Q-NAM問題-1(ウェブ草稿)

以下草稿ですので、書き直す場合があります。

Q紛争とは何かを素描しておきたい。

  • QとはNAMの一プロジェクトとして誕生した、オンラインLETSシステムを管理運営するプロジェクトであり、それがNAM本体とは別の責任主体を持つ別箇のものであることは度々確認されてきた。(namプロジェクト過去ログ「本プロジェクトの根本的見直し」スレッド、及び柄谷行人のエッセイ「Qが始まった」参照【註1】)
  • にも関わらず、2002年8月29日に京都南無庵にて催されたQ-hive(Q管理運営委員会)のオフライン会議(所謂「京都会議」)にQ監査委員の資格で出席した柄谷行人が、 Q-hiveのメールを読んでいなかったのに、Q-hiveの運営方針・人事等を批判した。宮地剛穂積一平への非難もなされた。([q-project 4452][q-project-user 1229]参照)
  • 「京都会議」の翌日、柄谷行人近畿大学市民通貨共同研究への西部忠の招聘をキャンセルし、北海道大学に通知した。それに対し、西部忠はNAMを退会した。(http://www.q-project.org/q_kyoto8.html参照)
  • 「京都会議」以後、Qの理念との「再契約」を問う西部忠に対し([q-project 4754] 参照)、Q-hive所属のNAM会員の一部、特に攝津正(私)は、Q改革=「NAM的なQ」(輪番制、選挙+くじ引き、登記人の実働への配慮…)を求めてQ-hive批判を繰り広げた([q-project 4581]を始めとする一連のメール参照)。
  • ところが、NAMの事情が急変し、NAM自体の抜本的改革、市民通貨Lの採用、QとNAM との絶縁が決まると(NAM抜本的改革委員会ML参照)、攝津(私)はQ-hiveに「超規約的措置」を提案し、NAM会員であるQ管理運営委員の大量退職を促し、自身もQ-hive、またQを辞めていった([q-project 5791][q-project-user 1271]参照)。
  • 3名のNAM会員であるQ会員が、Winds_q上で、「高額取引」を行った。([q-project 5320]以降のメールを参照)
  • 柄谷行人の提案」(新たな市民通貨を提唱する)がnam-event ML(全てのNAM会員が読めるML)に投稿されたのが2002年10月20日のことだった。ほぼ同趣旨のエッセイ「Qは終わった」のウェブサイト掲載要請が、同日nam-website局MLでなされる。ところが、複数のNAM事務局員が「Qは終わった」ウェブ掲載に反対し、結局「Qは終わった」は一旦削除されてしまう。NAMセンター評議会も、暫定削除の決定をする。それに対し、柄谷行人は2002年10月23日、「退会しますー柄谷行人」を nam-event MLに投稿する。NAM代表団が柄谷行人宅を慰留に訪問する。「Qは終わった」は「Qは始まらなかった」としてウェブサイトに再掲載されることになる。
  • 一部のNAM会員であるQ会員たちがQユーザML上で「手数料を返還せよ、さもなくば告訴する」という主旨のメールを投稿する。([q-project-user 1138][q-project-user 1140]を始めとするメールを参照。)
  • 2002年12月26日、柳原敏夫がQユーザMLに「[q-project-user 1229] 情報公開が意味するものについて――Qは二度死ななければならない――」を投稿する。
  • 2003年夏、攝津(私)はnamプロジェクト=Qプロジェクトを批判的に総括しようとした「独房Q」MLの過去ログを公開しようとして西部忠と争い、公開の地域通貨ML上で、西部及びQへの非難を行った。
  • 攝津(私)は、某氏より、2003年9月12日、lets_think MLの過去ログの一部を入手し、西部忠宮地剛穂積一平がNAMを切り捨て裏切ったとして、非難を開始した。攝津(私)は代行取引者であった人のアカウントを不正使用してWinds_qに侵入、全てのQ会員のメールアドレスを不正取得し、それを不正使用して、多数のメールを送った。そのメールの内容は、西部・宮地・穂積の批判、lets_think MLを「裏ML」と規定してのそれへの批判、Qの基本的な理念である「産業連関内包説」への批判だった。

以上がQ紛争の簡単な事実経過である。言い訳は止めておこう。私は誤った。西部忠穂積一平宮地剛がQ-hiveを牛耳ろうとしてNAM会員を切り捨て、故にQ改革が挫折した、というのは、虚偽である。西部は、柄谷自身も確認していたような原則的な立場を取っただけである。Q改革が挫折し、多数のNAM会員であるQ管理運営委員がQ管理運営委員会を退職するに至ったのは、NAM側の事情の変化が原因である。

NAMとは何かも知らない読み手のために補足しておこう。NAMとは「可能なるコミュニズム」(ボイコット、生産-消費協同組合、地域通貨フェアトレード、くじ引き)を掲げて国家・資本・ネーションに対抗しようとした革命運動である。QとはNAMから生まれたLETS地域通貨をオンラインで運営するプロジェクトである。2002年から2003年に掛けて、NAMの一部メンバーがQ(執行部)を激しく非難・攻撃する、という出来事が相次いだ。私自身、最初はQ管理運営委員として西部忠を糾弾し、最後には部外者であるにも関わらず、個人情報を不正取得してQへの攻撃を続けた。

何故そんなことになったのだろうか。或る者は、「ルサンチマンと党派的思考」に、その原因を求めている。そのとおりである。

確かに西部忠は、輪番制(事務局など実働を担う部分を定期的に地域移動させることによって権力の固定化を防ぐというNAMの考え)とくじ引き(三名連記の選挙とくじ引きを組み合わせることによって権力の固定化を防ぐというNAMの考え)をQに適用することを拒否した([q-reorganize:0052])。だがそれは、NAM原理を「暫定的仮説」([q-project 4825])と看做す態度からくるものだった。具体的には、辞退者が相次いだNAM代表選挙の経験から、西部忠は意見を変えたのである。「選挙+くじ引きの評価については,私なりに今回のNAM代表選挙を経験してみた感想にも多分に基づいていますが,これは別のメールで。/私の評価は急に変わったわけではなく,むしろこうした経験をへて少しづつ変わってきたのです。それを明示的に書いたのは自分なりに考えてみたあとですから,読み手には唐突に映るかもしれませんが。」([q-project 4825])それを否定するのは、科学的な思考でなく、宗教的ないし政治党派的な思考であると言われても仕方がない。

また私は、Qの理念との再契約をと問う西部忠のメール([q-project 4754])を、「NAMからの離反を明言しています。」と激しく非難している([q-project 4821])。それも、政治党派的な言動であるといわれても仕方ないだろう。2002年9月、私の思考はNAM規約委員会における、NAMプロジェクトとしてのQプロジェクトの資格を問う討議(とりわけ柄谷行人の諸発言:[nam-rules:0334]等)に深く影響されていた。自分たちNAM会員であるQ管理運営委員会メンバーの「闘争」によってQをNAM的なものとして取り返さねばならないと考えていたのだ。

しかし、2002年9月29日、[nam-rules:0404]以降、状況が一変する。柄谷行人のQ放棄、及び新市民通貨の提案が初めてなされたメールである。もはやQ改革が問題ではないというのだ。私は混乱し、NAM事務局員として、NAMのQ放棄を防ごうとして、NAM代表団に面会したりした。が、2002年10月20日、「柄谷行人の提案」がnam-event ML(NAM全会員に配信されていたML)に投稿され、ほぼ同趣旨のエッセイ「Qは終わった」がNAMホームページに掲載される。NAMセンター事務局、NAMセンター評議会等で手続きが民主的でないとの批判が出て即日削除されるが、柄谷行人は、2002年10月23日、「退会しますー柄谷行人」をnam-event MLに投稿する。NAM内は大混乱に陥り、柄谷行人への謝罪を行う者らが続出した(私もNAMウェブサイト局MLで謝罪した)。NAM代表団が柄谷行人宅を訪れて柄谷行人関井光男と会談し、NAM抜本的改革委員会が創設される。「Qは終わった」が「Qは始まらなかった」としてNAMホームページに再掲載される。

NAM抜本的改革委員会MLでは、柄谷行人による、Qを続ける者は新NAMには入れないとの発言があり、私はそれを見て、Q管理運営委員会で「超規約的措置」([q-project 5791])を提案した。Q管理運営委員であるNAM会員がNAM除名等をされるのではと恐れたためである。自分自身はQ-hiveに残り、Qの清算を担うつもりでいたが、「返金要求」(告訴)メールがたて続けにQユーザMLに投稿されたことに衝撃を受け、自分自身Q-hive、及びQそのものを辞めてしまう([q-project 5791][q-project-user 1271])。Q改革を謳いながら、結局責任を取らなかったというのは穂積一平や逵健志から批判された通りで、私はそのことを自己批判(謝罪)したい。

NAMは2003年1月、組織機構を解消する。抜本的改革委員会の案では、ブックレットやCD-Rなどを生産する活発な団体として再生することが謳われていたのであるが、組織をどう弄っても運動は再生しないとのNAM代表団の判断、NAM正会員による電子投票柄谷行人の追認(エッセイ「FA宣言」)により、NAMはその上部機構を全て解消するに至る。

しかし、Qは存続した。NAMの側の解体により、Q-NAM問題も解消されたはずだった。ところが2003年夏、攝津(私)が問題を蒸し返し、大々的な反Qのプロパガンダを行うことになる。

きっかけは、namプロジェクト-Qプロジェクトの批判的総括を目指した「独房Q」MLの過去ログを公開しようと西部忠らにメールを送ったとき、西部が自分だけ実名なのは不公正だとして公開を拒否してきたことだった。私は、私の言論を封じようとするのか、と複数の地域通貨関連MLに「西部忠先生へ」等の非難メールを送った。その後、lets_think MLの過去ログを入手し、反NAMの「謀議」の証拠を掴んだと確信した私は、他人(代行取引者)のアカウントを不正使用してWinds_qに不正ログインし、Q会員全員のメールアドレスを不正取得し、全員に同報するかたちで、また複数の地域通貨MLにも同報するかたちで、糾弾メールを送った。主旨は、西部忠宮地剛穂積一平がQの運営において母体であったNAMを裏切っていたこと、産業連関内包説が詐欺であること、等だった。

以上の点につき、攝津(私)は自分の不公正さや誤りを認め、謝罪したい。

  • 開かれたQ-hive会議において、討論は民主的に進んでいた。Q改革が挫折し、多数のNAM会員であるQ管理運営委員がQ-hiveを去るに至ったのは、NAM側の事情の変化(NAM抜本的改革委員会での柄谷行人の発言や柄谷による私信=辞任要請等)が原因である。
  • lets_think MLは意見や感情の吐露の場であり、柳原氏が言っていたような「Qアンチ改革」の謀議を進めていた「裏ML」とは認められない。
  • 「産業連関内包説」(Q規約2.2.2)は確かに実現困難であるが、NAM原理同様、統整的な理念と看做されるべきであり、それがすぐ実現できないからといって詐欺というべきではない。
  • Winds_qやQユーザMLへの不法侵入、全てのQ会員のメールアドレスの不正取得、それの不正使用(一斉同報メール)など不法・不当な手段を採るべきではなかった。

【註1】柄谷行人「Qが始まった」。

Qの開発に取り組んできたのは、NAMである。それ以外の誰が、これほど頑張ってやるだろうか。にもかかわらず、いったん出来上がると、Q(管理委員会)は、NAMとは峻別される。Qは一般に開かれた、ごく当たり前の経済活動である。実際に、Qは近いうちにNPO非営利団体)になるだろう。Qには、たとえば、NAMが掲げるような目標はない。それはニュートラルな経済組織である。この点に注意してほしい。