抛棄する。

『ホーキせよ』、という呼び掛けには、(抛棄する)と内心そっと呟いて応答するが、その抛棄とは、権利とか財産というよりも、もっと根源的な力、それどころか生命の抛棄である。

日本国憲法の九条では、国家の交戦権が否定されているそうだ。この交戦権の否定について、保守派や右派からは、それは国家の自然権の否定だ、という非難が続いている。だが、私はそれでもいいと思う。自滅や自殺にまで至る「平和ボケ」をどこまでも肯定したほうがいい、というのが、私のシニカルな意見である。

同様に個々人のレヴェルでも、生存を肯定するとか生きることはよいなどといっておらず、生命や生存、生活などを端的に抛棄したほうがいい。生きることをやめる方途をあれこれ検討し、発明し、実践していくことのほうが重要だ。国家の次元だけでなく個人の次元でも、自然権とか力を根こそぎに否定していく。それは、緩慢なのか急速なのかは知らないが、まっすぐに死に向かう道なのかもしれない。