音の風景

2時間前、深夜3時過ぎに目が醒めたが、それからずっと寝床で考え事をしていた。私は、深夜や早朝の闇が好きである。暗い処にぢっとしてあれこれ思い巡らすのが好きなのである。陽の照った明るい場所は好まないということなのだが、それでも午前中であるとか午後、また真夏なども好きである。太陽の光。陽光が降り注ぐ街の眺め。また、自然、ということも好きである。要するに、季節によって、時間帯によって、天候によって、景色は姿を多様に変えるが、それを眺めて観察するのが好きなのである。ちょっとした道路、商店、家々。植物。樹木。通行人。動物。そういうものを見るのが好きだ。また、人間には五官があるといわれるが、視覚以外にも、よく耳を澄まして「音の風景」を聴いているであろう。そうすると、そこでは、音楽ではなく雑音、静寂が愉しいということになる。そういうものを音楽に取り入れようとしたのは、ジョン・ケージの『ラエロオペラ』だが。音の風景ということでいえば、それは、県道を自動車が走り過ぎる音。人々の話し声。風の音。木の葉のざわめき。などということになるだろうと思う。ケージやバロウズがあれこれ実験してみたが、完全な静寂というものはないそうである。実験的に無音の環境、音を遮断する環境を作ってみたが、それでも、そこでは自分の鼓動や呼吸する息の音が聴こえる。そういう微小なものに注目するとすれば、純粋で絶対的な無音環境はないのである。そうすると、例えば音についてはこうなるだろう。音楽として秩序づけられ構成された音。そうではない雑音(ノイズ)。日常生活の音。さらに、そういうごく普通の一般的な音を遮断してもなお聴こえる音。注意深く知覚のありように気をつけていると、そういうものが聴こえてくるし、聴覚だけではない。視覚、嗅覚、味覚、触覚などもそうである。例えば、私は子供の頃よく熱を出して寝ていたが、風邪やインフルエンザ、扁桃腺炎である。そういうもので毎年1ヶ月くらい寝込んでいたのである。そうすると、退屈なので、部屋の天井をずっと眺めている。天上にはあれこれ染みや模様があるが、そういうものを毎日飽きもせず眺めていたのである。