売る・売らないは、私が決める。

良寛がなかなか書いてくれないという話は、当時の越後では有名だった。もともと良寛は亀田朧斎のように代価を受け取って書くことを業とする書家ではない。托鉢の余芸として詩歌を作り墨蹟に認(したた)めたものを、心ある人に布施することから発した徳行であった。良寛の書が評判になり、これに値段がついて売買されるようになると、利殖目的で入手しようとする人が出てきた。良寛はこれを拒否したのである。」(松本一壽『良寛スローライフ』(NHK出版、生活人新書)、p.120)

プロとアマチュア、市場で売られている商品と草の根的な生産物について、あれこれ考えさせる。良寛は和歌も沢山詠んだが、専門的な歌人ではなかったし、歌壇を嫌っていたのである。

そこから、柳宗悦のいう民藝ということも考えるし、さらに、生活詠の短歌、生活綴方運動、文化サークルなどのことも検討せざるを得なくなる。世の中には職業的な知識人、芸術家、文化人ばかりではないのである。