自由と民主主義はまだやめないが、資本主義ならもうやめたい。

佐伯啓思の『自由と民主主義をもうやめる』(幻冬舎新書)という本があるが、私はまだ読んでいない。だが、内容はおおよそ察しがつく。自由と民主主義という戦後日本的な価値観、戦後民主主義を否定したくて堪らない保守派など掃いて捨てるほどいるからだ。そこには思想的な問題から社会問題から、政治・経済・文化・軍事などの全部がごたまぜに詰め込まれる場合が多い。

民主主義をやめたいのは保守派の論客だけではない。「最近、私がよく言うのは、いきすぎた資本主義をもう卒業しようよ、ということです。資本主義も、もっと言うと、民主主義も万能じゃなかった。だから、それを卒業して、もっと素晴らしいシステムをつくろうと。」これは、高坂勝さんの発言である(辻信一+ナマケモノ倶楽部『ホーキせよ:ポスト3.11を創る』ナマケモノブックス、p.115)。

1945年以後の民主主義体制、つまり、「日本国」体制そのものが耐用年数が過ぎている、とみなす論客は多いのである。確かに、漠然とした行き詰まり感ならば私も強く感じている。どうして、多数者の決定としての民主主義がみんなの利益より、もっと別のものを帰結してしまうのだろうか。「大衆は騙されている」ということだけでは説明が付かないと思う。

だが、民主主義を卒業するとしても、「もっと素晴らしいシステムをつくろう」というのならば、かつてのチャーチルの、民主主義はどうしようもないが、今あるなかでは最善だ、というシニカルな警句を乗り越えなければならない。具体的に、政治的な決定をどうするのか。幾ら少子化といっても、日本にはまだ莫大な人々が住んでおり、全員で一同に会して話し合うことなど不可能なのである。また、意思疎通の問題だけでなく、様々な仕方でごく人々の人々が利権を囲い込んでいる構造を打ち壊さなければ、もっとましなシステムなど到来しないのである。

自由と民主主義をもうやめる (幻冬舎新書)

自由と民主主義をもうやめる (幻冬舎新書)

ホーキせよ!~ポスト3・11を創る

ホーキせよ!~ポスト3・11を創る