補論2.NAM内官僚或いは事務局の問い

『Q-NAM問題-2』でも触れた通り、私は、NAMの原理の組織原則「(5)NAMは倫理的―経済的なアソシエーションである。強制はいうまでもないが、一方的な奉仕や自己犠牲も認められない。したがって、その中での労働はボランタリーであるが、LETSによって支払われる。また、外部からの寄付に対しても、LETSで返却される。」の実現のためには、NAMへのQ会費導入(NAM会員へのQ義務化)は必然であると考えてきた。しかし、今そのことに、再考が必要だと判断する。
そのことのきっかけは、鎌田哲哉がNAM事務局長としての杉原正浩の責任を問うたことである。私は最初、そのことはおかしいのではないか、と思った。何故なら、Q義務化は、NAMセンター評議会(最高意思決定機関)によって討議・決定され、NAM代表柄谷行人により承認された事柄なのだから、執行機関に過ぎない事務局がそれを実行することは当然だと思ったからである。しかし、私のような考えに、「NAMの原理の原理主義者」特有の倒錯があることに気付いた(本原稿で後に「場当たり主義と教条主義の奇妙な混合」と呼ぶものがそれである)。それで、杉原正浩や私自身を公的に批判するとともに、NAM事務局という機関の在り方それ自体を公的な問いに付し、その問題性を露わにしていきたいと考える。
なお、NAM事務局ML及びinfo@nam21.org宛てメールは、和氣久明所有のNAM事務局パソコンには全て保存されているはずであるが、私が所持する過去ログには入っていない。故に私は、一部の例外を除き、記憶に基いて「証言」することしか出来ないということを申し添えておく。

NAM事務局は、「不可視の」場所であった。NAM一般会員たちが関心系・地域系・階層系のMLやプロジェクトのMLで討議したり活動を行う一方、NAM事務局員たちは日々会員管理などの実務に追われていた。柄谷行人はその「実働」を擁護し、自己顕示的にNAM事務局の官僚性を批判するNAM会員たち(少数)を非難してきた。
私が問いたいのは、まず、NAM内労働、この「実働」の在り様そのものである。NAMには、崇高な偉人伝のようなものがあった。高瀬体制の下、第三世界を支援する運動のために自己犠牲的に働いたH、初期からずっと会員管理データベースの自動化のためのプログラムを制作し続け、それが完成した直後にNAMそれ自体が解散してしまった鈴木泰生、NAMのために毎日8時間も労働し続けた事務局長杉原正浩などである。かれらの労働(実働)には敬意を払う必要があるにせよ、問題は別のところにある。そのような過剰な事務局労働が、何故数多ある社会運動の中でNAMにおいてだけ起こったか、ということが問われなければならない。
柄谷行人は、「NAMの組織機構の維持と運営が運動と取り違えられ、また、Qのように非現実的な空想にふけることが運動と取り違えられることになった」(『FA宣言』)と述べている。だが、ここには欺瞞が潜んでいる。そのような「取り違え」の元凶が、NAM代表であった柄谷行人にあることがここでは隠されている。

a)NAMには「センター」(センター事務局)がある、故に多数の関心系MLの登録の管理をセンター事務局が負わなければならない、という路線をNAM初期において柄谷行人は打ち出した。会員管理の作業が異様に煩瑣になり、他の社会運動では考えられないような事務局労働が必要とされたのは、多元帰属の原理を、機械的に多数のMLというかたちで実現したからであり、さらにそれらのMLを各系の自治的な運営に任せずセンター事務局が一括管理するとしていたからだ。その負担は、特に手作業であった会員管理データベース係──入退会のみならず、各会員がどの系に属しているか、までAccessで管理する──に集中していた。故に鈴木泰生が、会員管理を自動化するプログラムを構築する役割を引き受けたのである(皮肉なことに、その完成は、NAM崩壊の時点であったが)。

b)NAM内労働(事務局労働)が過重過ぎて限界に来ている、という理由でのQ義務化提案(決定)はおかしい。例えば柄谷行人はNAMセンター評議会宛てのメール([NAM:1148])で次のように書いている。

Qによる会費支払いは、全員に、NAMの活動の参加を強いるものです。このままいけば、NAMの組織は、自己犠牲をしすぎた人と、していない人との階級分裂になる。自己犠牲をしている人(執行部)は、その仕事に関して文句ばかりいわれると面白くないだろうし、していない人は、自分の知らぬ間に執行部が全部事を進めていると思うようになる。ある意味で、昨年に起ったNAMのトラブルも、これと関連している。しかし、むしろこの経験から、NAMの組織原則5が作られているのです。もしNAMでの労働に対してQで支払うということができないならば、NAMはまもなく崩壊するか変質するでしょう。だから、Qの義務化は、不可欠です。その手続きがトップダウンの指令ではないか、というのはまちがいだ。このことは、過去の経験に基いて得られた公理から来るものです。NAMの公理を否定し、あらためて、民主的討議から始めるというのであれば、どっかでやってもらいたい。NAMとは関係が無い。だから、Q義務化に反対する人には、たんにNAMの原理を読み直すことをすすめる。NAM原理が、何のために、あるいは、何が書かれているのか、正確にわかっている人たちは、そう多くはありません。

Qの義務化によって、NAMが崩壊することはない。しかし、Qを義務化しないならば、NAMは崩壊するか、変容する。ありふれた政治組織と同じようなものになる。このことを、徹底的に理解してもらいたい。

「このままいけば、NAMの組織は、自己犠牲をしすぎた人と、していない人との階級分裂になる。」という前提から、「もしNAMでの労働に対してQで支払うということができないならば、NAMはまもなく崩壊するか変質するでしょう。」という結論を導くのは何かがおかしい。むしろ、先ず、NAM事務局の労働を合理化し、不必要な(各系の自治に任せれば良い)部分はなくしていく、スリム化していく、「自己犠牲」を少なくしていくことこそ求められていたのではないか。Q支払いに解決(出口)を求めようと、労働(実働)自体を合理化・軽減しないことには、どうにもならない。事務局労働と実際の運動が取り違えられた、などということはNAM以外の運動体では起こっていない。故にそれはNAM固有の疾患だったと言うべきである。そのような疾患が生じた原因(責任)は、NAM代表柄谷行人の現実を無視した路線設定と、それを唯々諾々と受け入れた評議会・事務局の双方にある、というべきだ。
多元帰属の機械的適用の他、NAM事務局労働を煩瑣にした要因の一つに、「輪番制」が挙げられる。そもそも書物として公刊された『NAM原理』(第一版)には、輪番制は原理として挙げられていない。それが原理に追加されたのは、大阪のスペースAKとNAM東京の抗争の結果、センター事務局をスペースAKからNAM東京に移す決断がNAM代表であった柄谷行人によって下された時だった。当時、スペースAKでは、事務作業の非能率や空閑明大による独裁や恫喝などがあったと言われている(実際、会員登録等ははかばかしく進まず大幅な遅延が常となっていたし、柳原敏夫(朽木水)や高瀬幸途等NAM東京のコアメンバーのほぼ全員が空閑明大から電話等で何度も恫喝を受けたことを証言している)。そのため、柄谷行人は、NAM代表として、センター事務局の大阪から東京への移転を決断したのである。そのために根拠として持ち出されたのが「輪番制」であった。
私の読み落としでなければ、初版の『NAM原理』(太田出版)には「輪番制」が組織原則であるとの記述は見当たらない。「輪番制」という言葉が初めて出てくるのは、NAMセンター評議会宛てのNAM代表としての柄谷行人の投稿([NAM:0013])である。【註1】

センター評議会は、交通空間、あるいはサイバースペースメーリングリスト)において存在します。とはいえ、それは現実のスペースをもちます。そして、それは現在大阪に置かれています。いいかえれば、NAM大阪の事務局が、事務の仕事をやっています。しかし、原理的には輪番制であって、他の地域にその体制ができれば、センター事務局は各地に置かれます。いいかえれば、各地の事務局に事務の仕事をやってもらうということです。

この時点で既に「大阪のセンター事務局は、会員が増えてきたため、物理的に限界に来ています。そのため、事務処理に不備があったりします。それに腹を立てる前に、協力を申し出て下さい。」と言われているが、柄谷行人の著名人としての宣伝活動(講演やシンポジウム、著述でのNAM宣伝)のため、この急激な会員増の傾向はその後も続いた。そしてそれが限界に達したため、NAM大阪のNAM事務局(スペースAK)は破綻してしまったのである。

c)後に『Qは終わった』で柄谷行人が自己正当化して述べたような、Qが流通しないのでQを流通させるためにQ義務化に賛成した──「それまで、私はQの欠陥を感じるたびに、それはQがまだ十分に広がっていないからだと考えた。というより、そう考えるように努めてきた。NAMの会員にQに入ることを義務づけてQを広げるようにしようという案に賛成したのも、そのためである。当然ながら、これは、QをNAMの所有物にしようという考えではまったくない。その反対に、Qがまったく流通していないから、何とかしようとしてきただけである。」──、というのが明らかな誤り、或いは事後の事実歪曲であることが以上の引用からも分かる。実際には、NAMの都合──NAM代表としての柄谷行人の誤った路線から演繹された、NAM事務局の過重な負担──から、Q義務化が要請されたのだ。
既に述べたように、NAM事務局MLの完全な過去ログは残っていない。そのため、誰が最初にQ義務化を提案したのかは、今となっては、私には分からない。しかし、それは、杉原正浩がNAM事務局長であった、京都に事務局があった時期であることは確かである。杉原正浩は確かに、NAM事務局長として、Q義務化の提案に責任がある。それは、最高意思決定機関であるNAMセンター評議会が、実質上その役割(機能)を果たしておらず、事実上NAMセンター事務局の作成した草案が評議会でも決定事項となることがほぼ確実だったからである。政策立案責任者=「NAM内官僚」として、NAM事務局長をはじめとする杉原正浩らNAM事務局員にはQ義務化の責任があるし、中でも杉原正浩にはNAM事務局内で最高の責任があると言うべきである(NAM総体として見ると、NAN代表=NAMセンター評議会代表であった柄谷行人に最高の責任がある)。

d)NAMのQ義務化が誤った組織方針・路線であり、NAM代表(柄谷行人)、NAMセンター事務局(杉原正浩、斉藤渉、片田直樹、西原ミミ、茨木彩、下山ごだる等の京都事務局)、NAMセンター評議会にその「経営責任」があること(後に浅輪剛博が強調したように)を認めるためには、NAMの原理の組織原則「(5)NAMは倫理的―経済的なアソシエーションである。強制はいうまでもないが、一方的な奉仕や自己犠牲も認められない。したがって、その中での労働はボランタリーであるが、LETSによって支払われる。また、外部からの寄付に対しても、LETSで返却される。」及び「輪番制」というNAM内のヘゲモニー闘争の強硬な解決案として提案=決定されたものであるが故に曖昧なステータスの組織原則を根底的に疑わなければならない。遅まきながら後にNAM事務局長となった浅輪剛博がNAM抜本的改革委員会で書いていたと記憶しているが(メールが見つからないので正確な引用は出来ないが)、NAM事務局には何でこんな業務をやらないといけないのか、というような仕事が多過ぎた。事務局労働に対してQを支払わなければ組織が階級分裂したり崩壊するというような実態がそもそもおかしい。他のどんな社会運動もそんなことになってはいない。その大きな原因は、NAM会員がどの系に所属しているかをNAMセンター事務局が一括管理・登録・削除等をするという、NAMにはアナーキズムの組織と違って「センター」があるからという理屈にもならない理屈(当時NAM事務局が置かれていたスペースAKの人たちがNAM総体を見渡したいからという理由で言い出し、柄谷行人がそれを追認するかたちで提起された理屈)で正当化された路線そのものが、NAM事務局の実働過重の原因そのものである。NAM大阪のスペースAKに事務所が置かれていたNAM事務局はコンピュータの体制が整わなかったため急増していた会員登録に対応出来ず事実上崩壊し、NAM東京の太田出版に事務所が置かれていたNAM事務局では太田出版の社員が企業での仕事をする時間を削ってNAMの実務に奔走し(かつ企業的・合理的ルーティンを作成・導入し)、京都南無庵に事務所が置かれていたNAM事務局ではNAM事務局長の杉原正浩が一日8時間にも及んだと言われている実働に日々従事し、且つ西原ミミらが中心となってヴァーチャルに実現される事務局業務のさらなるスキーム作りが推進されてきた。NAM代表の柄谷行人は、MLで空疎なお喋りをするだけであったり、根拠もなくNAM事務局の官僚主義批判をするようなNAM会員に対しては一貫して批判的であり、NAM事務局の「実働」の価値を絶えず擁護してきたが、そこにある「実働」擁護の倫理性に感心すべきなのではなく、そもそもそのような過剰な「実働」がNAMにおいてのみ必然化されてしまったことの根っこを問うべきだ。そこには、NAMは「生成」するものだとか、経験をフィードバックして原理を豊富化してきたとかいう美辞麗句で言い訳できないNAM代表としての柄谷行人及びNAM会員(事務局と評議会)の場当たり主義と教条主義の奇妙な混合があったのである。
全会員の多数の系の所属・非所属をNAMセンター事務局が一括して管理する、という路線ではなく、各系に全面的な自律と自治を認め、ML登録・削除等も各系の代表者らに委ね、NAMセンター事務局はNAM会員のNAMへの入退会のみを管理する、という簡便な方式が選択されていたらどうだろうか。NAMセンター事務局の過重な実働といった事態には陥らず、Q義務化が必然として要請されることもなかったのではないだろうか。
言い添えると、NAM(NAMセンター事務局)は会員管理にとても厳しい組織であった。会費納入がないと(遅れると)、必ず全てのMLから削除する、といった手順が守られていた。それも、NAM代表として柄谷行人が要求した路線に応じた慣習であったが、ナマケモノ倶楽部その他の社会運動がそうであろうと思われるように、そこまで厳格主義的でない対応もあったのではないか。数ヶ月会費を滞納しただけで、会員登録を削除してしまうというような厳格主義的な実践がNAM事務局において行われていたため、NAM事務局の実働負担も重くなっていたのである。これについても、そこまでの厳格主義が必要であったか、疑わしい。
このような、1)多元帰属の機械的適用とNAMセンター事務局による一律管理、2)会員管理における厳格主義に加えて、「輪番制」の機械的適用が非能率をさらに拡大した。柄谷行人はNAM監査委員会で次のように述べていた([nam-inspectors:0139])。

現在の規模では、輪番制で、官僚化は十分に防がれている。もちろん、そのために、能率が犠牲になっています。慣れたころには、センターが移っているから。にもかかわらず、あえて輪番制をやっているのです。それは実際に、教育的な効果があると思う。

能率が犠牲になっているにも関わらず、「教育的な効果」があるので、「あえて輪番制をやっている」というNAM代表としての柄谷行人の路線は、事務局実働を軽減・スリム化するという視点がない限り、袋小路に行き着くだけである。実際、事務局員たちの間では、事務局労働を続けるのは「半年が限界」だという声がよく聞かれていた(太田事務局における落合美砂、京都事務局における西原ミミなど)。そのような過重な負担を、崇高な自己犠牲として賞賛するのではなく、そのような自己犠牲の必要性・必然性そのものを疑うべきであることは何度も強調した。「輪番制」を原理(組織原則)として教条的に適用するのではなく、事務作業を徹底的に簡略化した上で、事務局員の交替可能性とリコール権等を担保しておくだけで良かったのではないか、と私は思う。NAMは本来、外(資本と国家)に向かって闘争していくべき「革命運動」だったはずなのに、活動的・意欲的なNAM会員たちの多数が事務局労働=会員管理に粉骨砕身して疲弊し、沈黙したりNAMそのものを去っていく、というような不幸な事態が生じていた。Q支払いによってそれへの解決(出口)を見出そうとするのではなく、そのような過重な事務労働そのものを軽減していくことが求められていた。結局、NAMはNAM内労働と実際の運動の「取り違え」をNAM組織そのものの解消(解散)によってそれを実現したのである(「FA宣言」)。しかし、この不幸な「取り違え」は、NAMそれ自体を解散させねばならないほどの決定的な誤りだっただろうか。NAM代表団とNAM事務局が路線を選択し直すことによって、新たにやり直すことは幾らでも可能だったのではないか。実際、NAM抜本的改革委員会で討議・提案されたのは、そのようなオルタナティヴだったはずである。

e)NAMのQ義務化の問題性そのものについては、Q義務化の決定を推進した当事者たち(杉原正浩等)が自ら総括すべきである。私は過去メールを読み返してみたが、事情が錯綜しており、よく分からないというのが正直なところである。NAM事務局でQ義務化を最初に提案したのが誰なのか、NAMセンター評議会での討議がどのような過程を辿ったのか、を詳細に辿ることは今の私には出来ない。それで、私は「NAM内官僚」=「Q担当の」NAM副事務局長(倉数体制)・Q会計係(浅輪体制)であった私自身の観念的な倒錯を自己批判することにしたい。
Q会費導入を巡るNAMセンター評議会における煩瑣な議論については、今となっては興味を持つ者はいないであろうから、その議論を強硬に推し進めた私自身がNAM事務局MLに投稿した自己批判のみを引用しておきたい。以下、2002年3月20日付けの「Re: [nam-rhizome]Q会費徴収方法の詰め4」の全文である。

攝津です。

susumax wrote:

「菅原です。

一点だけ確認します。

円の入金をしていても、Qはまだ入金していない人も、円を入金せずに退会する者と同時に削除していくということですか?

その場合、3千円なり一万円の円会費を、どう処理するのですか?」

私は、返還しない、という意見です。
ホームページやMLなどで、一度納入した会費はいかなる事情があっても返還しません、と明記・強調する。さらに、Qの支払い方法が技術的に分からない人にはサポートしていく。Qを支払いたいが支払えない人には配慮するが、Qに入る、支払うつもりがない人は徹底的に突き放していく。

これは、あまりに冷たいかもしれませんが、個々のケース・苦情に対応しようとすると、事務がより大変になるのではないか、と思うのです。かりに法律的に詐欺に問われるということであれば、返還するしかないかもしれませんが。

とにかく、Qと円の両方が払い込まれなければならない、ということを強調する、ということです。

ほかの人の意見はいかがですか。私の意見は、高圧的にすぎますか。

私が司会役・議長役をやっていると、いつまでもまとまらないので、どなたか、例えば生井さんに議長役を交替していただけないか、と希望しているのですが、いかがですか。
私はこのQ導入の件では、執念のようなものがあって、あまりに主張が頑固に過ぎるようです。それは、もしかしたら根本的に間違っているかもしれない、という不安の裏返しです。

私は、NAMへのQ導入を円滑に進めることを事務局での主な課題と自分で考えてきましたが、どうもうまくいっていないようです。それは、私に問題があるからかもしれません。

人の意見もきき自分でも反省して、NAMやQについて自分が感じている義務感が過剰(的外れ)でNAMの原理にも反したもの、傲慢なもの、病理的・虚栄的なものではないか、と考えるようになりました。みなさん、本当にすみませんでした。

蛭田さんのようにいきなり辞任はしませんが、徐々に、(誤って)自分が責任を負わなければならないと感じていることから手を引く、ないしは責任をほかの人と分担する、ということをしようと思っています。本当に静養します。評議会でQ会費額が決まったので、それをひとつの区切りにします。

Qについても、事務局内のQ担当を生井さん、松本さん、和氣さんと交替していただく、ないし共同でやる、、、というふうに当初の役割分担を変えたいのです。生井さん、和氣さんはQ管理運営委員になられましたし、松本さんはQ監査委員になりました。事務局員でQ管理運営委員会(Q運営)の実情を知っている人がいま4人いるわけです。去年12月末の段階では、Q導入については自分が責任を負わなければならない、と私は思い込んでいましたが、それは誤った自負・虚栄・病理的なもの(NAMの原理に沿っていない)であり、排除されねばならないことが明らかになりましたし、現実とも対応していません。生井さんも和氣さんも松本さんも倉数さんもQ管理運営委員会の現状を知りうる立場になったのですから。

私は菅原さん、関口さんを含め、みなさんに申し訳ないと思っています。私は何度も強い(高圧的な)批判をしましたが、それは、犠牲を払ってもQをNAMに導入しなければならない、という強迫観念によるものです。犠牲とは、事務の負担が増えること、会員数が減ること、、、です。そうであってもやむをえない、それでもやらなければならない、と思ってきました。Qの規約の複雑さや融通の利かなさ(ペンネーム問題)、Winds_qの操作が初心者にはひどく難しいこと等、私はよく分かっている、知り抜いているつもりです。それでもやらなければならない、と思っているのですが、一歩引いて別の見方をするとそれは視野狭窄、ファナティックな態度かもしれません。

私は批判は甘受しますが、いかに観念的であろうと、とにかくNAMの原理(理念)を実現しなければならない、それはQ会費を導入しLETS対価支払いを実現することだ、と思っていた、思っているのです。そうでなければNAMがNAMでなくなると思っていた、思っているのです。

しかしそれは根本的に間違っているかもしれません。NAMやQとの関わり方についても、多くのことを抱え込もうとしたり責任をとらなければならないと思い込むことそのものが間違いであり、かつての空閑氏同様、NAMの原理に反しています。私はそのことに気付いていましたが、今まで放置して、人に気を遣わせてしまったり迷惑をかけました。蛭田さんの辞任メールへの返信で私が書いたことは、どこか根本的に間違っている、自分が間違っているということを問わず語りに示してしまっていたと思います。みなさん、本当にすみませんでした。

とりあえず、Qの件について、どなたか司会役を交替していただけないでしょうか。私が続けていては、いつまでもまとまらないと思います。

「私はこのQ導入の件では、執念のようなものがあって、あまりに主張が頑固に過ぎるようです。それは、もしかしたら根本的に間違っているかもしれない、という不安の裏返しです。」と私は述べている。私が「Q導入の件では、執念のようなものがあ」ると述べているのは、私自身がNAMに参加した動機が、早稲田大学学生運動やOCCUR(動くゲイとレズビアンの会)といった市民運動の持つ組織論・運動論(公的な路線)への批判にあったからである。私は、それらの運動が、中心的な人物への感情転移に基いて集団を形成し、自己犠牲を暗黙に強要するものになっている、と考えていた。だから、NAMの原理の言説に最初に触れた時、LETSによる対価支払いを通じて組織内の風通しを良くする(「青春を返せ」問題を解決する)というくだりに最も共感したのである。私は、過去において自分が脱落した運動体に欠けていた組織原則を持つNAMの、その組織原則を実現するためにNAMに入った。しかし、今から思う時、そのような動機(初心)と実践は根本的に「内向き」であり、外に向かって、資本と国家に対して闘争していくようなものではなかった、ということを公的に認め自己批判しておかねばならない。
私は、Q会費導入に関して、「もしかしたら根本的に間違っているかもしれない、という不安」を抱いているとも述べている。「私は何度も強い(高圧的な)批判をしましたが、それは、犠牲を払ってもQをNAMに導入しなければならない、という強迫観念によるものです。犠牲とは、事務の負担が増えること、会員数が減ること、、、です。そうであってもやむをえない、それでもやらなければならない、と思ってきました。」とも述べているが、それは私自身が述べているように、「視野狭窄、ファナティックな態度」である。もっと言えば、「NAMの原理の原理主義者」特有の倒錯を露わにしたトチ狂った「NAM内官僚」として、私は、「革命運動の動機」を失っていた、というべきである。私は私が強硬に推し進めた路線の誤りを公的に認めたい。資本と国家に対抗する「革命運動」としてNAMは、NAM内労働(事務局労働)を軽減し、対外的な活動に成果を出していくべきであった。それなのに私は、逆に事務局労働をさらに過重にしてでも、Q対価支払いを実現すべきだと言っている。それは「何もしない」NAMを更に内向きにすることにしかならない。「私は批判は甘受しますが、いかに観念的であろうと、とにかくNAMの原理(理念)を実現しなければならない、それはQ会費を導入しLETS対価支払いを実現することだ、と思っていた、思っているのです。そうでなければNAMがNAMでなくなると思っていた、思っているのです。」と私は述べているが、ここに「NAMの原理の原理主義者」特有の倒錯を見ないわけにはいかない。対外的・実践的に成果を出すことではなく、教条的に解釈されたNAM原理をNAM組織に機械的に適用しようという傾向が、特に私において顕著であった。それは結果として不毛であった。菅原正樹の主張していたような、「常識」的な見解のほうを採るべきだったのである。
NAMの「裏面=真実」である事務局において、NAM副事務局長として、あからさまに観念的で倒錯した路線を強硬に推進したことに関し、私は、公的に自己批判・謝罪したい。その後NAMが会員数を減らし衰退していったのも、私の路線の誤謬に帰すべきである。後のNAM会員によるQへの過剰な攻撃(「Q解体」路線)もその根源はQ義務化(という「贈与」の意識の思い上がり)にあったのだから、そのことに対しても、一部責任がある、というべきだ。
私は、NAMの原理の組織原則「(5)NAMは倫理的―経済的なアソシエーションである。強制はいうまでもないが、一方的な奉仕や自己犠牲も認められない。したがって、その中での労働はボランタリーであるが、LETSによって支払われる。また、外部からの寄付に対しても、LETSで返却される。」の実現のためにはQ義務化は必然と思い込んでいたのだが、a)高額な円会費に加えさらに高額のQ会費を徴収するのではなく、NAM会費の一部をQで支払いたい人は支払えるようにという方向で考えるべきだった、つまり、Qには自由参加、Q会費もオプション──更に、実質的に会費値上げではなく値下げの方向で考える──という選択のほうがNAMにとってもQにとっても良かった、b)その前提として、事務作業の軽減化・合理化を徹底して進めることによって、そもそも「自己犠牲」そのものをなくしていく路線を模索すべきだった、と考える。Q義務化によってNAMは大きく会員を減らしたのだし、そのことの「経営責任」はNAM代表柄谷行人及び「NAM内官僚」であるNAMセンター事務局(特にQ導入時のNAM事務局長であった杉原正浩とその後の「Q導入担当の」副事務局長であった私=攝津正)、及び形式的に(建前として)であれ「最高意思決定機関」と位置づけられていたNAMセンター評議会にある。

f)また、NAMの円会費が(センター会費と地域系会費とを合わせて)10,000円と高額になったのも、NAM代表としての柄谷行人の意向によるものである。NAM東京に転送されたMLから、柄谷行人の発言を見る。【註2】

資本と国家への対抗を、持続的にやっていくためには実は8000円でも安い。関心系の会合も、東京か大阪の事務所でやることになります。どうしても事務所がいるのです。もちろん、すぐにはできない。しかし、その資金を今から作るべきです。僕は、センターの資金から、NAM東京に無利子で融資することを考えています。しかし、わずかなりとも、自己資金を用意すべきです。そのためには、最初から会費を8000円とすべきです。
これに対し、NAM東京が、現在、事務所経費が要らないのは、太田出版の事務所を無料で借りているからです。しかし、高瀬氏がNAMの会員であるとしても、太田出版は資本制企業であり、それに依存することは原理的に望ましくない。高瀬氏も一時的な措置として考えているはずです。NAMは、アソシエ21のように、出版社がやっているような組織ではない。高瀬氏は決していわないだろうから、僕がいう。こんな状態では情けない。出版社や大学に依存してやる運動しか考えない連中は、NAM的ではない。やむを得ずそうしても、その間に
、自立できるように準備すべきです。そのために、最初から会費を8000円とすべきです。
また、安ければ人が集まるという考えがあるなら、まちがっています。さらに、現在の組織の規模がいつまでも続くことを想定していることもまちがっています。今度出版される本を通して、人が「NAMの原理」を知ることにより、会員が増えます。

しかし、結局四谷に借りたNAM東京の事務所は、日常的に人が集まるということはなく、ほとんど活用されないままで終わった。柄谷行人の提案は、NAMの現実(実態)を見ていなかったというべきである。「出版社や大学に依存してやる運動」には問題があるとしても、いきなり自前の事務所を持とうというようなところに飛躍したのは、いささか性急であった。太田出版に依存するのを辞めるにしても、週末集まるだけなら、喫茶店を借りてやるとか、借りスペースを使うとか、いろいろと節約の方法があったはずである。この路線の誤りに関して、NAM代表柄谷行人と当時のNAMセンター事務局(スペースAKが事務所、乾口達司事務局長)の判断には「経営責任」がある。NAM東京は会費を安く抑えようとしていたのに、高額の会費を事実上強要してきたのだから。
しかもこの高額の円会費は「物件費だけ」である。既に見たような、NAMの最初期からの方針(センターがNAM全体を把握していなければならない)のせいでNAM事務局労働・実働の過重が生じていたのに、その「人件費」はLETSで別に支払われなければならないということになり、故に高額のQ会費が要請されたのだ。これでは、Qに入らない賛助会員は、年に何万円もNAMに収めなければならないことになる。これは、常識的な感覚でいっても、おかしい。数多あるNGOなどのように精力的に実際に成果を出すような対外的・具体的活動を展開していたのであればともかく、NAMは「それ自体は何も実行しない」などと自己規定していたのだから【註3】、より一層おかしい。
私は、「Q導入担当の」NAM副事務局長として、Q会費を性急に導入しようとしていた時期、次のようにNAMセンター評議会MLで書いている([NAM:1721])。【註4】

事務局内でも、NAMの会費額の高さについて、討論がありました。そこでの私の意見を再録します。(個人名、団体名を一部削り、脱字を直しました。)

○引用開始ーーー
■社会運動の値段

なお、**さんのいわれた、NAMは「高い」運動だという点について。

今考え直すと、NAMが高いのではなく、ほかの運動が「安過ぎる」ーー多くの労働などが不払いになっているーーのではないでしょうか。例えば、******* でも***** *****でも、事務所は既存の他の運動体の一部を使わせてもらっているはずです。NAMでは、NAM東京なりNAM大阪なりが事務所を賃貸しており、それを地域系会費から出しているから、そのぶん高くなります。Qのぶんが高くなるのは、他の運動体がヴォランティアでやっている部分(影の労働)を明るみに出そうとするからでしょう。NAMに入るひとには、NAMが、他の運動が支払わない部分を支払う運動だということを理解してもらう必要があるように思います。それは、LETSの導入と連動していますが、円部分でもいえることではないでしょうか。
○引用終わりーーー

ですから、Qによる会費をもっと安い額から徐々に導入していくことで、それらの問題を一つづつ解決していく必要があると思っています。

簡単な計算でも、1万QのQ額設定でさえ、システム局のみへの支払いにも足らないのが分かります。(「鈴木システム」は資本主義的にいえば約300万円分の支払いに相当する労働が投下されていると伺っています。それをそのままQに換算するかどうかーーという点は討論の余地がありますが、かなり多額のQが必要である点についてはご理解いただけるものと思います。)ですから、Q会費の額を安くするという選択肢について、私は望ましくないと思います。不払いの部分(分割で遅延した支払いにしなければならない分)が増すわけですから。

「鈴木システム」とは、鈴木泰生が開発していた、NAMの会員管理のためのプログラミングのことを指す。
既存の他の社会運動は「安過ぎる」から、NAMは「高い」運動でいいのだと私は述べているが、既に述べたような、もろもろのNGO等と違って、具体的課題に取り組み実際の対外的成果を挙げているような組織ではないNAMが「高い」運動になるなら、では人はどういう動機でそのような運動の会員になろうとするのか、疑問である。会員管理に奔走していた事務局労働(影の労働)にLETSで支払うため? NAM(柄谷行人)が最後の最後に自己批判したように(『FA宣言』)、そのような発想はどこか逆立ちしている。端的に言って、これは「内向き」の発想でしかない。社会運動として、「革命運動の動機」を見失っていた、と言われても仕方ないだろう。Qに関しても、それをいかにして・いかなる具体的戦略と路線をもって産業に浸透させるか、既存の事業体(生産協同組合や生協、ワーカーズコレクティヴ等)や運動体といかに繋がっていくか、という対外的な問いを一切立てず、NAM内部の問題のみを狂信的に追求している私の姿は、今から見れば滑稽なもの以外ではあり得ない。

g)NAMの「裏面=真実」である事務局の存在は、NAM内民主主義の問いにもあからさまに結びつく。NAMにおいて、「建前」上「最高意思決定機関」であったのは言うまでもなくNAMセンター評議会であるが、実質上、評議会の討議が活発であった時期というのはなかったのである。多くの場合、評議員たちは事務局が出す草案を形式的に「承認」するだけであった。従って、NAMの組織方針・路線を暗黙に(事実上)決定していたのは、事務局であった、とも言える。故に、Q-NAM問題やそれにとどまらずNAMの失敗そのものに関して、事務局に「も」主要な責任があると言うべきである。
さらに、NAM事務局MLの過去ログは、NAM内においてさえ公開されていなかった。そうであってみれば、事務局員以外のNAM会員(評議員や監査委員も含めて)が事務局を監査したりその方針に異議申し立てをするなどといったことは、事実上出来なかった、といえる。
また、選挙が実現するほど人数がいなかったので互選で選ばれてきた各系の代表・連絡責任者らから成るセンター評議会に対し、NAM事務局は基本的に事務局を担当する地域系の有志であった。事務局員になるのに審査も選考もなかったのだから、事務局員には意欲さえあれば誰でもなれたということである。選挙もなしに集まった人たちである事務局が、事実上NAMの路線を決定していたということは、NAM組織が「建前」においてではなく「事実」においてはその意思決定を選挙とくじ引きの代議制ではなく、有志の集団に委ねていたということを意味している。そのような有志の集団が、「NAM内官僚」として振る舞い、事実上の権力を行使していた。そのことに伴う責任を公的に認め、それを敢取することを通じて、あり得る未来の社会運動の可能性を模索したい。柳原敏夫(朽木水)流に言うならば、死んでしまったという事実を徹底して認識することを通じて、未来への開けへと賭けていきたいと思っている。
 
【註1】

 [NAM:0013] の全文は以下の通りである。

From: "karatani"
To:
Subject: [NAM:0013] 新加入者
Date: Tue, 31 Oct 2000 19:56:46 -0500
Message-ID: <000101c0439e$9bebf5c0$d75582d2@pf0028298>

代表の柄谷です。

1)
本が出る前にすでに、なぜか、NAMに入る動きが活発になっています。ところが、新入会者は、入っても、しばらくNAMの活動がどういうものか、つかめないようです。そのため、何もやっていないという印象をもつか、地域系の活動に傾いてしまう。

だから、当面、全会員が、関心系のMLをのぞけるようにしたほうがいいのではないか、と考えました。特に、理論、教育、法律などは、ぜひみんなに読んでもらいたい。不要な人は、断わるようにしてもらいます。

さらに、会員登録と同時に、新入会員にセンター評議会からの挨拶文を送ることにしたいと思います。すでに入っている人はわかっていても、新入会者がよくわからないようなことを、いうつもりです。末尾に、その文章を載せますので、点検してください。こう直せば、というところがあれば、知らせてください。

また、山城氏が理論MLで(山住氏も教育MLで)書いていたように、MLに入ったり断ったりすること、過去のML通信記録を読むこと、などのやり方を示す文章を、それに付け加えたいと思います。

2)

また、理論MLで、山城氏がこれまでの情報を送ってくれましたが、これを少し文面をあらためて、NAMホームページに載せるようにしてもらえませんか。


3)

新加入者、あるいは、活発な関心系セクションに属する以外の人のなかには、NAMが何をやるのかわからない、という人たちが多いのですが、僕の印象では、今のところ、教育と出版流通が、NAMの活動のモデルケースになるのではないか、と思います。

1) 批評空間社の設立ーーこれはNAMそのものの活動ではありませんが、「企業創出」の一例です。さらに、これは、出版取次のギルドを解体する闘争の突破口になるでしょう。(なお、「批評空間」経営者の内藤祐治氏もまもなくNAMに入ります)

2) フリースクール設立ーー山住提案に賛成です。しかし、これをNAMとして直接にやるべきか、「企業創出」としてやるべきかは、協議すべきでしょう。企業としてやると、(1)と同じく、法律部門の協力が必要です。

以上は、NAMが全体として、取り組むべきことだと思います。

教育と出版流通の問題が、NAMのプロジェクトとして真っ先に出てきたことは、ある意味で、理由があります。
この二つは、60年代全共闘活動家の多くが向かった場所です。(大学解体から塾や小出版社へ)。そして、九〇年代に限界点に達した。だから、それを、改めて、やりなおすということになる。

むろん、NAMの活動をこれらに限定すべきではない。しかし、何か一つでも、現実化できるような運動を始めるという意味で、大切だと思います。ほかに、生協・環境問題その他で、「目玉」になるようなプロジェクトがあれば、提案してほしい。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

新加入の皆さんへ
                        2000年11月1日
                        センター評議会代表  柄谷行人

センター評議会を代表して、歓迎の御挨拶を申し上げます。

「NAMの原理」やホームページだけでは、わかりにくいことがたくさんありますので、戸惑いや誤解がないように、現時点での具体的な状況をお知らせしておきます。

新加入された人は、NAMが組織としてあまりに小さいということに、驚かれるはずです。実際、それは当然で、10月末の時点で、会員総数が70数名なのですから。だから、最も数多い関心系でも、10名あまりでしょう。数人しかいないためホームページもメーリングリスト(ML)もない所が多く、一人もメンバーがいないため、暫定的代表すらいないというセクションもあります。地域系でも、東京は20名にも満たないという状態であり、会合も三度ほどなされているだけです。しかし、そのことで、失望しないようにしてほしい。われわれの運動は始まったばかりであって、新加入者こそが、NAMを形成するわけですから。

10月段階までは、ひとまず組織的輪郭を作り、それから活動を開始する、本もその時点で出すという計画でした。それまでは、ほとんど広報活動をやっていません。だから、現在の組織体制は、まったく暫定的なもので、これをもって、NAMの姿であると考えないでほしい。現在のNAMは、まだNAM的ではない。これから、それをNAM的にしていくのです。そのためには、新加入者の積極的な参加が必要です。したがって、新加入者は、会合に出ても、MLに入っても、今までのメンバーに遠慮する必要はありません。ただ、このように小さな組織といえども、それがここまで形成されるまでに、多くの議論が積み重ねられたことを知っておいてほしいと思います。それは今後にも、別の形で出てくるだろうからです。

NAMの活動は、メーリングリスト(ML)を中心に行われています。その成果を定期的にホームページに載せるつもりなのですが、事務体制が十分でないため、まだ実行されていません。そのため、NAM全体でどのようなことがなされているのか、新加入者にはなかなかつかみにくいと思います。だから、当面、全会員に、理論部門、教育部門、法律部門などのMLを読めるようにしました。過去の記録も参照できます。自分の関心系以外はオブザーバーとして参加するだけですが、もちろん、質問なり意見があれば、発言してくださっても構いません。

あらためて言っておきたいのは、NAMは、関心系を中心にするのだということです。東京や大阪の人たちの場合、地域的に人が集まるために、地域系が中心だと思う人たちが多い。しかし、関心系が中心だと考えてほしい。実際、各セクションの代表からなるセンター評議会では、地域系の代表よりも、関心系の代表のほうが圧倒的に多いのです。

多数の関心系は相互に交差します。たとえば、NAM教育でフリースクールを作る計画がありますが、それは、NAM法律、あるいはLETSなどとの協業を不可欠とします。さらに、NAM教育そのものが多様で、その中で幾つかに分節化されていかざるを得ないでしょう。同様なことが、NAM法律にもいえます。しかし、この分業は、相互の協業があれば、より大きな力となるはずです。現段階での関心系の分類は、たんに、人が少ないためであって、将来的には、多様化し、また、もっと違ったふうに分節化するでしょう。それをもたらすのは、新加入者です。皆さんには、とりあえず、今のセクションに属していただいて、そこから、新たなカテゴリーの創出や分節化を提案していただきたいと思います。

センター評議会は、交通空間、あるいはサイバースペースメーリングリスト)において存在します。とはいえ、それは現実のスペースをもちます。そして、それは現在大阪に置かれています。いいかえれば、NAM大阪の事務局が、事務の仕事をやっています。しかし、原理的には輪番制であって、他の地域にその体制ができれば、センター事務局は各地に置かれます。いいかえれば、各地の事務局に事務の仕事をやってもらうということです。

もちろん、ホームページ作成・ソフト作成など、コンピュータ関係の事務は、他の地域にいてもできますので、その能力と意欲のある人は、申し出てください。大阪のセンター事務局は、会員が増えてきたため、物理的に限界に来ています。そのため、事務処理に不備があったりします。それに腹を立てる前に、協力を申し出て下さい。

【註2】

To: Tokyo-pub@egroups.co.jp
Message-Id: <20001011153558.NHXO7159.imfep01.kcom.ne.jp@epson>
From: Namnam
Date: Thu, 12 Oct 2000 00:41:12 +0900
Subject: [Tokyo-pub] 緊急の議題

皆さんへ

朽木です。
先ほど、代表の柄谷さんからメールが来まして、NAM東京の年会費を8000円(NAM大阪と同額です)にしてほしいという要請がありました。
実は、この数字は、太田出版から近く出版される「NAMの原理」の本に載せるので、至急、結論を出す必要があります。
ついては、急を言って申し訳ありませんが、この会費について、12日中までに、このMLで皆さんの意見をお聞きして、結論を出したいのです。

●柄谷さんの提案の主な理由は、以下のようなものです。

                                                                                                                                        • -

資本と国家への対抗を、持続的にやっていくためには実は8000円でも安い。関心系の会合も、東京か大阪の事務所でやることになります。どうしても事務所がいるのです。もちろん、すぐにはできない。しかし、その資金を今から作るべきです。僕は、センターの資金から、NAM東京に無利子で融資することを考えています。しかし、わずかなりとも、自己資金を用意すべきです。そのためには、最初から会費を8000円とすべきです。
これに対し、NAM東京が、現在、事務所経費が要らないのは、太田出版の事務所を無料で借りているからです。しかし、高瀬氏がNAMの会員であるとしても、太田出版は資本制企業であり、それに依存することは原理的に望ましくない。高瀬氏も一時的な措置として考えているはずです。NAMは、アソシエ21のように、出版社がやっているような組織ではない。高瀬氏は決していわないだろうから、僕がいう。こんな状態では情けない。出版社や大学に依存してやる運動しか考えない連中は、NAM的ではない。やむを得ずそうしても、その間に、自立できるように準備すべきです。そのために、最初から会費を8000円とすべきです。
また、安ければ人が集まるという考えがあるなら、まちがっています。さらに、現在の組織の規模がいつまでも続くことを想定していることもまちがっています。今度出版される本を通して、人が「NAMの原理」を知ることにより、会員が増えます。

                                                                                                                                        • -

よろしくどうぞ。


【註3】

 [nam-art:0158]の全文は以下の通りである。

From: "krtn"
To:
Subject: [nam-art:0158] Re: nam展開図の説明
Date: Wed, 28 Mar 2001 11:49:11 -0500

柄谷行人です。
岡崎さんへ。

最近、英語版に向けて、NAMの原理を書きなおしています。
岡崎さんのを読んで、最後に、「遺伝子」のメタファーを付け加えました。もともと、対抗ガンといっているからね。以下に、加筆したうちで、関連するものを示します。全体はいずれ、センターに送ります。

組織原則
(1) NAMは、諸個人の自由なアソシエーションである。個々人はNAMの内部で一定のルールに従うほかには、何の拘束も受けない。個々人は、それまでに所属する組織――企業であれ組合であれ政治団体であれーーを辞める必要はないし、新たに参加してもよい。NAMは無から何かを作り出すものではない。それは、現実に資本=ネーション=ステートが作り出した諸条件、そして、諸矛盾から出発し、それを可能なかぎり組替えていく運動である。NAMは、これまで分散し相互に隔絶し対立しているような運動や組織を媒介し、異種結合し、再活性化することを目指す。しかし、それを果たすのは個々の会員である。NAMは自ら、諸個人の分業と協業によって、さまざまな情報や認識を結集し発展させ、新たなプロジェクトや闘争を提起する。だが、NAMが組織としてそれを実行するのではない。それを実行するのはあくまで個々人であり、そのグループである。そのために形成される運動や組織は、非会員をふくむものであり、NAMとは別のものである。さらに、個々人あるいは彼らが構成するグループはそうしてよいが、NAM自体が他の組織と提携することはない。NAM が目指すのはそ
れ自身の組織的拡大ではない。「NAM的なもの」の散種である。

組織原則解説

ーーーーーーーーNAMは、プルードンが指摘したアンチノミーを踏まえて出発している。そして、このfederationにないものをNAMの「憲法」に加えている。地域系と関心系の区別、多重所属によるセミラティス型組織、くじ引き(プルードンは反対であった)、さらに、LETSである。
最後に、確認すべきことは、NAMが対抗ガンとしての運動だということである。NAMの「原理」はいわば遺伝子であって、資本=ネーション=ステートというガンのなかに、対抗ガンを作り出す。したがって、NAMが組織として拡大するかどうかは重要ではない。「NAM的なもの」が対抗ガンとして現実に定着するかどうかだけが重要である。実際、NAMが何かのプロジェクトや闘争を行うとき、それは別の組織としてなされるのであって、その場合、国家と資本の規制の中で、現実的な妥協や取引がなされるほかない。しかし、NAM自体は不変である。なぜなら、それは「プログラム」としてあるのだから。NAMは、現実の社会がNAM的になったとき、消滅する。しかし、それまでは、NAMはvirtualityとして存続するだろう。

岡崎さんのヴィジョンは、以上のものとは異なるでしょうか。異見があったら、いってください。

メタファーといえば、ボルシェヴィキは「細胞」という言葉を使いました。初期グラムシも「細胞」cellを重視している。これは一九世紀有機体論の見方です。日本共産党東大細胞、なんてのが昔はありましたが、完全にツリー組織です。しかし、細胞を、分子生物学以後の見方で見直せば、面白いかもしれません。

たとえば、私は、NAMがこれから作る運動や組織のほうを、細胞として見たらいいと思う。それはNAMではないが、NAMの原理(遺伝子)をもっている。これはLETSから考えると、わかりやすい。人々は、それがどのような意図をはらんでいるかに関係なくLETSを使い、そのことによって、知らずに、LETSの根底にあるNAM的なものを実行している。しかも、それがNAMであると気づかない。知らないうちに、変わっている。つまり、対抗ガン細胞に成長する。

したがって、NAMは拡大しないが、NAM的なものは拡大する。窮極的には、NAMは消えて、それらのNAM的遺伝子をもった社会ができあがる。

NAMは、いつも、バーチャルです。それ自体は何も実行しないのだから。しかし、ドルゥーズがいったバーチャリティです。

こういうものをヴィジュアライズすると、どうなりますか。

Original Message
From: post-nam-art@freeml.com post-nam-art@freeml.com]On Behalf Of kenjiro okazaki
Sent: Monday, March 26, 2001 9:21 PM
To: nam-art@freeml.com
Subject: [nam-art:0153] nam展開図の説明

岡崎です。
かってNAM の 組織図を投稿したさい、同時にNAM の展開についてのイメージを中途まで描いていたので手直しして投稿してみます。

NAM が究極的に展開(世界規模の展開)していくとき、それは単一の組織として閉鎖系を作るのではない。その原理に示唆されているように、たえず外部に自己転写をくりかえしていく。実体としての単一のセンター組織はそこにはなく、つねに複数化されている。(全体主義的な単一組織と化すことが防がれる)。

つまりセンターはあくまでも原理(組織原理を含む)であり、同一のプログラムが遺伝子(セントラルドグマ)同様に、次々と無数のミラーサイトを転写・複製していく。

複数の組織(サイト)があり、かつなおそれは、同じ原理(セントラルドグマ)を共有することにおいて同一性が保持される。一つが崩壊しても、すでに複数のコピーが生成成長しているので、原理(セントラルドグマ)そのものが死ぬことはない。

しかし(反対に)、それぞれの組織は、つねに偶有的存在に留まり、権威としての歴史を形成しえない(必ず、いつか死ぬ)。

ミラーサイト相互を結び付けるメディウムが、NAM(GETS)および情報のネットということになるでしょうか。接続端子は前回の図で二重化して描いていたように個人であり、個々のプロジェクトということになります。

この展開のイメージは 的はずれ でしょうか。

【註4】

 [NAM:1721]の全文は以下の通りである。

Date: Mon, 25 Feb 2002 23:48:41 +0900
From: 攝津正
To: nam21@freeml.com
Subject: [NAM:1721] ■討議:Q人件費算出とQ会費1

事務局の攝津です。

高山さんへのお返事ですが、件名をかえます。

高山さん、ご意見ありがとうございます。

まず前提的な事項として、討論の期限が月末で、これ以上決定を遅延させたくないので、Q会費について、これまで選択肢として示された以外の額を一から討論していくのは避けたいと思っています。ですので、議論を白紙に戻して一からやり直すことはできないと思われる、ということをご理解ください。

高山さんが憂慮なさる事態を、私も心配しています。しかし、そのリスクは、敢えて負わざるを得ないものだと個人的には考えています。


■Q人件費算出

前事務局の人件費をどれくらいお支払いするかは、慎重に決める必要があると思います。

これには賛成です。

私は、基本的に、Q管理運営委員会で試みられようとしている方式、ないし「京都シンポ」で実践された方式を、NAMでの対価支払い評価でも踏襲すべきだと思っています。各セクションに「業務内容報告責任者」を置いて業務内容を報告してもらい、それを「対価支払い評価チーム」が吟味し、Q収入と照らし合わせて支払えるぶんから分割支払いしていく、という方式です。時間がかかりますが、大雑把にだいたいこれくらいだろうと支払っていくのよりはリスクが少ないと思います。

というのは、今回がNAMにおいて人件費を支払う、初めての機会となり、今後のその他すべての人件費を算出していくために参照される前例となるはずだからです。どのような根拠において算出していくのか、ある程度の基準を議論/設定しておく必要があると思います。
また、そこには、NAMがなにをもってそれぞれ多様な労働をQの金額へと換算するのか、抽象的かつ重要な問題が含まれているようにも思えます。

これを、上述の、「業務内容報告責任者」+「対価支払い評価チーム」方式でクリアできればと考えています。Q管理運営委員会などでの経験をフィードバックしていくつもりです。


■Q会費額

あと、もう一方に、会員にいくらの会費を負担してもらうべきか、というの条件があると思います。
私は会員数と会費がある程度連動があると考えているので、事務局/他から挙がってくる人件費などの支出から、自動的に一会員当たりが負担すべき会費を割り出すのは、得策だと思えません。
端的に言って、私はQ会費を事務局が提示している案よりもっと安い額から始めるのが妥当だと思っています。

Q会費額について、現在提案されている以外のオプションを一から再吟味するのは、私は無理ではないかと思います。具体的に、これこれの額、という提案があれば、もし必要なら討議の期限を再延長して事務局案A、Bと並べて吟味するよりほかないと思います。

単にQを会費にすれば、これまでのNAMが抱えていた矛盾が解決されるというわけではなく、Qを導入すればそれに関連してさまざまな問題がでてくるはずです。

この点については、同意見です。

そして、それには現状ではまだ読みきれないものも含まれるでしょう。
大幅な会費の値上げ、Qの会費の導入によって、予期せぬ問題が一挙に噴出し、致命な事態に発展しないとも限らない、と思います。(その一つが、繰り返し書いている会員数の減少なのですが。)

このことを、私もかなり心配しています。しかし、これは、ヴォランティアの揚棄を理念とするNAMが負うべきリスクであると考えています。

事務局内でも、NAMの会費額の高さについて、討論がありました。そこでの私の意見を再録します。(個人名、団体名を一部削り、脱字を直しました。)

○引用開始ーーー
■社会運動の値段

なお、**さんのいわれた、NAMは「高い」運動だという点について。

今考え直すと、NAMが高いのではなく、ほかの運動が「安過ぎる」ーー多くの労働などが不払いになっているーーのではないでしょうか。例えば、******* でも***** *****でも、事務所は既存の他の運動体の一部を使わせてもらっているはずです。NAMでは、NAM東京なりNAM大阪なりが事務所を賃貸しており、それを地域系会費から出しているから、そのぶん高くなります。Qのぶんが高くなるのは、他の運動体がヴォランティアでやっている部分(影の労働)を明るみに出そうとするからでしょう。NAMに入るひとには、NAMが、他の運動が支払わない部分を支払う運動だということを理解してもらう必要があるように思います。それは、LETSの導入と連動していますが、円部分でもいえることではないでしょうか。
○引用終わりーーー

ですから、Qによる会費をもっと安い額から徐々に導入していくことで、それらの問題を一つづつ解決していく必要があると思っています。

簡単な計算でも、1万QのQ額設定でさえ、システム局のみへの支払いにも足らないのが分かります。(「鈴木システム」は資本主義的にいえば約300万円分の支払いに相当する労働が投下されていると伺っています。それをそのままQに換算するかどうかーーという点は討論の余地がありますが、かなり多額のQが必要である点についてはご理解いただけるものと思います。)ですから、Q会費の額を安くするという選択肢について、私は望ましくないと思います。不払いの部分(分割で遅延した支払いにしなければならない分)が増すわけですから。

それでは失礼いたします。