KO魂

一部で「相対化おじさん」とか「説教おじさん」などと呼ばれているらしい。まア偉くもない割に口うるさいからしょうがないかもしれないが、あんたらが何をどうしようとすべて自由だが、ぼくがあれこれ申し上げるのも勝手だろう。もちろん皆さんがそれに耳を傾けないのも自由である。すべて自由である。あんたはあんた、俺は俺。この世はそれがすべてである。その一線を踏み越えてくるんじゃねえよ。バカ野郎。

ということで、別に自分が偉いなどと錯覚していないが、甘く見て貰っちゃ困るってことでさ。一切自慢していないが、中学生の頃から吉本を読み込んできたおじさんのなかには「Can'tのKO魂」が深く入っているのさ。

「cuntのホモ魂」かもしれないが、「共産主義者魂」とかではない。1995年に早稲田大学で新学生会館建設への反対があったとき、革マルノンセクトが揉めた。当時革マルのキャップはKというオヤジだったが、マンガさんなどノンセクト側がちょこっと反抗してハネただけで、第一学生会館の奥の部屋に彼らは呼び出されてさ。恫喝とビンタの嵐だよ。

もちろんぼくはその場にいなかったが、後日マンガさんから「キョーサン主義者だってなら『魂』とかいわないでほしいよなー」と聞いた。半年ほど前ビビンバさんから聞いたが、そのときKの眼には涙が溜まっていたそうだが、ぉぃぉぃ。サヨクのくせに「愛の鞭」かよ。それともお得意の「教育的措置」ですか?(立花隆『中核v.s.革マル』参照) いずれにせよ「ロクなもんじゃねえ」としか申し上げようがないな。

Kのことをこないだ検索してみたら、ヤツはなんとオーガニック・有機農業系の生協のお偉いさんに収まっていた。何だそりゃ。むかし太田出版社長(当時)の高瀬幸途は「70年代の政治の季節に内ゲバなど暴力や殺人がいやな人々が生協運動に向かった」とかトンチキを抜かしてたが、どうやらKにしても、例の「使い捨てのゴミクズ」こと京都のYにしても、現実はまさに逆らしいな。高瀬本人にしても、もと(或いは現?)解放派ってのはほんとうだったんですかね? それはともかく、当時太田出版があったエプコットビルはいつも誰かたちに襲撃されて嫌がらせ攻撃を受けていたね。それはぼくが直接体験し確認した事実だ。そうすると当のあんた自身を含めて、そんなものは偽史でしかなかったってことじゃないのかい? どうなんだ?

とまア一言申し上げてみたが、Kにせよほかの誰にせよ、誰でもいいのだが、いまてめえがそこに収まっているご身分。安泰な地位。快適な生活。そういうものを失いたくないとは思わねえのか? 人間失うものがあるとなんでも怖くなるもんだからな。そうしてそうすると、ぼくはゆるり屋とか恐喝屋とか乞食などではないんだ。カネを寄越せとか利益を供与しろなんてことはいわない。だが、余計な手出しは誰であれやめろよ。もし、やめないならばそのときはとことん徹底報復するぞ。結果は壊滅的だろう。こちらとしては、てめえらの安泰な生活がぶっ壊れようと、「運動」と称する下らねえ裸踊りがぶっ潰れようと一切構わないし、意に介さねえからな。むしろ大歓迎だと断言しよう。

なんだって? 卑劣、卑怯だ? 手段を選ばないのかって? 

何抜かしてんだ。当たり前じゃねえか。ゴミクズを始末するのに手段なんぞ選んでもらえると思ってんのかよ。このバカ。低脳野郎が。てめえらを始末して自分の身を守るのに、手段なんか選ぶわけねえだろう。当たり前のことだ。わかったか。ゴミ野郎。

・・・ということで、余りにも平和でノンキな戦後というか、昭和テイストなアレでさ。「私、小市民の味方です」とか「論壇プロレスの味方です」とか放言してみたいよな。おい九州ヤクザのDNA、小稲葉組のどこが善良なシミン様なんだって? そりは言わねえ約束だろ(笑)