パゾリーニ

さっきのエントリーで、パゾリーニの『アッカトーネ』にプレカリアート芸術の端緒を見る、みたいなことを書いたけれども、パゾリーニという人はその作品総体がプレカリアート的だと思う。つまり、都市の貧困な若者の生態を、俗語なり方言をふんだんに使用して描くというスタイルがプレカリアート的だといえるのではないか。

私は、大学院生の頃、渋谷で催されたパゾリーニ映画祭に行って、彼の全作品を観たけれども、どれも面白く問題提起的なものだと思った。自分としては初期のもの、特に処女作『アッカトーネ』に惹かれる。

ヘンリー・ミラー

ヘンリー・ミラー、特に『南回帰線』にプレカリティの萌芽を見る、というのもそれほど外れてないんじゃないか。ミラーの小説には、無職でボヘミアン的な生活をしていた時期のことも、突然一念発起して企業に勤めた経験も、ふんだんに盛り込まれているし、形式的にも旧来の文学の約束事を一切無視しているから、面白い。

ジャック・ケルアックらビート・ジェネレーションも、フリーターのはしりみたいなもので、例えば3ヶ月働いては3ヶ月創作活動をする、といった生活スタイルを確立している。確かギンズバーグだったと思うけれど、この国(アメリカ)で「詩人」たろうとすれば、必然的にブルーカラーの(しかもパートタイマー的な)労働者であるほかない、という意味のことを言っている。それは、大学内で安泰な旧来の文学研究者のイメージを覆す提起だったと思う。

ビート・ジェネレーションといっても、ケルアックとバロウズで色合いというか、肌触りが大分違う。ケルアックはスピ系(?)っていうか、何か没入・法悦・超越みたいなのを夢想する傾向があるけれども、バロウズは無機質で、闘いなりに貫かれている。バロウズの世界観は非情である。わけのわからぬ言語=ウイルスとか、生成、変身などに満ち溢れているのが彼の世界だ。

ジャンキー (河出文庫)

ジャンキー (河出文庫)

とか、

たかがバロウズ本。

たかがバロウズ本。

とか、

おかま

おかま

とか、

おぼえていないときもある

おぼえていないときもある

読書会という名のお喋り

中国にいる倉数茂(id:shiku)さん、id:sz9さん、青木さんhttp://blogs.dion.ne.jp/hatopoppo_critic/とチャットでドゥルーズの『意味の論理学』の読書会をやり、お喋りに興じる。私はジャズなどのことを喋り、至福の時を過ごす。

意味の論理学〈上〉 (河出文庫)

意味の論理学〈上〉 (河出文庫)

『生きさせろ!』の位置づけ

http://d.hatena.ne.jp/sz9/20070531

ここでid:sz9さんが提示している枠組みに興味がある。雨宮処凛『生きさせろ!』を、戦前から続くドキュメンタリー文学の歴史の一環として理解し、位置づけてみたいという思いはある。それだけの労力に値するテキストだと思うし。

生きさせろ! 難民化する若者たち

生きさせろ! 難民化する若者たち

概観

何故NAMにコミットしたか?

私は早稲田大学在学中(学部及び大学院)、学生運動なり左翼運動に対して批判的であり、自らはほとんど関与しなかった。(「新学館闘争」は別である。)それは当時(1994-2000年)の早稲田大学が、革マル派http://www.jrcl.org/と呼ばれる左翼セクトに実質上支配されていたからだった。

中核VS革マル(上) (講談社文庫)

中核VS革マル(上) (講談社文庫)

これと、これ。

中核VS革マル(下) (講談社文庫)

中核VS革マル(下) (講談社文庫)

私は、彼・彼女らが「内ゲバ」と呼ばれる紛争で多数の死傷者を出していたのに、そのことを公的に総括・反省せず、かつての自らの暴力性を隠して活動していることに、強い批判を抱いていた。

また、早稲田のノンセクト・ラジカルの運動も問題的だった。当時から今に至るまで、早稲田のノンセクトの運動を指導・支配しているTという人物がいるが、彼の手法は民主主義的でなく、精神論・根性論に終始していた。そしてそういう運動に希望を見出せず、私の友人の多くは精神的に破綻したり、転向したりした。そのことに対して怒りを抱いていた。

NAMの運動を文芸誌で知り、早速インターネットで検索してNAMの原理を読み、ただちに賛同したが、その理由は主に次の2つだった。

  • NAMが非暴力を掲げていること。
  • NAMが参加的民主主義を掲げていること。

私は、レーニン主義的な「党」建設を謳う左翼に共感したことは、いまだかつて一度もないが、NAMは徹底的に非暴力を貫いて革命を目指し、且つ、組織内において参加的民主主義を貫くことを謳っていた。私はそれに、旧来の左翼運動の欠陥を率直に認識し批判する身振りを見て取り、好感を抱いた。

しかし、始まったばかりのNAMは、早くも崩壊の危機を迎えていた。スペースAKにおける空閑明大らの一派が、NAMを「党」的に独占しようとしていた(少なくとも、他者に恫喝などを繰り返していた)という問題があったのである。私はその問題があることを知って、NAMをただちに辞めようと考えた。というのは、こうした紛争に関して、私がやれることは何もないと思ったからである。辞めなかったのは、柳原敏夫=朽木水(NAM法律系代表)らに人間的な共感を抱いていたからであった。

初期NAMの大阪/東京の不毛な対立は、柄谷行人の「独裁」的身振りにより、つまり自らの権威と権力を最大限発揮し、異論を唱える者を容赦なく排除するといった仕方で、終息した。当時の柄谷行人のNAM代表としての権力発動には、賛否両論であり、例えば後にNAM代表になる田中正治などはその権力主義的な手法にあからさまな嫌悪の念を表明していた。つまり、かつての新左翼そのもののやり方だというのである。ここにNAMの理念と実態の大きなズレという深刻な問題が表面化した。つまりNAMは、理念としてはかつての旧左翼や旧新左翼などを理論的にも実践的にも乗り越えるはずのものであったのに、旧来と変わらぬ権力的手法を用いて運営されていたのである。そしてその権力主義が、NAMがまだ未成熟であるという理由で正当化された。が、しかし、後のNAMにおいても、Q-NAM紛争というかたちで繰り返されるのである。

NAM官僚として

私はNAM内部で、NAM官僚として振る舞った、というよりもそうしようと努力した。というわけは、NAMにはまだ、ちゃんとした組織も、システムも欠けていたからである。私は自分の非力を自覚しつつ、今は過渡期なのだからと自らに言い聞かせて、媒介者としての役割、つまりシステムを構築し、議論を活発化させる者としての役割を担おうとした。

NAMの内部事情をいえば、その出発の責任者の一人である、NAM協同組合系の代表・高瀬幸途は、NAMに集まってきた学生らや若者らを見て、早々にNAMを見限ってしまっているという状況があった。私は、そうした状況を深刻に捉えつつ、彼を見返してやりたいとの思いでNAMの運営に尽力した。

Qプロジェクト

NAMは停滞していた。そのなかで、これしかない、と賭けるように打ち出されたのが、地域通貨LETS-Qのプロジェクトであった。それは北海道大学西部忠が主導したものであったが、NAMの理論は、簡単にいえば地域通貨などアソシエーション的交換を深化・拡大することで資本制を揚棄するというものだったので、LETSはいわば理論的・実践的な要であった。多数のNAM会員がQプロジェクトに関わり、尽力するというのは自然な成り行きだった。

しかし、現場では深刻な乖離が自覚されていた。つまり、理念としては国家と資本の揚棄を謳いながら、自分達が実際にやっていることはフリーマーケットの開催でしかないというあまりにも大きなズレをどう捉えればいいか、迷いがあったことも事実なのである。そんな中、紛争が勃発した。

柄谷通貨戦争

きっかけは、柄谷行人がQプロジェクトのオフ会(京都・南無庵で催された)に出席したことである。柄谷行人は、徹夜で西部忠を問い詰め、Qの幹部である宮地剛穂積一平を辞めさせるように迫った。西部忠は最後まではっきりした返事をしなかった。結果、柄谷行人は、近畿大学市民通貨プロジェクトへの招聘を取り消すメールを西部忠に送り、それを北海道大学に通知したのである。

そのことをきっかけに、柄谷行人西部忠の関係は悪化した。のみならず、NAMとNAMが生み出したQの間の関係も滅茶苦茶になっていった。この対立が表面化したのは、柄谷行人による『Qは終わった』というエッセイの対外的公開であった。それは、かつて一緒にやってきた人達への、非情な罵倒の言葉が綴られ、そしてありもしない贋物の「希望」が語られていた。つまり、結局現実化しなかった「市民通貨」というやつだ。

柄谷行人関井光男らパシリは、Qを告訴する、といった虚喝を繰り返し、NAMは組織としてもう持たなくなっていた。NAMは何ら実りがないまま、無様なかたちで解散した。

NAM再建

NAM再建はほとんど不可能なように思われる。多くの人達にとって、NAMの経験は思い出したくない過去である。理論的にのみならず、人間的にも傷を負ったからだ。また、他者を傷つけもしたからだ。

日本における、全く非暴力的で民主主義を貫くような左翼の実験は、失敗に終わったと言わざるを得ないかもしれない。しかし、その瓦礫の中から、新たな生命なり運動が生まれてくることを私は願っている。

NAM―原理

NAM―原理

とか、

可能なるコミュニズム

可能なるコミュニズム

とか

トランスクリティーク ― カントとマルクス

トランスクリティーク ― カントとマルクス

とか

NAM生成

NAM生成

今月のライブ予定

6/2(土)鶯谷のWhat's upでジャムセッションに参加。19:00-
http://uguisudani.xxxxxxxx.jp/

6/3(日)芸音音楽アカデミーファンキー・シーズのライブ。18:00-
http://geion.free100.tv/

6/9(土)交流イベントスペースあかねで津軽三味線のライブとJAZZ DJ。19:00-
http://akane.free100.tv/

6/15(金)改憲阻止の集会(日比谷野外音楽堂)で津軽三味線のライブ。夕方頃?(詳細未定)
http://hibiya-kokaido.com/

もしご都合つく方がいらしたら、よろしくお願いいたします。

糸が切れる。

月下の棋士』を持ってタニケンが遊びに来たので、津軽三味線を披露するが、2曲目で2の糸が切れてしまう。新しい糸に替えるが、繋ぎ方がよく分からず、来週月曜に先生に習いに行く時に教えてもらうことにする。

月下の棋士 (4) (小学館文庫)

月下の棋士 (4) (小学館文庫)

とか、

月下の棋士 (1) (ビッグコミックス)

月下の棋士 (1) (ビッグコミックス)

9条改憲を許さない6・15共同行動

http://www.jca.apc.org/kyujokaikensoshi/
2007年6月15日(金)午後6時 日比谷野外音楽堂→銀座デモ

私たちは心から呼びかけます。
9条改憲に反対する行動への意志と決意を持っておられる、すべての世代の人たち、すべての皆さんに、「9条改憲を許さない6・15共同行動」への参加を呼びかけます。

掲示板もろもろカキコよろしく

闇の運動共謀室
http://otd12.jbbs.livedoor.jp/1000033229/bbs_plain

nutty queer associationist掲示
http://otd10.jbbs.livedoor.jp/1083659/bbs_plain

楽天使
http://9118.teacup.com/femmelets/bbs

amour9 9が好きなの!
http://jbbs.livedoor.jp/news/3692/

Q-NAM talk
http://jbbs.livedoor.jp/business/5417/

ZAKIさん参院選に出馬

転送・転載歓迎。重複深謝。

ぼくの知り合いのZAKIさんというミュージシャンが、9条ネットhttp://9jo-net.org/から参院選に立候補することになりました。以下がZAKIさんの決意表明です*1

ホームページ・ブログもあります。ご覧いただければ幸いです。皆さんの応援を心からお願いいたします。

http://www.zaki8.com/
http://zaki.seesaa.net/

参院選に臨む決意表明

ZAKI

戦争推進法案群を次々と強行採決して行く政府与党の策動に対して、今こそ国政に対し決起すべき時がやって来ました。

この先、共謀罪法案を通し、国民がモノを言うことさえ出来ない状況に追い込もうとしています。

さらには金を貢ぐ大企業ばかり儲けさせ、庶民の正規雇用を奪い格差社会化を加速。

弱者障害者を切り捨て、儲け主義のための自然破壊は止まる所を知りません。

こんな政治が続けば、日本は、いや人類は確実に滅んで行くでしょう。

国民がこの惨状をリアルに認識すれば、許しておくわけがありません。

ミュージシャンとして、この10年の自給自足の実践を踏まえ、この現実をまだ知らない多くの人々に、歌と叫びで訴えかけて行きます!

今後、毎年数十兆という国債の借款が押し寄せて来ます。

すでに完全に破綻している財政が、顕在的に崩壊する可能性も高まっています。

財政破綻による激動と、食料、エネルギー危機にも備えておく必要があります。

その時は、自公政権を全員引責追放するチャンスでもあります!

国民がそれを乗り越えてゆくための道程もしっかり提示して行きたい。

日本国民の、いや世界中の生存権が奪われようとしている。

憲法9条は絶対に変えさせない!

与党の悪政をみんなの力でブッ止めてやりましょう!!

*1:Kさんという女性の方から、ZAKIさんの決意表明には「ジェンダー平等」が謳われていない、これは女性に訴えていないのと同じことだ、という批判が寄せられましたが、私はその批判に賛同しません。ZAKIさんの文章が、特に男性だけを特権的に優遇するものだとは私には読めません。それはKさんのいちゃもんではないでしょうか。男であれ女であれ、男でも女でもない人であれ、平和というものは必要なのです。平和は、生存のための基礎的な価値です。それはありとあらゆるジェンダー属性の人に開かれているはずのものです。

コブクロ

うちのバンドのベース(元氏さん)に「今何が流行ってるの?」と尋ねてみたら、「コブクロ」という答え。私は聴いたことないです、ハイ。流行に乗り遅れている私。ま、TSUTAYA会員になったから、聴いてみてもいい。3,000円払ってCD買う気にはならんが、数百円でレンタルするくらいならいいっしょ。

NHK教育で

音楽番組を観ているが、アルゲリッチも老いたねぇ。私なんかいつまでもデビュー当時のイメージが脳内に定着しているから、凄い違和感あるよ*1。クラシックもいいねぇ。最近あまり聴いてないけど、また聴いてみようと思った。

*1:っていうのも、私がアルゲリッチを聴いていたのは中学生の頃、今からもう15年以上前のことだからだ。

左手のピアニスト

舘野泉http://www.izumi-tateno.com/NHK教育で観ているが、澄んだ音色に感動する。今日の音楽番組は、とても内容が充実していそう。後半、別府アルゲリッチ音楽祭http://www.argerich-mf.jp/の映像も流れるようだが、別府は私の出身地でもある。別府が文化的に栄えているらしいのは、嬉しい。

マルタ・アルゲリッチ

今久々にアルゲリッチ観ている(バルトークのコンチェルトを弾いているようだ)。やはり素晴らしい。こうした豊かな音楽に耳を傾けないというのは、本当に勿体無いね。これからはTVとかラジオとか、まめにチェックしよう、と思った。