバムである『ソロ・オン・ヴォーグ』を吹き込んだとき、彼が演奏したピアノがどうみても調律が狂っており、それが、記録された音や和音の奇妙な歪み、不思議な感覚に繋がっている、ということである。

そしてモンクは確か4枚、ソロ・ピアノのアルバムを作ったが、『セロニアス・ヒムセルフ』、『アローン・イン・サンフランシスコ』はともかく、後に未発表音源を含めて『モンク・アローン』という2枚組で再発される『ソロ・モンク』においては、調律が完璧なピアノ、それも恐らくは非常に高価で豪華なピアノを使っている。

音楽的な内容の吟味以前に考えたほうがいいのは、1950年代、1960年代などは、ジャズ・ピアニストが世界各地に音楽旅行をし、いろいろな土地でジャズ・クラブで演奏するとしても、調律が狂っていたり、楽器が滅茶苦茶な状態である、というような現実は、非常にありふれていた、ということである。オスカー・ピーターソンは、そういうことが非常に不愉快だったから、契約書には必ず、良いコンディションのピアノを用意すること、さもなければ自分は演奏しない、という一文を必ず入れていた。そして、モンクにせよ、彼が演奏活動を突然全部やめてしまい、何もかも放棄してひきこもったのはどうしてなのか、ということについて、ランディ・ウェストンは、世界各地のライヴ・ハウスなどの技術的な環境が酷過ぎて心底厭になってしまったのではないか、と推測している。ウェストンの考えが当たっているかどうかは分からないが、モンクが有名になり、世界中で演奏活動を展開していた時代に、ジャズ・クラブの楽器の状況が酷かったというのは歴史的な事実である。念のためにいえば、現在はそういうことはほとんどない。

モンクの音楽の問題に戻れば、1960年代の『ソロ・モンク』には色々問題というか、論点があるわけである。それは、伝統的なストライド奏法に回帰していること、そして、かつてのモンクの演奏を特徴づけていた不協和音の多用が影を潜めていることである。この録音からは、モンクが元々モダンなどではなく、むしろ非常に伝統的なところにルーツがある音楽家なのだということがよく分かるが、それでも大事なのは、モンクが伝統そのままではなく、そこに極めて特異なデフォルメを加えたということで、そういうことは、彼以前も彼以後も、全く誰もやらなかったのである。