コンファメーション

おはよう。爽やかな朝だ。今日は5月3日。ということは、憲法記念日か? なるほどね。出掛ける予定ではあるが、憲法関連の集会や催しに行くということではない。ディスクユニオンでも散策しようかと考えている。起きてから、トミー・フラナガン・トリオの『コンファメーション』を流している。読書は江藤淳『人と心と言葉』(文藝春秋)の細川護煕と逢った記憶を書いた『公家と武家』(日本経済新聞 平成6年4月24日)を読んだ。もう一つ『政治家の顔』(同 平成6年5月8日)。携帯電話が普及し始めた頃の世相・風俗に触れた『何処も?』(同 平成6年6月12日)。まアありがちな意見とはいえ、何となく面白い。

申し上げるまでもなく江藤淳は保守的な傾向を持った文学者・批評家である。このところ保守的な意見ばかり多く読んでいるし、そうでなければ小説か漫画というところなのだが、昨晩たまたま何げなくデューイ著『民主主義と教育』(松野安男訳、岩波文庫)の上巻を少し読み返して面白かった。昨日のジョークでいえば、田邊元は自分には「カントの啓蒙魂が深く入っている」と言ったそうだが、ぼくだったらもともとプラグマティックな傾向かなあと思う。政治的にどうこうということはないし……。それは全くないし、深遠なところがあるとも思わないな。平凡、凡庸で構わないのだろうけどさ。そうはいってもプラグマティズムの3人組にしてもそれほど日常的に読み返しているわけではない。

そういえば昨日何となしに『天皇陛下の経済学』というユダヤ人の学者が書いた本を紹介したが、そこで思い出したのが千坂恭二さんの神武革命論(これは詳しく読んだわけではなく、氏のネットでの発信を知るのみである)、また、憲法記念日が近いということでそれの特集のテレビ番組なのだろうか。芹沢一也さんがリツイートしていたツイートの画像。コントロールというのはコントル・ロール、他者である。いまの安倍政権の改憲への動きを牽制抑制する他者はアッキー、昭恵夫人公明党だという識者の御意見もである。というのは、Facebookで面識はないが「友達」というか知り合いということになっている方の意見というか論評として、えーと、菊、それから……なんていうのか忘れたが、とにかくみっつ。皇室と公明党創価学会アメリカという、自民党政権の無視できないみっつがあるんだって。その人の意見では、現状をみると公明党創価学会は歯止めというかブレーキ役としてほとんど期待できないが、皇室/今上天皇および皇后陛下(「陛下」とつけるから悪く思わないでいただきたいが……)、アメリカはいまだ機能しているのだという。もちろんぼくは政治には素人だが、何となくそうだなと感じるところがあったのだが、そこでさらにである。

日本というのはややこしいでしょう。『天皇陛下の経済学』の著者も当然論及するように、戦後は申し上げるまでもない象徴天皇制だし、それ以前の歴史を辿っても、天皇自身が直接権力を掌握して表に出ている時期というのは余りなかった。上述のユダヤ人の意見では、神話的な人物である神武天皇を除いて、歴代の天皇に傑出した才気煥発な人物はほとんどいなかったということなのだが、これは天皇制を褒めているのか貶しているのかわからないよね。だがとにかく、表だって直接の権力者であるわけではなく、戦後以降は形式上政治的な発言や行為はできなくなっている立場だということが大事であり、にも関わらず無視することもできないということ。

そのことが露わになったのが半年か一年かくらい前の山本太郎園遊会での直訴事件だったが、当時大騒ぎになったものの、今でもみんな忘れているのではないか? いや、忘れていないかもしれないが、余り語られることが少ないように思いますが。そこにおいて天皇という困難なポジションが露呈したというか、明仁氏個人が憲法や戦後的秩序、戦後的価値の守護や擁護に積極的であるとしても、そのことを政治的に発言したりあからさまに行動できないというのが日本国憲法象徴天皇制の制約で、そうするとパラドックスというか自己撞着になるよね。憲法的体制を守りたいのだが、そのことをあからさまに表現することはそのことの逆になってしまう。完璧に沈黙していては意味がないが、私はこうである、こうしたいということを強く主張することもできない。微妙で複雑な立場である。山本太郎の手紙手渡し問題は、さらにそこに山本氏の訴えの反被曝的内容をどうみるのかということも絡んで複雑化している。

そうして戦前戦後の昭和天皇裕仁氏についても今上天皇明仁氏についても、千坂氏にとってはそれは現体制や秩序を「保守」するものであり、彼のいう(ぼくにはよくわからないというか全くわからないが)革命のためには不在の神武を想定しなければならないという論理構成になっている。最初にその所説を拝読したときには全くリアリティを感じなかったし、いまもよくわからない部分が多いが、これまで実在してきた天皇や、昭和の、またいまの天皇と不在のというか、最初から存在していないなにかというのはわけて考えるべきなのだろうかということをしばし沈思黙考した。

朝はこのくらいかな。

CONFIRMATION

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