文化と労働

哲学は日本に根付いていないのではないか、という疑問は当然あり得るが、では、文学者とか文芸批評家ならいいのか、というと、そういうわけでもないはずだ。歴史の事実をいえば、近代の日本で、筆一本で喰っていけたのは、1970年以降の吉本隆明だけで、それ以外の批評家の大多数は大学と関係があったし、小林秀雄はどうだったかといえば、最近Twitterで寄せられた情報を信じるならば、戦前・戦中はともかく、戦後は新潮社の顧問をしていたそうである。批評家などの知識人も、経済的に成り立たなければ存在できない。例えばすが秀実はどうかといえば、彼は、日本読書人新聞の編集長を辞めて批評家になったが、非常に大変であり、保守派の論客である西部邁の世話にならなければならなかった。すがの状況が改善されたのは、柄谷行人の推挙で近畿大学の教授になったからであり、すがは、批評家、物書きでは喰っていけないが、大学教授なら喰っていけるのだ、とよく語っていた。それはその通りだ。

柄谷行人の推薦で近畿大学と関わりを持った知識人は結構な数がいるが、その後、2005年くらいではないかと記憶するが、柄谷行人近畿大学に不満を持っていきなり辞職してしまう、という出来事があった。だが、それに同調したのは、彼が近畿大学に招いた人々のなかで、関井光男だけであった。というのは、大学との関係は、別に思想的な問題、倫理的な問題だけではなく、柄谷との人間関係の問題だけでもなく、現実的で経済的な問題だったからである。当たり前のことだが、すが秀実は大学を辞職などしなかった。

ちなみに、私はたまたま、柄谷行人近畿大学辞職予告、辞職宣言をぶち上げた現場に居合わせ、非常に驚いたことがある。彼は、近畿大学コミュニティカレッジの人文科学研究所の所長というポジションで、いろいろなことが自由にやれていたはずだが、全部思い通りにならなかったので、苛立った、ということだったのだが、或る晩、彼が、取り巻きの編集者連中を引き連れて文壇バー『風花』に入ってきた。そして彼は、編集者達に、近畿大学など自分が「やめる」、彼の表現では「失礼します」と一言いえばそれで終わりなのだ、と豪語していた。私はそのことにびっくりしたのだが、その後少しして、彼は、自分の言葉を本当に実行してしまった。

そういう周辺のことを少しいえば、例えば、精神分析は日本になかなか導入できない。そして、それは、フロイトラカンがどうなのかという思想的、理論的な問題だけではない。事実上、本気で精神分析を実行しようと思えば、多額の金銭と時間が必要だが、そういう余裕がある人々が実際にはほとんどいない、ということなのである。ヨーロッパのことは知らないが、アメリカの事情もほぼ同じだ、ということを倉数さんから聞いたことがあるが、彼によれば、アメリカでは、別に精神病などで困っているわけではなく、ただ単に自分探しというか、「主体の真実、真理」などを探究するために膨大な金銭と時間を費やして精神分析に没頭する一部の富裕層がいる(或いは、過去にいた)そうである。もしそうなのだとすれば、精神分析とは一体何なのか、と深く疑問だが、そういうことは何も精神分析だけではないはずである。