朝の思索

皆様おはようございます。御元気でしょうか。
朝日新聞の朝刊の広告欄で何冊か本をチェックしました。梶田叡一・溝上信一編『自己の心理学を学ぶ人のために』(世界思想社)、並木浩一・荒井章三編『旧約聖書を学ぶ人のために』(世界思想社)、石川真作・渋谷努・山本須美子編『周縁から照射するEU社会 移民・マイノリティとシティズンシップの人類学』(世界思想社)、片岡義男小西康陽『僕らのヒットパレード』(国書刊行会)、赤坂憲雄『交響する声の記録 赤坂憲雄対話集』(国書刊行会)、バートン・ウルフ『ザ・ヒッピー フラワー・チルドレンの反抗と挫折』(飯田隆昭訳、国書刊行会)、堤未果『政府は必ず嘘をつく アメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること』(角川SSC文庫)。
しょうもないことで疲れている、消耗していると自分で思うけれども、今日も朝から4時間も本を探し続けていましてね。結局、どこをどう探しても出てこなかったんですけれども。ディオゲネス・ ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』(加来彰俊訳、岩波文庫)、これは上中下の3巻なのですが、昨日確かに3冊纏めて書庫(事務所)から店に運んだと記憶しているのに、それがどうしてもないのです。どうしてそれを探そうと思ったかといえば、昨晩深夜寝る前に、偶然の唯物論についてFacebookに書いたけれど、それでエピクロス関係のものを集めようと思ったからです。ストア派エピクロスは下巻に収録されているのです。ただ、そんな些細な小さなことでそんなに落ち込む必要はないんじゃないか、きっとどこかから出てくるだろうし、仮に出てこなくても図書館が家のすぐ近くにあるんだから借りればいいじゃないか、とか思うのですが、それでも、どうしても非常に深く抑鬱状態に陥ってしまうんですね。それで、もともと書くつもりだったことも書けなくなってしまいます。もう随分前から書くつもりでいて結果的に書けないでいることが数多くあり、それも負担というかストレスになっているのですが。一つは、今簡単にいえば、田邊元が中心になって岩波書店の『ヘーゲル全集』を出したとき(多分戦後すぐのことではないかと思いますが)、政治的立場の左右を問わず公平に当時の国内のヘーゲル研究者に声を掛けた、という話です。田邊元は彼がいっていた「種の論理」というのが国家主義や戦争協力だとかいわれ、家庭でも奥さんに随分ひどい暴力を振るっていたのは有名な話で、随分批判も多いけれども、その『ヘーゲル全集』を編んだときには左翼への偏見はなかったということですね。ヘーゲルの『精神哲学』を船山信一という左翼の哲学者が翻訳しており、それは後に岩波文庫にもなっていますが、船山信一は田邊元からその仕事を依頼してもらって助かったといっていますね。彼は後にフォイエルバッハの翻訳とか研究を専門に手掛けたのですが、戦争中は苦労しています。戦前、戦中の左翼の哲学者や知識人は全員ひどい目に遭っているわけですが。正確には哲学者というより社会思想家と呼ぶほうが適切なんでしょうが、「福本イズム」で一世を風靡した福本和夫も何十年も非転向で投獄されており、獄中で看守の目を盗んで密かに書き綴った大量のメモが戦後、出版されていますが、これは非常に面白いものです。戸坂潤、三木清は獄死してしまいました。これは悲劇だと思うけれど、戦争は終わっていたのになにか手続きが遅れて監獄から出られなくて、それで獄死してしまったのです。死因が正確になんだったか忘れましたが、私が読んだ記憶では、二人ともひどい皮膚病で苦しんだと聞いています。監獄が不衛生だからどうしても皮膚病に罹ってしまうというのと、それと閉じ込められている独房に虱が大量にいたんだという話です。それで彼らは全身を掻き毟りながら苦しんで死んでいったそうです。船山信一はそこまで大変なことにはならなかったけれども、大学は放逐されてしまい、生活の必要もあって戦争が終わるまではどうも漁村を転々としていたようです。それで長い間、本当にやりたかった哲学の仕事が全くできなかったので、田邊元からヘーゲルの翻訳をやらないかといわれて非常に喜んだと聞いています。