「哲学」という労働

私は哲学はそもそも職業にならないのではないか、と思うが、大学に哲学専攻とか哲学科があるのは事実である。哲学が職業とか生活、収入に結び付かない、ということは、そもそも大学教育の意味、機能、役割などを再考させるが、例えば、直ちに実利にならない一般「教養」を与えるのだ、というかもしれない。だが、大学生及びその親は、高額な学費を支払う、つまり、教育に投資するわけである。もし見返りが全くなく、最初からそれが分かっていることだ、というのならば、一体どうなるのだろうか。

自分自身の大学、大学院の想い出を振り返っていえば、私には、西洋哲学専攻、しかも、フランス哲学のことしか分からないが、少なくとも20世紀の終わり頃の状況はこうであった。私自身には関係がなかったが、文部科学省が一定の点数による評価を導入しており、例えば、或る雑誌に書けば何点、学会で発表したら何点、と決められていた。そして、文部科学省の基準をクリアしなければ大学に就職できない、というようなことである。

現実問題としてどういう条件があったのか、もう少し検討してみれば、東京大学とか東京大学の大学院の出身者しか大学教員になれないわけではないが、東大の人々は色々な意味で就職に有利である。彼らは元々非常に優秀であるだけではなく、東大関連の人脈、繋がりもあるからだ。それから、フランス哲学専攻であれば、大学の学部でなくても、修士の段階で、フランスに留学してフランス語とかフランス哲学を専門的に学んでおくことは、極めてプラスである。根本的には、博士課程に進学していなければ、最初から大学で教える道はないが、20世紀の末、修士から博士に進学する基準がいきなり厳しくなった。その結果どういう事態になったかといえば、私と一緒にドクターへの進学試験を受けた人々が、なんと、全員落とされたのである。私は、別に自信があるわけではないが、自分達の世代が全員能力がなく駄目だったのだ、とは思わない。それとは別の理由があったはずである。それは、個別に早稲田大学当局なら早稲田大学当局の運営方針、経営方針が変わった、というだけではなく、そもそも、国、文部科学省の方針、大学院生についての方針が変わったということで、早稲田大学はそれに追随したということであったはずである。

粘り強い人々は、翌年以降も試験を受け続けたはずだが、私は、うんざりしてもう辞めてしまった。そして、大学との関係を切断したのである。そういうことが良かったのかといえば、良くなかったと思うが、しかしながら、やむを得なかった、ということである。

研究室のことを少し回想してみれば、大学院生は、生活のために予備校で英語などを教えている場合も結構あった。そして、やっていけなければ、「哲学をやめる」、という結論に到達してしまった先輩もいた。私は、その事実を、その後、大学の指導教官であった教授から聞いたのである。そういうことは暗澹たることだが、それが現実なのだ。当時についていえば、大学院生のなかには、いきなり失踪し、いなくなってしまった人々もいた。そういう人は、例えば、寺の息子で、そういう関連から哲学を学び始めたのだが、状況は厳しかった、というわけである。私がいうのも、他人事ではなく、非常に生活に困っているのだ。