ガタリ、ジョゼフィーヌ、ネグリ、ドゥルーズ

フェリックス・ガタリ、粉川哲夫、杉村昌昭『政治から記号まで:思想の発生現場から』(インパクト出版会)、p.101-104.

フェリックス・ガタリのあっけない死

粉川 僕はいま、杉村さんと初めて会った頃とはだいぶ違ったことをやっています。ガタリの息子さんがハンダゴテを持って活動していたそうですが、私もラジオパーティーというのを今やって回っているんです。インスタントなラジオ局をつくって、ひとつの空間をつかのま変えるというわけです。だから、理論を語るのが嫌いになっていて、ガタリ理論がどうしたこうしたという話はしたくないんですけど。ガタリの息子さんはどうしてるんですか。

杉村 ブリュノ・ガタリといって、ラボルドの近所に住んでいて、企業のコンサルタントをやっていると言ってましたね。奥さんがブラジル系の心理学者でラボルドで働いてるんです。

粉川 前の奥さんの子供でしょ。いまの奥さんはどうしてるんですか。

杉村 自殺したんですよ。ガタリが死んだあと数か月後に。ジョゼフィーヌという美人の人です。もともとガタリはタブー破りなんですよ。患者に手を出しちゃいかんのですよ、精神分析医は。

粉川 あれっ、患者だったの。

杉村 患者だったらしいですよ。ガタリはいろんな意味でタブーを犯してきたみたいですね。彼女はガタリが死んだのがショックだったんでしょう。ある人が彼女を主人公にした小説を書いているんですよ。3、4年くらい前、ガリマールから出ている。ガタリはFという名前で出てくる。このあいだ、ラボルドの女性精神科医のダニエル・ルロに聞いたらジョゼフィーヌと付き合い始めてからガタリは周囲から孤立した。なぜなら独特の個性の女性で、ガタリの交遊関係をがらっと変えようと強制したらしいんですね。ガタリは非常に困ったという話です。

粉川 タイトルはなんていうの。

杉村 『ジョゼフィーヌ』。

粉川 ガタリの死は、あっけなかったですね。

杉村 本当にあっけなかったですね。

粉川 心臓麻痺かなんかですか。

杉村 息子が発見したと言ってました。僕が3年ほど前ラボルドで働いている人たちから聞いた話では、ジャン・ウリガタリをタブーにしてたんですよ、死んでから。僕はどういう死に方をしたか聞きたかったんだけれど、誰も言いたがらない。聞いたらこの10年くらいはジャン・ウリとうまくなくていろいろ問題があったらしい。でも、突然自分より先に死んだからウリとしてはショックが大きくて、ラボルドでガタリの話をすることがほとんどタブーになった。ラボルドでガタリが使っていたオフィスも「あかずの間」になっていましたね。去年の夏に訪れたときは解禁されてましたけどね。

トニ・ネグリ『未来への帰還:ポスト資本主義への道』(杉村昌昭訳、インパクト出版会)、p.87-89.

有限性

君が、意志における悲観主義(ペシミズム)とか、理性における楽天主義(オプチミズム)とか言うのがよくわからない。私は、グラムシ的な定型表現のこの転倒を、君と同じようなやり方では解釈しない。私にとって、理性における楽天主義とは、スピノザの存在概念、永遠としての存在というスピノザ的概念である。この点について、私は、フェリックス・ガタリも完全に同意していたと思う。そして、意志の悲観主義を考えるとき、闘争や組織の構築、あるいは著作や論理の構築でさえ、つねに障碍を克服して成るものだということに思いをはせる。有限性や完成度に関する限界もまた、本来の意味における障碍と同じで、つまり克服しうるものだ。存在の存在論的量、可能性の限定がそこでは根本的となる。フェリックスの死のなかには、私たちが共におこなってきたすべての議論に呼応する何かが存在する。私は、彼に対して大いに論戦的であったが、それは完成度、有限性、その限界を克服することの困難と結びついた激しいいらだちであった。フェリックス・ガタリは、つねに彼の精神病理学的分析の仕事に起因する危機に直面していた。なぜなら、彼が、かつて自分が結婚した女性を治癒させるというとてつもない約束に固執していたからである。と同時に、彼はそういったことに直面していながら、彼の持ち前の全体的理性に対する楽天主義をもち続けてもいた。このようにして、彼はぐったりと潰えたのだ。もうこれ以上できない、この有限性、この否定的限界性は克服不可能だと言いながら、彼が泣いている──私だって泣くことがあったが──のを見たことがある。それは、彼が自分に投げかけた、そして挫折したひとつの挑戦であった。それでも、フェリックスは永遠である。彼こそは、最大限の存在感、喜びを体現し、そして都会に見いだされるいきいきとした精神を奪回するための自在な能力をもち、友人たちが彼に伝える生命力あふれる物事を享受する能力をも最大限にもっていた人物のひとりであると私は思っている。彼は私がかつて知り合った最も素晴らしい人物のひとりである。それから、絶望の時があり、彼は死によって奪い取られてしまった。それは、私たちが述べたこの2つのもの、理性における楽天主義と意志における悲観主義との間のひとつの矛盾なのである。

トニ・ネグリ『未来への帰還:ポスト資本主義への道』(杉村昌昭訳、インパクト出版会)、p.42-44.

ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの『千のプラトー』における少数者への生成

ドゥルーズガタリがこの本を著したのは、80年代の初頭である。彼らは、当時、自動車産業や鉄鋼業など、大量生産(マスプロダクション)の大工場における労働者大衆の危機をつねに敏感に先取りした。彼らは、富の生産と搾取の影響が工場からはみ出して、《少数者への生成》として社会総体のなかにおよんでいることに注目し、私たちが70年代半ばに《社会的労働者》と呼んだもの、すなわち反乱する労働の《周辺的》な形態の出現現象を読み取っている。現象学的分析の視点からは、『千のプラトー』におけるこの現象の社会-政治学的性格付けはこれ以上先には議論を進めていない。けれどもドゥルーズガタリは、こうした現象の発生起源、いわば多数者=多数性の系譜を、いまや姿を消しつつある難しい用語の中で考えたのだと私は思う。彼らは少数者の構成の鋭い分析を通して、以後、生産能力、協業能力、欲望といったものの複数的全体性という方向に意味変化を遂げる多数派の新しい概念を構築するのに貢献した。彼らが示すものは、私にとってはきわめて重要なものと思われる抵抗の契機、過渡の契機である。そしてまさに、彼らは《イタリアの労働運動家》を引用し、自分たちの固有の経験の実践的な参照対象として、古典的賃労働からはみ出る新たな生産的主観性に関するイタリアの理論家の仕事を引き合いに出してもいる。ジルとフェリックスの思考の道筋はこの方向に向かっていると思う。ドゥルーズの最後の仕事、『マルクスの偉大さ』をみれば、そこにもやはり素晴らしい考えが見いだされる。というのは、そこで彼は、《普通名詞》(ある概念を構成する知覚の全体)の定義が体現するようなある認識論的な立場を、認識論的共同体の言語学的構築として表現しようとしているからである。つまり、《普通名詞》の生産過程を存在論的過程へと読み換えることがくわだてられているのである。コミュニズム、それはコミューンに生成する多数者=多数性である。といっても、それはひとつの前提や、ひとつの観念、何か隠された形而上学的なもの、あるいはひとつの統一性といったものがそこにあるということを意味しない。それは一なるものに逆らう共同であり、極限にまでおし進められた反プラトン主義である。それは、思想の発展のなかで早くから登場していた考え、つまりユートピアが必然的に統一性を構成したり、権力の統一と主権の問題を解決するといった類のコミュニズムの考えの裏返しでさえある。ここでは、共同を構成するのは多数者=多数性である。ドゥルーズの未刊の書、『マルクスの偉大さ』で構築されていたコミュニズムの概念とは、私の理解によればこのことなのである。