NAMとフリーター生活

大学院を出て、讀賣新聞社等を受験するが受からず、自宅にて引きこもりに近い生活を続けていたところ、文芸誌で柄谷行人が資本と国家を揚棄する社会運動NAMを始めると知り、web検索したところホームページがヒットしたので、即座に入会を決める。これこそ、人生の「私的教師(private teacher)」である柄谷行人からの「呼び掛け」に他ならないと確信し、それに「応答」したのである。NAMでは、メールを書き過ぎて、それが無職故の暇さからくるものだろうと、飛弾五郎さんから紹介されて、埼玉の受験情報を扱う会社進学データシステムにパートタイマーとして入社した。

NAMでは私は、地域系東京の副代表、ジェンダーセクシュアリティ系の連絡責任者、センター事務局の副事務局長等「NAM内官僚」として振る舞う。地域通貨Qが出来てからは、Q普及に邁進した。

911同時自爆事件のショックで、不安障害を発症、職場の人からの勧めもあり、精神科(高根台メンタルクリニック)を受診、今日に至る。