雑感

日隅一雄『国民が本当の主権者になる5つの方法』(現代書館)、神野直彦・宮本太郎(編)『脱「格差社会」への挑戦』(岩波書店)などをこれから検討する。社会(政策)については総体的、総合的な見方が必要だ、というのが私の意見である。そういう意味で、ヘーゲルのテキストに忠実かどうかは分からないが、ヘーゲル主義的な意見である。それからルソーについて一言いっておけば、ドゥルーズがいうような「公的教授」と「私的思想家」の対立は19-20世紀の現実であり、それより手前のルソーには当て嵌まらないようにみえる。彼は、『人間不平等起源論』、『社会契約論』で市民、「公民」を強く志向するが、他方、「自然人」についての肯定的でクリアなヴィジョンも持っており、社会化・公共化しえない私的な要素が後年、『告白』、『ルソー、ジャン=ジャックを裁く』、『孤独な散歩者の夢想』などの文学として回帰してくる。後者の次元について、「実存」的と形容するならば時代錯誤で的外れだろうが、19-20世紀にそういう難解な思弁として展開されたものの萌芽がルソーには認められると思うのである。そして、どうみても人間というのはそのふたつの要素、志向性を併せ持つものだというしかないだろう。

国民が本当の主権者になるための5つの方法

国民が本当の主権者になるための5つの方法

脱「格差社会」への戦略

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