2006-04-01から1日間の記事一覧

無職或いは芸音ホール代表としての日々

現在は、無職だが、実家店舗部分でフリースペース「芸音ホール」を運営しようと準備中。

フリーター生活

私のフリーター生活は、基本的に月給5万円から多くて7万円で、一日4時間労働であり、病気から回復途上にあった私には丁度良い具合であった。明光義塾での上司はモラロジーを信奉するネオリベの「勝ち組」だった。1年と少し勤めた後、上司が退職すること…

Q-NAM紛争とイラク反戦

Q-NAM紛争(その詳細については『重力03』を参照して欲しい)に際して、NAMの原理の原理主義者として、西部忠吊るし上げ等を行い、最終的にQ代表団やQそのものの誹謗中傷・破壊活動を行う。 NAM解散後、アメリカのイラク攻撃が近づき、美術家の岡崎乾二郎…

NAMとフリーター生活

大学院を出て、讀賣新聞社等を受験するが受からず、自宅にて引きこもりに近い生活を続けていたところ、文芸誌で柄谷行人が資本と国家を揚棄する社会運動NAMを始めると知り、web検索したところホームページがヒットしたので、即座に入会を決める。これこそ、…

大学院

早稲田大学大学院文学研究科に進学。修士課程で、ドゥルーズの超越論的経験論を研究する。とはいえ、語学力等、足らないものが多過ぎて、研究者としては続けていけなかった。指導教官の先生の退官等の事情もあり、修士で大学院を出る。他の大学院に進む等の…

関東へ

中学から私の進学のために一家で関東(千葉県船橋市)に引っ越した。愛犬のチロも一緒だった。中学は七林中学校、高校は津田沼高校だった。大学は早稲田大学第一文学部哲学科に進学。中学の時、初めて男の子(同級生)を好きになる。中2(14歳)で、不登…

出生

1975年、大分県に生まれる。父親はサックス吹き、母親はピアノ弾きだった。生後数年で、父親の病気(結核)・家庭内暴力が悪化、両親は離婚する。母親に引き取られ、その後小学生時代までを大分県で過ごす。

プロフィール

「はてなダイアリー」用にプロフィールを書いたが、没にする予定。 「廃業」した元哲学屋。三流音楽家。無職。(ニート?)

日本自立プロジェクトML宛ての投稿:「みどりのテーブル」

小林一朗さんが「明るい未来計画」を掲げて立候補した時には、一瞬希望を抱いて、小林一朗とみどりのテーブルに投票したのですが、結果は一議席も獲得出来ず、で、現行の選挙制度に問題があるとはいえ、とても落胆した記憶があります。中村敦夫はどう見ても…

「読書会」ML宛ての投稿、二通目

関連情報を送ります。市田良彦さんの、「日本でのマルチチュード出現の兆候は、「不幸なことだが、自殺者の増加かもしれません」という。「自殺は文字通り社会の中から消える行為であり、『自分がどこにも位置を占めていない』という強烈な自意識を感じます」…

「読書会」ML宛ての投稿、一通目

Oさん先日は「あかね」でのワークショップ、ありがとうございました。今後とも、いろいろとよろしくお願いいたします。「失業者生産協働組合」というコンセプトは、鋭いし、今必要なことだと思います。我々が皆、潜在的にか現実的にか、皆失業者であるのだと…