日本自立プロジェクトML宛ての投稿:「みどりのテーブル」

小林一朗さんが「明るい未来計画」を掲げて立候補した時には、一瞬希望を抱いて、小林一朗みどりのテーブルに投票したのですが、結果は一議席も獲得出来ず、で、現行の選挙制度に問題があるとはいえ、とても落胆した記憶があります。中村敦夫はどう見ても正しい主張をしているのに、落ちてしまった。そのことの無念さは忘れられません。かれのイラク戦争反対の毅然とした意志表明は素晴らしいと思っていました。

小林一朗さんのブログ:日本持続可能性社会新聞
http://blogs.dion.ne.jp/p_e_a_c_e/

小林イチロウと明るい未来計画
http://mixi.jp/view_community.pl?id=9049

みどりのテーブル
http://www.greens.gr.jp/

http://mixi.jp/view_community.pl?id=303843

中村敦夫
http://www.monjiro.org/

そうした経緯もあり、パオロ・ヴィルノ等が言うような「非代議的民主主義」により期待を掛けるようになったのは事実です。現状は議会制民主主義「しかない」にせよ、この形式的民主主義の結果を甘受するばかりでは、変革は望めないのではないか。少しずつでも、直接に生(生活)を変えるといったより直接的な方向での民主主義がなければ対抗は難しいのではないか、と考えるようになりました。参加民主主義、ラディカル民主主義、直接民主主義といったものに興味の重点が移っていきました。

議会を変える道として、最近でも「平和への結集」が提案されており、私もそれに賛同していますが、議会政治に介入しそれを変えよう、という方向(だけ)では駄目ではないか、と思い始めています。流行りの概念で言えば、「生政治」が問われ実践されなければならないのであり、自分が生きているその生を内在的に変えるのでなければどんな実践にも意味がない、と思うようになりました。

私が参加しているテロリストは誰?九条の会のような団体でも、大文字の政治、つまり九条改悪阻止のような政治とともに、生政治、身近なところにある実践や政治(例えばフリーター問題)に両方取り組んでいるわけです。その両方の政治がないと駄目なのではないか、と思います。

晩年のガタリエコロジー運動に積極的に取り組んでいたように、私達もエコロジー運動に政治・政党レベルで、そして生政治や主観性の(ミクロ)政治のレベルで取り組んでいかなければならないと思いました。