2008-09-24から1日間の記事一覧

熟睡

義兄が来たらしいが、私は熟睡していたので、挨拶し損ねた。ちょっと予定外。

マクドナルド→Value's Vフレック→木内酒店

レッスンを終え、母親・攝津照子と二人で買い物へ。途中私は、余りに空腹なので堪えかねてマクドナルドでマックフライポテトのLサイズを購入、路上で貪り食う。そして母親・攝津照子はオオトモの後にできたValue's Vフレックという生鮮食料品店へ。買い物。…

新スレッド立ってる

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1222183814/ さて、どうなる。

音楽を教えるということを考える

津軽三味線の千代田輝次郎先生も、私の母親・攝津照子も、高齢者に音楽を教える仕事をしている。先生方が教えるのを観察していて興味を惹かれるのは、簡単なフレーズの反復練習を重視していることである。地域の高齢者は、一回言ってもなかなかコツを理解し…

芸音音楽アカデミーレッスン中

沢田さんのウクレレの後、福原さんらが来て今カラオケ。 私が教えたり、母親・攝津照子が教えるのを観察していて考えていたのは、記譜法の多様性ということと、「教える」という事柄のことだった。 私は、ヨーロッパのクラシック音楽の記譜法かそれを簡略化…

病院から帰る

S病院でH医師の診察を受けるが、彼の態度は著しく冷淡で、私をひどく失望させた。私は、仕事も始め、人生上の大きな転機だと感じたので、母親・攝津照子と共に病院に行ったのに、H医師は母親にも丁寧な説明や話をせず、私はがっかりした。 とはいえ、それも…

死を考える

死ぬという出来事が存在するというのは、「頑固な事実」(ホワイトヘッド)である。人間であれば誰も、他者や自分の死という現実を無視し得ない。ハイデガーは『存在と時間』で死に対する覚悟性のようなことを述べた。ジャンケレヴィッチは『死』という大著…

死の欲動と器官なき身体(CsO)

フロイトは、死の欲動を、生命(有機的状態)から単なる物質(無機的状態)へと還帰しようとする欲求だと考えた*1。ドゥルーズ=ガタリがアントナン・アルトーから借用した器官なき身体(CsO)という概念も、器官化=有機化に抗う運動であり、理念的な意味で…

生と死

死は非合理なものである。それは事実としてあるが、論理的に正当化できぬし、本当には経験できぬ。古代のエピクロス学派がはっきりと述べた通り、それはわれわれの経験の外にあるものなのである。生が合理的・論理的なものとも言えぬ。が、生は、「自分が生…

カオエランス

●番組名:カオエランス ●番組のURL: http://tds.radilog.net/ ●パーソナリティ名:攝津正 ●放送開始日時、予定放送時間:9/24(水)20:00-21:00 ※ ●本日の放送内容:お喋りします。気楽に聴いてね! ●メッセージ募集要項など:お好きな話題を持ち寄ってくだ…

休日

今日の予定:8:00千葉銀行二和向台支店→9:00過ぎ佐々木病院→帰宅してウクレレ・カラオケのレッスン→昼寝。十分休んで英気を養いたい。インターネットラジオ「カオエランス」は20:00-21:00。