美学の諸問題。消費の組織化。タニマチから消費大衆へ。孤立と協同。

歴史をみれば、古代ギリシャ・ローマにおいて、音楽は宗教的であると共に社会的であった。それは教育的効果、訓育という効果を持つと思われていたのである。つまり、若者を柔弱にする旋法があり、剛毅にする旋法がある、というふうに、プラトンアリストテレスはみなしたのである。それは近代においては受け容れることのできない考え方だ、と思われるのかもしれない。しかしながら、ニーチェの音楽観、芸術観はそういうものである。つまり、生を刺戟し、増大させるかどうか、というのが、彼が芸術に限らず一切を判定する根拠なのだ。そうすると、美をそのものとして純粋に取り出し、観照・鑑賞しようとしてきた没関心的なカント的近代のほうが、歴史的にみれば例外なのではないか、と思うべきである。民芸・工芸その他も、純粋な美である以前に、生活用品として役立つものである。商品ではなくても道具、例えば器なのだ。或いは、箸とか水筒であり、そういうものが生活を美的に彩ってきたのである。

まずヨーロッパからみれば、中世のグレゴリオ聖歌などは勿論、教会音楽である。ルネッサンスの音楽として遺されているものも、宗教と関係があるのではないだろうか。勿論当時にも、宗教とは別に世俗的な音楽があったであろう。だが、記録、楽譜、譜面が遺されていないのだとすれば、現代の我々にそういうものを洞察する手段が何かあるのだろうか。

バッハ、ヘンデルスカルラッティを考慮すれば、彼らはやはりまだ教会と繋がっているが、諸侯や貴族などの宮廷とも関わっているであろう。それは、古典派のハイドンモーツァルトも同じである。ベートーヴェンは、そこで、教会権力にも世俗の政治権力にも依拠せず、大ブルジョアジー、富裕な大市民に依拠しようとした。彼は最初の、ひょっとしたら唯一の近代的な大芸術家である。そしてその後、19世紀から20世紀初頭に掛けてのロマン派、ロマン主義の展開があったが、ショパン、リスト、ラフマニノフは自らの作品を演奏するピアニストであった。詳しく細かいことをいえば、ショパンは少し小さなサロンでの演奏を好み、リストは大きな演奏会で演奏していたそうだし、ラフマニノフは20世紀、録音芸術の初期を代表する大ピアニストであり、彼はピアニストとしての演奏活動が余りにも多忙になったために作曲の量が減ったのである。そしてそういうことは、経済生活と密接な関係があった。ピアニスト以外でも、グスタフ・マーラーリヒャルト・シュトラウスはオーケストラの指揮者だったのである。

ヨーロッパ世界以外に眼を向ければ、古代の日本において、資料・史料はないが、そこにおける音楽が濃厚に宗教的、共同体的なものだったであろうことは想像がつく。我々が日本の伝統とみなすような芸能が成立してきたのは、古代から中世、近世と移ってくるなかにおいてであろう。例えば、『平家物語』を謡う琵琶法師などである。そういうふうにして、天皇、公家などの周りでは雅楽が成立し、民衆側では民謡などが成り立ってきたのであろう。

私がよく知っているものでいえば、例えば、津軽三味線は、明らかに近世の産物、江戸時代の或る時期に生まれたのではないか、と推測できる。そして、それが楽器独奏の芸術として確立されたのは、20世紀において、つまり、成田雲竹の唄伴奏をしていた高橋竹山によってである。高橋竹山は、芸能・芸術としての津軽三味線の大きな転換点に位置している。つまり、乞食のボサマ、東北の極めて貧しい視覚障害者が生活のために従事する賎しい仕事であった三味線を、近代的な芸術にまで高めたのである。そしてそのことは、20世紀的な環境においてのみ可能であった。というのは、高橋竹山は渋谷のジャンジャンに連続出演して大人気になり、その熱狂的なファンのなかに、二代目高橋竹山を襲名した少女がいたのである。東北出身でもなく、極貧でもなく、視覚障害者でもない少女が職業的な津軽三味線奏者になった、というこの昭和の歴史の事実に我々は驚くべきだ。それは、かつては可能ではなかったのである。そして、現代の状況はどうであろうか。それほど無限に大量にいるわけではないが、結構な数の津軽三味線演奏者がいる。吉田兄弟上妻宏光などである。そういう人々が、芸術的に、また、経済生活的に、どういう唯物的条件のもとに可能になっているのか、ということを、よく省察したほうがいい。

そして、高橋竹山以降しか知らない人々は、竹山の演奏が日本の伝統だと思うわけだが、実際には、津軽民謡というものは、尺八なしには、また、唄なしには成り立たなかった。津軽三味線という楽器一本での独奏という近代的なありようを過去に投射すべきではないのである。そして2012年の現在においても、純邦楽、民謡をそのものとして理解するには、楽器独奏ではなく、尺八や唄が加わった綜合的な舞台として考えなければならない。

さて、芸能とか芸術が成り立つ社会的で経済的な条件ということだが、かつての日本にはタニマチという言い方があった。その正確な定義は私は知らないのだが、要するに、芸能・芸術を援助するパトロンということであり、富裕な商人、町人である。特に近世、江戸時代を考えてみれば、そういうものなしに芸能・芸術、或いは文化があり得ただろうか、と思う。松尾芭蕉ですら、彼を慕い援助してくれる多数の武士や町人との関係性なしには存在できなかった。近世に近代的な「個」を読み込むべきではないが、中世、近世と移り変わるにつれて、共同体と個の少し難しくて微妙な関係が出現してきたのである。

私が言いたいのは、芸術家を援助する主体が変わってきた、ということである。現在も一部に富裕層はいるだろうし、彼らが文化に金銭を出すということもあるかもしれない。また、不況、不景気で下火になったが、かつては企業メセナ、企業の文化活動なども積極的に語られ、実行されていた。だが、20世紀以降の社会を考慮すれば、そこにおける中心は、大衆的な消費である。マルクス主義的なプロレタリアートというよりは、もっと漠然とした市民大衆、民衆、群集などを想定すべきなのだろうが、それはベートーヴェン的な大ブルジョアではない。かつての日本のタニマチでもない。演奏会、ライヴに足を運んだり、CDを購入したり、mp3をダウンロードしたりしている、ごく普通で平凡な多数の人々である。市民であり消費者である。

現代の、少なくとも現代日本の芸術家は、そういう消費大衆の消費・購買によって支えられている。その特徴は、タニマチなどと違い、匿名的であり多数、群集的である、ということだ。無意識的といってもいいかもしれない。個別の消費行動によって支払われる金銭はごく少額である。一枚のCDに10万円もの値段はついていない。それは2000円かせいぜい3000円である。そこからレコード会社やアーティストの得る利潤、儲けは一枚一枚のレヴェルではごく僅かである。だから、そういうものが積み重なり、「束」になり、組織化されて、膨大な数を形成しなければならないのだ。そしてその組織化が意識的、自覚的、目的的になされ得るのか、それとも自然に出来上がるものなのかは不明である。ただ、我々が知るのは、現代の資本主義的な広告産業の存在である。そういうものは、我々個々の消費者の主観性、欲望そのものを惹起し形成している。無意識を規定している、といってもいいかもしれない。現代日本の我々が真剣に恐れるべきは、別に精神分析の知ではなく、マーケティングの知である。なぜならば、後者は現実に我々の心理と生に影響を与え、かなりの程度決定してしまっているからである。