朝の思索

皆様おはようございます。御元気でしょうか。
朝日新聞の朝刊の広告欄で何冊か本をチェックしました。梶田叡一・溝上信一編『自己の心理学を学ぶ人のために』(世界思想社)、並木浩一・荒井章三編『旧約聖書を学ぶ人のために』(世界思想社)、石川真作・渋谷努・山本須美子編『周縁から照射するEU社会 移民・マイノリティとシティズンシップの人類学』(世界思想社)、片岡義男小西康陽『僕らのヒットパレード』(国書刊行会)、赤坂憲雄『交響する声の記録 赤坂憲雄対話集』(国書刊行会)、バートン・ウルフ『ザ・ヒッピー フラワー・チルドレンの反抗と挫折』(飯田隆昭訳、国書刊行会)、堤未果『政府は必ず嘘をつく アメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること』(角川SSC文庫)。
しょうもないことで疲れている、消耗していると自分で思うけれども、今日も朝から4時間も本を探し続けていましてね。結局、どこをどう探しても出てこなかったんですけれども。ディオゲネス・ ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』(加来彰俊訳、岩波文庫)、これは上中下の3巻なのですが、昨日確かに3冊纏めて書庫(事務所)から店に運んだと記憶しているのに、それがどうしてもないのです。どうしてそれを探そうと思ったかといえば、昨晩深夜寝る前に、偶然の唯物論についてFacebookに書いたけれど、それでエピクロス関係のものを集めようと思ったからです。ストア派エピクロスは下巻に収録されているのです。ただ、そんな些細な小さなことでそんなに落ち込む必要はないんじゃないか、きっとどこかから出てくるだろうし、仮に出てこなくても図書館が家のすぐ近くにあるんだから借りればいいじゃないか、とか思うのですが、それでも、どうしても非常に深く抑鬱状態に陥ってしまうんですね。それで、もともと書くつもりだったことも書けなくなってしまいます。もう随分前から書くつもりでいて結果的に書けないでいることが数多くあり、それも負担というかストレスになっているのですが。一つは、今簡単にいえば、田邊元が中心になって岩波書店の『ヘーゲル全集』を出したとき(多分戦後すぐのことではないかと思いますが)、政治的立場の左右を問わず公平に当時の国内のヘーゲル研究者に声を掛けた、という話です。田邊元は彼がいっていた「種の論理」というのが国家主義や戦争協力だとかいわれ、家庭でも奥さんに随分ひどい暴力を振るっていたのは有名な話で、随分批判も多いけれども、その『ヘーゲル全集』を編んだときには左翼への偏見はなかったということですね。ヘーゲルの『精神哲学』を船山信一という左翼の哲学者が翻訳しており、それは後に岩波文庫にもなっていますが、船山信一は田邊元からその仕事を依頼してもらって助かったといっていますね。彼は後にフォイエルバッハの翻訳とか研究を専門に手掛けたのですが、戦争中は苦労しています。戦前、戦中の左翼の哲学者や知識人は全員ひどい目に遭っているわけですが。正確には哲学者というより社会思想家と呼ぶほうが適切なんでしょうが、「福本イズム」で一世を風靡した福本和夫も何十年も非転向で投獄されており、獄中で看守の目を盗んで密かに書き綴った大量のメモが戦後、出版されていますが、これは非常に面白いものです。戸坂潤、三木清は獄死してしまいました。これは悲劇だと思うけれど、戦争は終わっていたのになにか手続きが遅れて監獄から出られなくて、それで獄死してしまったのです。死因が正確になんだったか忘れましたが、私が読んだ記憶では、二人ともひどい皮膚病で苦しんだと聞いています。監獄が不衛生だからどうしても皮膚病に罹ってしまうというのと、それと閉じ込められている独房に虱が大量にいたんだという話です。それで彼らは全身を掻き毟りながら苦しんで死んでいったそうです。船山信一はそこまで大変なことにはならなかったけれども、大学は放逐されてしまい、生活の必要もあって戦争が終わるまではどうも漁村を転々としていたようです。それで長い間、本当にやりたかった哲学の仕事が全くできなかったので、田邊元からヘーゲルの翻訳をやらないかといわれて非常に喜んだと聞いています。

アルチュセールの最後の書物からの抜粋

ルイ・アルチュセール『不確定な唯物論のために 哲学とマルクス主義についての対話』(フェルナンダ・ナバロ[聞き手]、山崎カヲル[訳]、大村書店)、p.63-64

こうしたことから考えられるのは、世界と同じく古い──大地の友の会は、プラトンイデアの友の会に先行します──唯物論の頂点とは、不確定な唯物論だということです。それは出来事や途方もない想像力に向かっており、また、政治をも含めた、いっさいの生きた実践に向かってもいる、世界の開けを考えるために必要なものです。

──出来事に向かって……ですか。

ヴィトゲンシュタインは『論理学・哲学論考』において、そのことをdie Welt ist alles was das fall istと、みごとに述べています。すばらしいけれども、翻訳が困難なことばです。「世界とは起こっていることの総体である」とでも試訳できましょうか。より字義通りに訳せば、「世界とは私たちに落ちかかることの総体である」とか「私たちに降り落ちてくるものの総体」でしょう。別の訳文、ラッセル学派の訳もあって、それは「世界とは事実の総体である」(the world is what the case is)というものです。

この途方もない文章は、いっさいを語っています。というのは、世界には、予見できないままに「私たちに落ちかかってくる」ような事実、状況、事物だけしかないわけですから。このテーゼによれば、相互にまったく区別された単独の事実や個体しか実在しないのですが、それは唯名論の基本テーゼなのです。

ルイ・アルチュセール『不確定な唯物論のために 哲学とマルクス主義についての対話』(フェルナンダ・ナバロ[聞き手]、山崎カヲル[訳]、大村書店)、p.54

──そうしたテーゼを再度取り上げて起源の問題を拒否している、その後の哲学として、なにか考えられますか。

私はハイデガーを思いつきます。彼は確かにエピクロス派でも原子論者でもありませんが、似たような思考の動きが彼のなかにはあります。世界の起源・原因・目的といった問題すべてへの彼の拒否は、よく知られています。しかしさらに、es gibtつまり「ある」(世界がある、物質がある、人間がある)という表現、また、「かのような」や「現存在」(da-Sein)という表現をめぐっての、一連の展開もあるのであって、それはエピクロスから鼓吹を得ています。ハイデガーの哲学は、世界のある種の超越的な偶発性を再建するようなヴィジョンに向かって開かれており、その世界に私たちは「投げ出されて」います。世界の意味も同様であって、それが存在の開けへと私たちを方向づけるのですが、その先には探求すべきなにものも、思考すべきなにものもないのです。かくして、世界は私たちに対するひとつの「贈与」なのです。

ルイ・アルチュセール『哲学について』(今村仁司訳、筑摩書房)、p.51-52

以上に述べたことから、こう言えるでしょう。世界と同じく古い唯物論──プラトンの言うイデアの友に対する大地の友の優位──のなかでも頂点をなすものは、偶然的唯物論であり、それは、出来事、未曾有の想像力、政治を含むすべての生きている実践に向けて世界が開いていることを考えるために、ぜひとも必要な立場なのです。

──出来事に向けて、とはどういうことでしょうか。

その点についてヴィトゲンシュタインは『論理哲学論考』のなかでうまいことを言っています。Die Welt ist alles was das Fall ist. すばらしい文章ですが、翻訳することがむずかしい。あえてこう訳してみましょうか。「世界とは到来するもののすべてである」。もっと文字通りに訳すと、「世界は上からわれわれに落ちてくるすべてのものである」。もうひとつの翻訳、ラッセル学派の翻訳はこうです──「世界は、ケースであるところのすべてのものである」(The world is what the case is.)。

このすばらしい文章はすべてを言い尽くしています。なぜなら、世界には、予告なしに上からわれわれに降ってくる事例(ケース)、状況、物しか実在しないからです。事例(ケース)、すなわち互いにまったく異なる特異な個物しか実在しないというこのテーゼは、唯名論の根本テーゼです。

ルイ・アルチュセール『哲学について』(今村仁司訳、筑摩書房)、p.44

──これらのテーゼを継承し、起源の問いをしりぞける後代の哲学を挙げることができるでしょうか。

ハイデガーを挙げることができます。彼はエピクロス派でも原子論者でもありませんが、彼にはそれと似たような思考の動きがあります。よく知られていることですが、彼は起源に関するあらゆる問い、原因と世界の目的に関するあらゆる問いをしりぞけます。けれども彼には「Es gibt」(「在る」、「かく与えられてある」)という表現をめぐる一連の展開がありますし、それらはエピクロスの着想と一致します。「世界、物質、人間たちが……在る(il y a)」。「Es gibt」「かく与えられてある」の哲学は、起源、等々の問いをすべてご破産にしてしまいます。そしてそれは、われわれがそこへと「投げだされて」いる世界と世界の意味の一種の超越論的偶然性を再建する道に開かれています。この世界の意味は、存在の開示に、存在の根源的衝動に、それを越えると探究すべきものも考えるべきものもなくなる存在の「送り届け」に通じていくのです。われわれにとって世界とは「贈与」なのです。

ルイ・アルチュセール『哲学について』(今村仁司訳、筑摩書房)、p.149-150

私はここ3週間来、不快な時を過ごしています。この夏と9月/10月に哲学(ニーチェハイデガー)を読んだ後で、私は突然に、かなり激しく、箍がはずれてしまいました。いまはかなり不愉快な一種の無為のなかにいます。

この状態をディアトキヌと一緒に検討してみましたところ、どうやらそれは「喪の作業」ではないかと気づきました。「喪の作業」はエレーヌ自身を悼むだけでなく、私が失ったもの、高等師範学校、この学校のなかの私の部屋、私の仕事、私の教え子たち、私の政治活動、等々のすべてを悼むのです。ところが私はこうした心の動乱を経ながらも、頭のなかに取っておいた一つか二つの考えをいつかきっと手掛けることができるのではないか、という気持をずっともち続けてきました(この考えは、ご存じのように、いつも哲学のまわりを回っていました)。こうした見通しがあって私は、大きな教養の穴を埋めるために、いや、むしろこれら二つの考えを鍛えなおす際に理論武装するために、ニーチェハイデガーを読み始めたのです。これは、あの心の動乱の前からの続きとしてあったのですが、私にとっては失うことはなかったし、手放してはならかった考えなのです。ところが経験が私に教えてくれましたように、これらの考えは、明らかに以前のもの、私が失わなくてはならなかったものの一部であって、ほかのものと同様にそれらの考えについても喪の作業をしなくてはなりませんでした。この服喪作業をほかならぬこれらの考えが残酷にも呼び起こして、私の手から哲学の書物を取り上げてしまったのです。

つまり、私がこれらの考えにいつか立ち返ることがないとも限らないのですが、当面は明らかに、それらを喪の作業のなかに封じ込めて、それらもまた放棄すべきものとして扱わなくてはなりません。

このように事実が知られ、なすべきことをしなくてはならないことのために、私は不安に似た不快な状態に置かれていますが……、欝状態もそう長続きしないだろうし、もっともてなしのよい岸辺に戻れるだろうと、期待していましょう。

ルイ・アルチュセール『哲学について』(今村仁司訳、筑摩書房)、p.175

私は、君にこの手紙を書くために、この2時間もの間、とほうもない努力をしてきました。いずれ多くの補足説明が要るでしょう。君が私を信用してくれるように、私も君を信頼していますが、私は力が尽きてしまいました。君に手紙を書くために、眠れない夜を利用しました。いま朝の4時です。少しは眠る努力をしてみます。医者たちが私を病院に送らないように、私がこのがらんとした部屋のなかで一人で苦境を抜け出すことができるように、天に祈って下さい。孤独とは恐ろしいものです。「孤独、それは誰も君を待っていないときだ」。

君をやさしく抱擁します

ルイ

小笠原晋也「ナルシシスムと主体の分裂」冒頭

小笠原晋也「ナルシシスムと主体の分裂」『imago』「特集=境界例」(1990年10月号、青土社)p.122-123

人格障害に関して、ひとつの逸話を紹介することから始めましょう。或る新米の精神科医が、いわゆる境界例と診断され得るひとりの少女の治療を担当しました。彼女はアクティング・アウトを頻発し、家族は気が気ではありません。切羽詰まった母親は、主治医に電話攻勢をかけて、懇願しました──「お薬でもうちょっと何とかならないのでしょうか?」。自分自身かなりうろたえている主治医は、新米の実直さから、こう答えました──「なかなか難しいですね。本当の精神病になら薬はわりとよく効きますが、お嬢さんの場合は、人格の問題ですから」。これに対して、母親はこう切り返しました──「うちの娘の人格に問題があるのなら、先生の人格の方がもっと問題です!」。

まさに名言です。それは、ひとつの真理を言い当てています。それは、福音書的と形容されてもよいであろう真理です。『ヨハンネスによる福音』の一節を思い起して下さい。姦通の罪を犯した女を石で打ち殺そうとした人々に対して、イェズスは言いました──「あなたたちのなかで罪を犯したことのない者は、この女に石を投げるがよい」。

以上から、臨床家はひとつの教訓を得ることができるでしょう──もしあなたが人格者であるなら、あなたはあなたの患者を人格障害と診断するがよい。

なにも、人格障害差別用語である、というわけではありません。むしろ、臨床家は自問すべきです──自分は人格者であろうか? 自分は完全な人格の持ち主であろうか? 自分の人格は、おのれのおのれ自身との同一性においてゆるぎなく統合され、如何なる分裂からも、如何なる退行からも、如何なる固着からも自由であろうか?

もしあなたがこれらの自問に然りと答え得るなら、あなたは、仏様かパラノイア患者のいずれかです──あなたは、死の衝動の満足において涅槃の境地に達したか、或いは、その原初的完全性における一次性ナルシシスムに退行したか、のいずれかであるという意味において。

(引用終わり)

精神科医の犯罪・・・
http://karifuku.digit-01.com/psycbust/psyc_0805012026.html
おがさわらクリニック(東京都板橋区
平成19年2月28日、当時28歳の交際女性を14年12月に絞殺し、懲役9年の判決が下されていた精神科医小笠原晋也に対して、医師免許剥奪の行政処分が下された。彼は、同クリニック院長を務め、精神分析の分野では有名な精神科医であった。

ジャック・ラカンの書―その説明のひとつの試み

ジャック・ラカンの書―その説明のひとつの試み

ガタリ、ジョゼフィーヌ、ネグリ、ドゥルーズ

フェリックス・ガタリ、粉川哲夫、杉村昌昭『政治から記号まで:思想の発生現場から』(インパクト出版会)、p.101-104.

フェリックス・ガタリのあっけない死

粉川 僕はいま、杉村さんと初めて会った頃とはだいぶ違ったことをやっています。ガタリの息子さんがハンダゴテを持って活動していたそうですが、私もラジオパーティーというのを今やって回っているんです。インスタントなラジオ局をつくって、ひとつの空間をつかのま変えるというわけです。だから、理論を語るのが嫌いになっていて、ガタリ理論がどうしたこうしたという話はしたくないんですけど。ガタリの息子さんはどうしてるんですか。

杉村 ブリュノ・ガタリといって、ラボルドの近所に住んでいて、企業のコンサルタントをやっていると言ってましたね。奥さんがブラジル系の心理学者でラボルドで働いてるんです。

粉川 前の奥さんの子供でしょ。いまの奥さんはどうしてるんですか。

杉村 自殺したんですよ。ガタリが死んだあと数か月後に。ジョゼフィーヌという美人の人です。もともとガタリはタブー破りなんですよ。患者に手を出しちゃいかんのですよ、精神分析医は。

粉川 あれっ、患者だったの。

杉村 患者だったらしいですよ。ガタリはいろんな意味でタブーを犯してきたみたいですね。彼女はガタリが死んだのがショックだったんでしょう。ある人が彼女を主人公にした小説を書いているんですよ。3、4年くらい前、ガリマールから出ている。ガタリはFという名前で出てくる。このあいだ、ラボルドの女性精神科医のダニエル・ルロに聞いたらジョゼフィーヌと付き合い始めてからガタリは周囲から孤立した。なぜなら独特の個性の女性で、ガタリの交遊関係をがらっと変えようと強制したらしいんですね。ガタリは非常に困ったという話です。

粉川 タイトルはなんていうの。

杉村 『ジョゼフィーヌ』。

粉川 ガタリの死は、あっけなかったですね。

杉村 本当にあっけなかったですね。

粉川 心臓麻痺かなんかですか。

杉村 息子が発見したと言ってました。僕が3年ほど前ラボルドで働いている人たちから聞いた話では、ジャン・ウリガタリをタブーにしてたんですよ、死んでから。僕はどういう死に方をしたか聞きたかったんだけれど、誰も言いたがらない。聞いたらこの10年くらいはジャン・ウリとうまくなくていろいろ問題があったらしい。でも、突然自分より先に死んだからウリとしてはショックが大きくて、ラボルドでガタリの話をすることがほとんどタブーになった。ラボルドでガタリが使っていたオフィスも「あかずの間」になっていましたね。去年の夏に訪れたときは解禁されてましたけどね。

トニ・ネグリ『未来への帰還:ポスト資本主義への道』(杉村昌昭訳、インパクト出版会)、p.87-89.

有限性

君が、意志における悲観主義(ペシミズム)とか、理性における楽天主義(オプチミズム)とか言うのがよくわからない。私は、グラムシ的な定型表現のこの転倒を、君と同じようなやり方では解釈しない。私にとって、理性における楽天主義とは、スピノザの存在概念、永遠としての存在というスピノザ的概念である。この点について、私は、フェリックス・ガタリも完全に同意していたと思う。そして、意志の悲観主義を考えるとき、闘争や組織の構築、あるいは著作や論理の構築でさえ、つねに障碍を克服して成るものだということに思いをはせる。有限性や完成度に関する限界もまた、本来の意味における障碍と同じで、つまり克服しうるものだ。存在の存在論的量、可能性の限定がそこでは根本的となる。フェリックスの死のなかには、私たちが共におこなってきたすべての議論に呼応する何かが存在する。私は、彼に対して大いに論戦的であったが、それは完成度、有限性、その限界を克服することの困難と結びついた激しいいらだちであった。フェリックス・ガタリは、つねに彼の精神病理学的分析の仕事に起因する危機に直面していた。なぜなら、彼が、かつて自分が結婚した女性を治癒させるというとてつもない約束に固執していたからである。と同時に、彼はそういったことに直面していながら、彼の持ち前の全体的理性に対する楽天主義をもち続けてもいた。このようにして、彼はぐったりと潰えたのだ。もうこれ以上できない、この有限性、この否定的限界性は克服不可能だと言いながら、彼が泣いている──私だって泣くことがあったが──のを見たことがある。それは、彼が自分に投げかけた、そして挫折したひとつの挑戦であった。それでも、フェリックスは永遠である。彼こそは、最大限の存在感、喜びを体現し、そして都会に見いだされるいきいきとした精神を奪回するための自在な能力をもち、友人たちが彼に伝える生命力あふれる物事を享受する能力をも最大限にもっていた人物のひとりであると私は思っている。彼は私がかつて知り合った最も素晴らしい人物のひとりである。それから、絶望の時があり、彼は死によって奪い取られてしまった。それは、私たちが述べたこの2つのもの、理性における楽天主義と意志における悲観主義との間のひとつの矛盾なのである。

トニ・ネグリ『未来への帰還:ポスト資本主義への道』(杉村昌昭訳、インパクト出版会)、p.42-44.

ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの『千のプラトー』における少数者への生成

ドゥルーズガタリがこの本を著したのは、80年代の初頭である。彼らは、当時、自動車産業や鉄鋼業など、大量生産(マスプロダクション)の大工場における労働者大衆の危機をつねに敏感に先取りした。彼らは、富の生産と搾取の影響が工場からはみ出して、《少数者への生成》として社会総体のなかにおよんでいることに注目し、私たちが70年代半ばに《社会的労働者》と呼んだもの、すなわち反乱する労働の《周辺的》な形態の出現現象を読み取っている。現象学的分析の視点からは、『千のプラトー』におけるこの現象の社会-政治学的性格付けはこれ以上先には議論を進めていない。けれどもドゥルーズガタリは、こうした現象の発生起源、いわば多数者=多数性の系譜を、いまや姿を消しつつある難しい用語の中で考えたのだと私は思う。彼らは少数者の構成の鋭い分析を通して、以後、生産能力、協業能力、欲望といったものの複数的全体性という方向に意味変化を遂げる多数派の新しい概念を構築するのに貢献した。彼らが示すものは、私にとってはきわめて重要なものと思われる抵抗の契機、過渡の契機である。そしてまさに、彼らは《イタリアの労働運動家》を引用し、自分たちの固有の経験の実践的な参照対象として、古典的賃労働からはみ出る新たな生産的主観性に関するイタリアの理論家の仕事を引き合いに出してもいる。ジルとフェリックスの思考の道筋はこの方向に向かっていると思う。ドゥルーズの最後の仕事、『マルクスの偉大さ』をみれば、そこにもやはり素晴らしい考えが見いだされる。というのは、そこで彼は、《普通名詞》(ある概念を構成する知覚の全体)の定義が体現するようなある認識論的な立場を、認識論的共同体の言語学的構築として表現しようとしているからである。つまり、《普通名詞》の生産過程を存在論的過程へと読み換えることがくわだてられているのである。コミュニズム、それはコミューンに生成する多数者=多数性である。といっても、それはひとつの前提や、ひとつの観念、何か隠された形而上学的なもの、あるいはひとつの統一性といったものがそこにあるということを意味しない。それは一なるものに逆らう共同であり、極限にまでおし進められた反プラトン主義である。それは、思想の発展のなかで早くから登場していた考え、つまりユートピアが必然的に統一性を構成したり、権力の統一と主権の問題を解決するといった類のコミュニズムの考えの裏返しでさえある。ここでは、共同を構成するのは多数者=多数性である。ドゥルーズの未刊の書、『マルクスの偉大さ』で構築されていたコミュニズムの概念とは、私の理解によればこのことなのである。

「ルイのこと」「ミシェルのこと、ルイのこと」

ミシェル・ロワ「ルイのこと」(市田良彦訳、『批評空間』誌第II期第10号)、p.82

私たちの友愛の契約の、あるいは他のどんな名前で呼んでもかまわないものの中身は、二人ともつねに心得ていた。契約の文言は、必然の中に書き込まれていたから。あの日、エラスムス通りで私が涙したのは、その文言をわざわざ言い立てることの不適切さゆえであり、露骨なまでに契約条項を正確にしなくてはならないと彼が思ったことに対して、である。おまけにそこには、非難にも聞こえるほとんど攻撃的な荒々しさがあった。しかし彼は私の涙の意味を誤解したと思う。なぜなら、こう言って私を慰めようとしたからである。僕も君を抱きたいと願ったかもしれない、けど、僕の性器は、役立たずなんだ……こう言いながら、彼は自分の股間を恨めしそうに、また守るように指さした。あたかも、そのかわいそうないちもつが生き物であるかのように。続けて、慰めになりうるだけでなく、私を天の涯にまで一足飛びに連れて行くような二つのフレーズを口にする。その後私が何度も彼の口から漏れるのを聞いたフレーズである。「うっとおしいのは、体をもっていることなんだ」、「体で愛し合う、そんな天に唾するようなことをしちゃあいけないんだ。頭で愛し合うほうがずっとましだ」。私の沈黙が何を隠しているのか知ろうと、彼は強く聞いた。それでいいかい? もちろん、いいに決まってるわ!

市田良彦「ミシェルのこと、ルイのこと」(『批評空間』誌第II期第10号)、p.99

妻を殺害し、人の記憶と自分の記憶の区別がつかず、借金は忘れ、フェラーリを注文し、精神の崩壊をつねに恐怖するアルチュセールは、それでもしかし、自分がすでに「狂人」になっているとは見なさなかった。彼の引き起こした厄介事の後始末に奔走するミシェル・ロワを、僕は「狂人」ではない、自分のことは分かっている、と怒鳴りつける。実際、彼はどんな精神分析家よりも自分の状態を知っており、どんな精神分析家も論駁することができた。哲学者は精神分析家に治療されることはあっても、解釈されることはない、と信じていた。「真ナル観念」が、精神分析とは別の回路で彼を彼の内在に繋いでいるのだから。

市田良彦「ミシェルのこと、ルイのこと」(『批評空間』誌第II期第10号)、p.95

アルチュセールは、哲学とは境界線を引いて分ける実践であり、その境界線そのものであると言っていなかったろうか? 彼の書くものに度々飛躍が見られ、周りの者がしばしば「もう付いていけない」と感じるのは、新しい境界線を引いて分化が起きる度ごとに、彼が、自身で「墜落 chute」と呼ぶ精神の闇、意識の空白への遡行を行っているからである。そこを経由することで系列は分化しながら延びて行くが、そこを経由しているから、他人には何が起きているのか見えない。彼は繰り返し言う、自分の思考方法は、極限において考えることである、と。未完のテクスト「マキャヴェリと我々」は教えてくれる、この「極限」とは一つの「空白」のことである、と。「空白」に向かって身を投げよ! そして数々の書簡は示している、この「空白」は意識の空白でもあった、と。もちろん、「極限」は系列の無限遠点に位置していて、系列の分化・展開・重ね合わせの過程を吸引する。たとえば「私」の死として。

「私はいつも自分の喪に服していた。おそらくこの喪を、私は退行的な奇妙な欝状態において生きていたのであり、そうした状態は本物のメランコリーの危機ではなく、躁状態の時期に私を襲う全能の感覚を振り回しながらこの世において死ぬという矛盾に満ちたやり方だったのである。すべてに対する全能に等しい完全な不能。」

この「極限」もまた一つの「橋」、全能と不能を繋ぐ「距離」なわけである。それがアルチュセール的なtotum=nihilだった。しかし世界と私を同時に消滅させる自死以外によっては、そんな死は実現されえないし、度々訪れる「空白」は系列の突端にある死を今に手繰り寄せながらも、つねに「最後から二番目」にしかなりえないのである。たとえば『ルイのこと』が緊迫感をもって報告する、1979年12月の「崩壊」。アルチュセールは1月1日、ミシェル・ロワに「12月28日、すべてが崩壊した」と告げる。すでに12月初めから、彼は自分の精神分析が終わりに近づきつつあることを示唆し、これまでの生のすべてが再審に付される何か重大なこと、奇跡によるのでもなければ脱出できないだろうことが起きつつある、と語っていた。ここでは、自伝のアルチュセールが、トラックのせり上がる荷台から砂利が一挙に流れ落ちるカタルシスの瞬間として語っている「分析の終わり」が、現実には最大級の恐怖として体験されていると分かる。彼は「すべてが崩壊した」、と思った。しかしすべてが「崩壊」することで「白紙」に戻った彼は、生き延び、復活祭休暇のギリシア旅行ではショスタコヴィッチの存在しないピアノ・ソナタが鳴り響く至福の時を過ごす。「崩壊」は繰り延べられた。11月16日、日曜日の朝の、エレーヌの生の破壊のときまで。最後であるから最後となれずに先送りされる、こんな「崩壊」を、アルチュセールの生の軌跡は数十年間描いている。「極限」はそれ自体、最後と最後から二番目の間の分化、「空白」の点である「あれもこれも」、二つの選言肢、なのだ。