労働とパフォーマンス

昨日、社会を構成する全員が物書き、独立小生産者になればいい、という『国家民営化論』を批判し、そもそも労働が全部美的、芸術的な創造行為になどなるはずがない、と述べた。地味で即物的な労働が大量になければ、一社会が存続できないのは自明である。食糧や生活必需品などのモノを生産する人々がいないならば、我々は具体的にどうやって生活していけるのだろうか。

それはともかく、起源としてはフーリエ、そしてそれ以降としてはウィリアム・モリスラスキン柳宗悦ということだが、現代、というか、20世紀終わり、1980年代以降、類似の考え方が提起されている、ということはよく知られている。

例えば、必ずしも「労働」ではなく「生」ということだが、フランス語の原語では"existence"が使われているような、死ぬ間際のフーコーの「生存の美学」がある。"existence"という単語が用いられているから、フーコー実存主義に逆戻りしたのだ、などと錯覚、早合点すべきではないであろう。"existence"にここではそれほど深遠な思弁的意味などないのである。我々自身の生、というくらいに考えておけばいい、ということだ。

1980年代のフーコーの発想は、我々自身の生を美的にし、芸術作品にすべきだ、ということである。どうして彼がそう考えたのかはよく分からないし、生存の美学とかいうものが、具体的にどう展開可能なのかも全く不明である。ただ一つ推測できるのは、そういう考え方の源泉に以下のふたつのことがあるのではないか、ということである。ひとつは、彼の権力論から出て来る隘路、袋小路である。もうひとつは、当時のエイズ禍である。

前者から申し上げれば、ただ単に形式的に、言葉のうえで、概念的な思考を徹底させると、「権力諸関係の外部はない」、という結論になる。どういうことかといえば、1968年のパリ五月革命で、「敷石の下には歩道」、だったか、とにかく、アスファルトの敷石のような人工的なものを引き剥がしてしまえば自然に到達するのだ、というようなスローガンが唱えられていたが、フーコーの考え方では、人工的なものを引き剥がしたり顛覆したりしてみても、そこに見出されるのはやはり人工的な何かであり、出口はない、ということになる。そうすると、何処か安心できる自然に到達して落ち着けるということはあり得ず、絶えず戦略を変更しつつ立場、位置を変え続けなければならない、という不断の、というか、果てしのない実践があるだけなのだ、という考え方になるはずである。

そういうところから、一般に目的論的な「終末」なり終わりと捉えられることが多い「革命」についても、フーコー独特の理解が出て来ることになる。確かに経験的にいえば、我々が蜂起したり革命を起こすことも、場合によっては出来るかもしれない。というか、出来るであろう。だが、革命を実行すれば、直ちに権力が廃絶されるはずがないということは、1917年以降の世界史的な経験が我々に教えている。革命以後の新たな体制もまた権力であり、そういう権力が自己否定して無権力状態を現出させるというようなことが本当に出来るのかどうかは、我々には分かっていないのだ。フーコー自身は「革命」よりも「抵抗」という用語を好んだが、「抵抗」に定位する意味を考えてみると、権力がある、権力諸関係があるから抵抗もあるのだ、ということになり、それには終わりなどなく、いつまでも続くことになる。

それでいいのだ、それを肯定すべきなのだ、というのが、『監獄の誕生』におけるフーコー、或いは『知への意志』でもそうだったかもしれないが、権力論を展開していた時期の彼であっただろう。ところが、それだけでいいのか、という、根本的な懐疑が出てきて、そのために、彼は、当初の構想通りに『性の歴史』の執筆を続けることが困難になり、いきなり古代世界に遡行してしまったようである。

別にギリシャ・ローマに帰っても、何も出てこないのではないか、と思うが、フーコーはそうは考えなかったわけである。古代世界に、現代の我々、近代以降成立した条件を自明視している我々とは異なる経験様式があるのは、当たり前のことだが、そういうことを指摘してみたからといって、「生存の美学」とかを確立できるというのは非常に疑わしい。要するに、彼の歴史家としての仕事が、そのまま直裁に「現在」の可能性を切り開くことはないのだ、ということである。

もうひとつの要因、エイズ禍についていえば、フーコー自身もそれに巻き込まれて死んだわけだが、当時、ゲイ・コミュニティに深刻な打撃を与えた。特にアメリカにおいて、性革命、性解放以降、乱交に近い性のありようが肯定され実践されてきたのだが、エイズの大々的な流行は、それを不可能にした。そのことと「生存の美学」の関わりはふたつである。まず、ゲイ・コミュニティのメンバーが大量に死んだから、死、そして生について具体的に省察せざるを得なくなった、ということである。もうひとつは、性的な営み、性的な実践の変容である。その後、エイズについては少し分かってきたし、エイズに感染しても、発症を遅らせたり抑止する対症療法的な薬もあるので、現在エイズは1980年代ほど恐れられてはいないのかもしれないが、当時のことを考えてみると、非常に恐ろしいものであった。性行為によって感染するのだから、セックスは危なくて出来ないということになり、作家のエドマンド・ホワイトが書いていたが、例えば、裸の男達が鏡に自分の身体、肉体を映し出しながら見詰め合う、というような性的な実践、ほとんど禁欲的な実践が出てきたそうである。それは勿論、当時のアメリカの人々が突然道徳的になったとか、性欲が衰えたとか、貞淑、禁欲的になった、とかいうことであるはずがなく、エイズの大流行がそういう実践を余儀なくさせたのである。そして、フーコーがいうような「生存の美学」、とか、生そのものを芸術作品にする、というのは、そういう文脈でしか理解することが出来ないし、また、有意味ではない。

前置きが長くなったが、労働概念について書きたかったのだが、私が言いたかったのは、ネグリ=ハート、特にアントニオ・ネグリ、それからパオロ・ヴィルノなどについてである。ネグリの基本的な考え方は、労働が知的、頭脳的になってきている、ということで、ヴィルノはそれを、言語的、パフォーマティヴなどと理解する。そしてそういう彼らの発想は微妙に違っていて、ネグリヴィルノの間でちょっとした論争もあるようである。その論点を一言でいえば、ヴィルノは「言語」を重視し過ぎているのではないか、ということである。

そういうネグリの批判が正しいかどうかはともかく、我々が思い出したほうがいいのは、廣松渉の「物」から「事」へ、である。ヴィルノの考え方を乱暴に要約してしまえば、「労働」、生産的労働から「パフォーマンス」へ、ということになるのではないだろうか。

そこで重視されるのは、有用なモノ、使用価値を持つモノの具体的な生産、手による生産という意味での「労働」ではなく、純粋としてそれ自体としてあり、そのもの以外に全く何も生み出さないような「パフォーマンス」なのである。ヴィルノはその例として、コンサート・ピアニストのピアノ演奏のパフォーマンスを挙げ、サーヴィスという意味での労働は、そういうものになっているし、ますますそういう方向に向かっていくのだ、と述べる。それはそうかもしれないが、さしあたり我々がいえることは、そういうことで全部やれるはずがなく、どうしてもモノの生産は残るしかないし、そういう条件は、何がどうなろうと不変なのだ、という事実である。