小笠原晋也「ナルシシスムと主体の分裂」冒頭

小笠原晋也「ナルシシスムと主体の分裂」『imago』「特集=境界例」(1990年10月号、青土社)p.122-123

人格障害に関して、ひとつの逸話を紹介することから始めましょう。或る新米の精神科医が、いわゆる境界例と診断され得るひとりの少女の治療を担当しました。彼女はアクティング・アウトを頻発し、家族は気が気ではありません。切羽詰まった母親は、主治医に電話攻勢をかけて、懇願しました──「お薬でもうちょっと何とかならないのでしょうか?」。自分自身かなりうろたえている主治医は、新米の実直さから、こう答えました──「なかなか難しいですね。本当の精神病になら薬はわりとよく効きますが、お嬢さんの場合は、人格の問題ですから」。これに対して、母親はこう切り返しました──「うちの娘の人格に問題があるのなら、先生の人格の方がもっと問題です!」。

まさに名言です。それは、ひとつの真理を言い当てています。それは、福音書的と形容されてもよいであろう真理です。『ヨハンネスによる福音』の一節を思い起して下さい。姦通の罪を犯した女を石で打ち殺そうとした人々に対して、イェズスは言いました──「あなたたちのなかで罪を犯したことのない者は、この女に石を投げるがよい」。

以上から、臨床家はひとつの教訓を得ることができるでしょう──もしあなたが人格者であるなら、あなたはあなたの患者を人格障害と診断するがよい。

なにも、人格障害差別用語である、というわけではありません。むしろ、臨床家は自問すべきです──自分は人格者であろうか? 自分は完全な人格の持ち主であろうか? 自分の人格は、おのれのおのれ自身との同一性においてゆるぎなく統合され、如何なる分裂からも、如何なる退行からも、如何なる固着からも自由であろうか?

もしあなたがこれらの自問に然りと答え得るなら、あなたは、仏様かパラノイア患者のいずれかです──あなたは、死の衝動の満足において涅槃の境地に達したか、或いは、その原初的完全性における一次性ナルシシスムに退行したか、のいずれかであるという意味において。

(引用終わり)

精神科医の犯罪・・・
http://karifuku.digit-01.com/psycbust/psyc_0805012026.html
おがさわらクリニック(東京都板橋区
平成19年2月28日、当時28歳の交際女性を14年12月に絞殺し、懲役9年の判決が下されていた精神科医小笠原晋也に対して、医師免許剥奪の行政処分が下された。彼は、同クリニック院長を務め、精神分析の分野では有名な精神科医であった。

ジャック・ラカンの書―その説明のひとつの試み

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