凡夫攝津正
Ustream放送、yukie14さんら7名が聴いてくれたが、パソコンの操作を間違えて途中で終了してしまった。聴いてくださっていた方、本当に申し訳ありません。まあ40分は放送したから、許してください。聴き逃した方は録画があるから聴いてみてね。
というわけで、今日もやります毎日やります。
Ustreamライヴ放送毎晩やってるよ(22時から)。http://www.ustream.tv/channel/femmelets
Stickamのほうもやるときはよろしくね。
http://www.stickam.jp/profile/femmelets
なんだか体調は不安定で良くないのだが、心は晴れている。感情的な感動と、知的な認識が共に進んだ感じがする。あくまで主観的にそう感じているだけなので、実際には何の進歩もないのかもしれないのだが。
風邪気味なのか頭が痛い。眠い。だが、NHK FMのJAZZ TONIGHTを聴いている。これは素晴らしい番組だ。いつもそう思う。
今日(正確には昨日)は芸音音楽アカデミーのカラオケの仕事があったので、Youtube録画はできなかったが、明日(正確には今日)頑張りたい。一歩一歩地道にやるしかない。
それにしても、毎日似たような演奏を繰り返している私は、何だか進歩がないような気がするが、どうなのだろうか。私のやっているような、どフリーの音楽を好んで聴いてくれる人はいるのだろうか。少数でもいるとしても、それで生活できるのだろうか。いろいろと想念が頭をよぎる。だが、ヨーガ! 不要な思考(雑念、煩悩)を死滅させること。ふとヘレニズム期のギリシャ哲学の諸派がみな個人の心の平静を追求していたことを思い出した。積極的に快楽を求めるというより、今現に感じている苦痛を軽減するということに関心が向かったのは、東西共に変わりがないということか。ニーチェは仏教は宗教というより衛生学だと言っていたが、衛生学というならヨーガもそうだ。ヨーガは単に体操を意味するのではなく、もともと古代インド哲学六派のうちの一つヨーガ派から来ており、「思考を死滅させる」という意味だと今日知った。とても興味深いと思った。西欧でいえばスピノザやニーチェらが対応するのだろうかと思ったりもした。印象論だが。
哲学者になること
Ustreamでも喋ったがドゥルーズ=ガタリの『千のプラトー』の図式、公的教授/私的思想家でいえば、大学内の知識人が伝統的な宗教諸派だとすれば、大学外、在野、市井の評論家はいわば新興宗教のようなものだ。その脆さ、いかがわしさも含めてそうだ。そして自分は明確に、後者に属している。そのことを自覚した。
大学を放逐されたことを恨んでいるわけでも、自分の選択を後悔しているわけでもない。だが、例えばこのブログ上で、言論活動する以外ないということは、何とも心寂しい、心許ないことである。読書したり研究するのでも、徒歩10分の距離にある船橋市の図書館で入手できる資料だけを相手にそうしなければならぬし、それすら覚束無い有様だ。私は、自分は哲学者だなどと威張っている(?)けれども、実態は無以外の何ものでもないではないか。それにいらだたしく思う。いらだたしいが、現状をすぐ変える方法が見付からない。
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禅ヒッピー
ビート・ジェネレーション(http://bit.ly/fUqY1h)の代表的な作家であるジャック・ケルアックの小説が、『禅ヒッピー』という邦題で出版されたことがある。実際、よりアナーキーなウィリアム・バロウズを除くビートニクはみんな、仏教、特に禅に惹かれていたのだ。尤も後にケルアックは、自分のことを、カトリックの神秘主義者だなどと韜晦することになるのだが。
ビート・ジェネレーションにおいて重要なのは、打ちのめされたという意味と、至福のという意味が重ね描きされていること。至福、beatitude。
と或る新興宗教の指導者が、ヨーガが宗教宗派の枠を超えて全世界的に伝播したのは、思想(信仰)内容に関わらず身体動作で効果を得る技法だったからだと解説していたが、それは或る程度、禅にも言えるのではないか。日本語、中国語、サンスクリット語等ができなくても、座禅して瞑想する身体的実践ならアメリカ人にもできる。そういうわけでアメリカでも禅が広まり、「禅ヒッピー」のような存在が生まれていたのではないか?
ふとそういうことを考えた。
至福直観
至福直観とは中世ヨーロッパの神学者トマス・アクィナスの概念で、彼の著書『神学大全』にある。『神学大全』は膨大にあるのだが、中公バックス世界の名著のトマス・アクィナスの巻で読むことができる。
で、別にトマスはどうでもいいのである。
私が言いたかったのは、2ちゃんねる等で、攝津をロスジェネ世代と見るのは誤りで、遅れてきたバブル青年なのだという意見があったことだ。私がロスジェネ世代ではないというのには同意する。しかしバブル世代と同じという意見には承服できない。むしろ私は、打ちのめされており且つ同時に至福を求めるという意味で、ビート・ジェネレーションなのである。ヘンリー・ミラーの流れの末裔としてのジャック・ケルアックは大好きな作家だし、もともと大学に入った頃はウィリアム・バロウズの研究がしたいと思っていた。
私が大学時代、「妄想」していたのは、至福直観、つまり、神を観る直観とは「死の経験(体験)」そのものだということだ。
もう一つの「妄想」は、もし存在がスピノザ=ドゥルーズ流に無限に多数多様であり、そして唯一(一義的)であるならば、この世とあの世、彼岸と此岸の差別もなくなるだろうということだ。ありとあらゆる死者らが蘇る。そして我々は常に既に死んでいる。
これらの「妄想」は私のオリジナルな思想だったと思うが、学部でも大学院でも論文という仕方で公表することはできなかった。何故ならば、根拠も何もない単なる思いつきであり、その意味でアイデアに過ぎず、体系化して展開できるものではなかったからだ。何となくそう「感じる」、ただそれだけだった。
というようなことを思うに、私は本当に、大学内の(アカデミズムの)研究者には向いてなかったんだなーと思う。
もう一つ。書こうと思ったのは、ひびのまことさん(id:hippie)が、「救われる」というのは個人的な事柄なので関心がないと述べていたこと。私は逆に、「救われる」という個人的な事柄にしか関心がないのだ。私は救われるだろうか? 常にそう問うてきた。
この場合の「救われる」というのは、アメリカのビート・ジェネレーションがチャーリー・パーカーのビバップや仏教へと「逃走」したように、何か外部を求めることである。或いは至福を。至福直観を。
何が言いたいのか自分でも分からなくなってきたが、私は、至福は生の内部にあると思っており、そのように考えるとき生と死の区別は意味をなくすと思うのである。うまく言えないのだが。或る種の経験(体験)が、至福を開示すると考える。どのような体験であるかは、まだ分かっていないのだが。
頭が混乱してきたので、一旦ここで送る。
「救い」は個人的なことかもしれないが…
「救い」は個人的なことかもしれないが、かつてウーマンリブなりフェミニズムの人らは、個人的なことが政治的なことだと主張したのではなかったか?
それはまあ、いいのだが、今私がしたいのは「魂のこと」の話である。
私が「魂のこと」を考え始めたのは、ノーベル文学賞を獲った大江健三郎の長編連作『燃え上がる緑の木』を読んでからのことだった。この小説では、四国の村を訪れた若者が、「魂のこと」をしたいと発心し、新しい「ギー兄さん」になり、シンクレティズム的な教団を作るが自滅するまでのことが書かれている。私はこの長編を、大いなる共感をもって読んだのだ。
究極Q太郎さんから、今生きている人で尊敬する人は誰か、と訊かれて大江健三郎と答えたら、究極さんは怪訝な顔をしていた。私の答えが余りに「スクエア」だったからかもしれない。だが、私は本気であった。
大江は宗教者ではなく、文学者である。政治活動家でないのと同様、実践的信仰者でもない。芸術家である。しかし彼の書く小説は常に、深いレベルで宗教的である(とともに政治的でもある)。
彼の長編小説の中で、子供が大江的世界の構造を自覚し、それを「敗北主義」とする場面があるが(確か『宙返り』に出てくる)、敗北主義を自覚した子供らが勝利への道を歩む作品は遂に描かれることがなかった。我々は敗北主義は知り尽くしているが、勝利は知らないのである。
大江健三郎の小説は「魂のこと」を考える人には必読だと思う。
散歩しながら考える。
東浩紀の『動物化するポストモダン』を借りようと、船橋市北図書館に行ってきたのだが、見当たらなかったので空振りで何も借りずに帰ってきた。音楽は、Paul Smith / Heavy Jazzを聴いている。
昨日、芸音音楽アカデミーの今後、のようなことを考えたのだった。
芸音の会員さんは、七十代、八十代の年配の方が中心であるが、今後もし、芸音が存続するとすれば、世代交代というか、より下の世代の人も入って来られる環境にしなければならない。が、対応できるだろうか、ということである。
いつまでも、古い演歌・歌謡曲だけでは駄目だろうし、といって新しい音楽には対応できないだろうし…。十年後、自分が芸音を続けていられるのかどうか、不安になった。
といって、私が毎日続けている、フリージャズスタイルのピアノ演奏で喰っていけるようになるとも思えず、悩みの種である。フリージャズはもともと、喰えないものである。特に私のような、しょうもないものは。
未来のことをあれこれ考えてもしょうもないといえば、しょうもないのだが、しかし、両親が弱ったり倒れたりしたらどうしようということは、考えざるを得ない。私は今、両親に扶養され庇護されているのだから、それがなくなったら、生きていけるかどうかすら危うい。と思うが、状況を改善する方法が何も見当たらない。もう工場や倉庫に行くのは厭だし。
不安であるが、芸音を続けるしかないのだと思う、当面は。世代交代、若返りなどは、その過程でゆっくり考えていくしかないと思う。
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