2012-07-12から1日間の記事一覧

日本文芸家協会、永山則夫問題など。

歴史を振り返れば、日本文芸家協会が永山則夫の入会を拒絶したことに抗議する、という理由で、柄谷行人がいきなり日本文芸家協会を脱退したという出来事があったが、そのときは、確か、中上健次と筒井康隆が同調したはずである。確かに、殺人犯だから永山の…

文化と労働

哲学は日本に根付いていないのではないか、という疑問は当然あり得るが、では、文学者とか文芸批評家ならいいのか、というと、そういうわけでもないはずだ。歴史の事実をいえば、近代の日本で、筆一本で喰っていけたのは、1970年以降の吉本隆明だけで、それ…

「哲学」という労働

私は哲学はそもそも職業にならないのではないか、と思うが、大学に哲学専攻とか哲学科があるのは事実である。哲学が職業とか生活、収入に結び付かない、ということは、そもそも大学教育の意味、機能、役割などを再考させるが、例えば、直ちに実利にならない…

「音楽」という労働

私は千葉県立津田沼高等学校というところに進学したが、その理由は、音楽コースがあったからである。現在の津田沼高校にもそれはあるが、音楽コースがどういうものだったか説明すると、音楽高校に入り音楽大学、芸術大学を目指すほど専門的ではないが、音楽…

労働とパフォーマンス

昨日、社会を構成する全員が物書き、独立小生産者になればいい、という『国家民営化論』を批判し、そもそも労働が全部美的、芸術的な創造行為になどなるはずがない、と述べた。地味で即物的な労働が大量になければ、一社会が存続できないのは自明である。食…

美学とその対象性

miyaさんが「美学」に定位したいことについて、あれこれ批判するつもりはないのだが、私自身の考え方を申し上げれば、次のことである。芸術作品の内容などの規定を無視したただの社会学的分析と言われるかもしれないが。それは、「物」、「商品」、「美的な…

「労働」を巡って

江戸時代の労働のありようがどうだったのか、はっきりとは分からないが、我々が断片的に得る情報、資料からは、少なくとも明治以降とは違うようだ、ということになる。例えば、農民のほか、職人などとして存在していたが、近代的な労働者と比べれば、労働規…