2012-04-15から1日間の記事一覧

フッサール

@sunamajiri 木村敏が文芸批評家(マイナーな人です)に反論して、テキストに即して、ハイデガーにおいては存在は超越的である(存在者に対して超越であるという意味です)といっていましたが、もし彼が正しければ、スピノザの神・自然・実体とは違うという…

ヒューム

ヒュームは懐疑論だというカントも、スピノザは無世界論だというヘーゲルも、ただの誤解だった。ヒュームは、20世紀にそう解釈されるようになったように、自然主義だというべきだし、スピノザにしても、神しかないとか、一切の個物が神へと溶けてしまうとい…

アリストテレス、デカルト

アリストテレスが偉大でも、近世・近代まで知識の一大発展があり得なかったのはどうしてだろうか。少し不思議である。中世においては(イスラーム経由のアリストテレスだが)アリストテレスが無謬の権威と看做されて(彼は「哲学者」という普通名詞で呼ばれ…

アリストテレス『命題論』から

《そして私の言おうとしているのはこのようなことである、例えば「海戦は明日あるあろうか、あるいはあらぬだろうかである」ということは必然である、けれども「海戦が明日行なわれる」ということも、また「行なわれない」ということも必然でない。けれども…

高橋竹山

佐藤貞樹『竹山・その芸の原点』《高橋竹山(本名・定蔵)は明治43年(1910年)、青森県東津軽郡中平内村小湊で生まれた。2つか3つの年に麻疹をこじらせ半ば失明。おなじ年ごろの村の子供がその頃、6 、7人も失明したという。大正2年(1913年)に青森県をお…

フッサールの最後の言葉(「死ぬのがこれほど耐え難いものであるとは思わなかった」)

「死ぬのがこれほど耐え難いものであるとは思わなかった。しかし私は、私の人生を通じてつねに、一切の無益なことを排除しようとこれほどまでに力を尽くしてきというのに……! ある課題の責任を負っているという気持ちにこれほど全面的に深く浸っているまさに…

feel

睡眠薬を飲んだが眠れないので、少し考えを書いておこうと思う。自分にとっては大事なことだが、他人にとってはそうではないだろうと思う。 TwitterやFacebookで幾つかの意見を否定した後、少し考えたことがあった。私は《愛や信仰》を否定したが、しかし、…