美学の回帰

ミシェル・フーコー『同性愛と生存の美学』(増田一夫訳、哲学書房)から出発し、生存の美学、芸術作品としての生というアイディアを検討してみたが、まず、根本的には、こういう考え方はフーコー晩年のカントへの回帰、『啓蒙とは何か』(岩波文庫)の再発見と結び付いているのではないか、というのが、私の仮説である。

それはどういうことなのかといえば、自律性及び自己目的、自己価値化ということである。『啓蒙とは何か』を検討すれば、そこでのカントの議論は政治的な権力、統治権力と「知」の関係を巡る微妙なものである。現代の我々からみれば、少し微温的で物足りなく見えるのかもしれないのだが、カントが重視するのは、思考の自由、及び議論・言論の自由である。行為のレヴェルにおいては、君主、国家、社会体制、既成秩序に従わなければならないのである。

もう少しいえば、カントがそこで称讃しているのは、啓蒙専制君主フリードリッヒ二世である。これほどまでに自由な談義を許してくれる支配者はかつていなかったし現在もいない、というわけである。

どうしてそういうことと美や芸術作品、生が関わるのかといえば、カントが重視するのが、自ら「未成年状態」から脱する、ということだからである。それは、他者、外的な権威に従属するのを止めるということで、そういう他者、外的権威、権力には、何も政治権力、統治権力、例えば皇帝・天皇・君主・大統領などだけではなく、医者なども含まれる。医者が含まれているということが特に重要だ。

要するに、誰か他人に、自分の代理として思考、判断して貰うのではなく、自らそうする、自分の責任でそうするということが、カントのいう意味での「啓蒙」、未成年状態からの脱出の意味の全てである。そして、そういうことは、『純粋理性批判』、『判断力批判』で検討された目的論、合目的性などと結び付いているのではないだろうか。外的な権威の否定と、客観的、対象的な目的を括弧に入れ宙吊りにする営みはパラレルである。自然、自然の美や崇高、有機体(生命、生物)を観察すると、そこに目的それ自体は内在していないが、一定の秩序を譬え主観的にであれ想定、前提しなければならない。主観と客観という対は取り除かれるわけではないが、そこにおいて想像的な和解がある。

『啓蒙とは何か』、啓蒙、未成年状態から脱するということでは自由が問題だが、彼の三批判書において「自由」の取り扱いは難しかったのではないだろうか。『純粋理性批判』では、自然の個々の事象は因果的に連関し系列をなしている。人間(主観)は、叡知界においてその系列を「自ら始める」自由があるが、そのことと物体、物理的・自然的秩序における決定論は関係がない。『実践理性批判』においては、道徳法則、定言命法に自ら従う自由意志が問題だが、それは恣意的なものではないし、ちょっとした自分の好みで他人と違う個人の趣味を実行するとかいうことではなく、むしろ万人と一致する普遍性を志向する。『判断力批判』における自由のステータスは不明だが、構想力(想像力)の遊び、戯れとの関係を考察すべきではないだろうか。

予備的にこういうことを説明しておいたうえで、生存の美学、芸術作品としての生だが、ドゥルーズその他も論じるように、フーコーにおける中期の権力論の困難、袋小路からの一つの模索ではないだろうか。権力諸関係だけを考えれば、そこに出口はなく、人間の自由とか主体性の余地はないのである。一切が必然になるのだ。或るときフーコーはインタヴューに答えて、もし自発性とか自由などをいうとすれば、或る個人を縛り上げたうえで、何が望みか、と問えば、縛めを解いて欲しい、という答えが返ってくるだろう、そういう意味での自発性しかないのだ、という言い方をしている。だが、読者である我々はただそれだけのことで十分だと思うであろうか。

自由、自律、自立、自己目的、自己価値化など様々な言い方をするとしても、どう考えるのかは難しい。まず、形而上学的な意味での自由意志の有無の問題がある。そして、政治的、社会的な文脈での自由の問題があり、ジョン・ロック、ルソーから、ジョン・スチュアート・ミル、20世紀ではバーリンなどによって論じられている。美的な次元の問題、感性とか想像力の快や遊び、戯れの次元はまた別である。そういうふうに考えると、少し問題は錯綜している。

我々は、恐らく、フーコーが考えたように、複雑な権力諸関係の網の目のなかにいるし、いきなりそれを廃棄するとか外部に脱出するというのは極めて困難であるか、或いは端的に不可能である。政治的な革命を志向するとしても、今すぐとか極めて近い将来にというのは難しいはずだ。そうすると「現在」をどうするのかということにあるが、敗北かもしれないが、或る種、主観的な解決しかないのである。それは、カント以降は、美と呼ばれているような次元である。さらに、19世紀のドイツ・ロマン派ではアイロニーとして、20世紀のフロイトにおいてはユーモアとして表明されたようなもので、一種の自己二重化である。

純粋理性批判』に戻って、決定論と自由の関係を考え直せば、我々の主観的な思考は、現象における客観的な因果関係、決定の連鎖に些かも影響を与えない。物理的な過程はそのものとして非情に貫徹するだけである。だが、我々には、少なくともそれを洞察し認識することができる。そして、それさえも何らかの物理的、身体的な決定があるのかもしれないが(現代の脳科学者はそう主張している)、とにもかくにも、意志、意欲して、或る行為の系列を始めることはできるのである。所謂決断とか選択というものである。だが、そこには一種の自己二重化があるのではないか、と思うのは、穿ち過ぎであろうか。つまり、現象界における必然的決定と認識主観によるその洞察、叡知界における「開始」、ということである。

そういうことが、近代的な芸術経験における鑑賞という態度と関係があるのではないか、というのが私の意見である。どんなジャンルのものであれ、芸術に接するというのは、客観的な科学認識ではない。そこにおいて主観的な嗜好、個人的な偏向、美意識、価値観などをゼロにすることは出来ない。例えば、私は今、『ホロヴィッツ・アット・ホーム』を聴いているが、『ホロヴィッツ・アット・ホーム』はそのほかのものではない個別的な作品だし、そしてそれを聴いている、鑑賞している私は私個人であり、他の誰でもない。当たり前のことのようにみえるが、こういうことも近代的な個人とか個体性が確立されていなければあり得ず、それまでは美や文化などといっても共同性であるのが当然で一般的だったのだ。

そういう美、芸術というのは、近代ヨーロッパに起源がある。カント以降とみるべきだ。ヒュームは文芸批評の原理を確立したかったらしいが、彼のテキストだけからそれを窺うことは難しい。だが、私が言いたいのは、そういう美的な次元があるのは、何も近代だけではないし、ヨーロッパだけではない、ということである。

私が念頭に置いているのは、松尾芭蕉であり、さらに、彼が参照している中国の詩人、漢文学である。山本健吉芭蕉全発句』(講談社学術文庫)を読んだが、当たり前だが松尾芭蕉の態度は終始一貫して美的である。客観を排した主観として美に固執しているという意味での美、美学ではない。だが、彼において風流という美意識なり規範が重要であることは確かである。

そして、重要な要素が幾つかあり、それは、松尾芭蕉が仕官の途、栄達の途を断念したということ、そして漂白に終始したということである。それを近代ヨーロッパ以降の意味に取ろうとそれ以外の時代や文化の意味に取ろうと、彼の生存は、普通の意味での社会性とかその規範からはみ出しているのである。仕官することが不可能だということについては、松尾芭蕉が頻りに参照する漢文学だけではなく、元々は『論語』などの孔子がそうだが、彼らの思想とか芸術は、現実の政治的、社会的権力の獲得の断念と結び付いているのである。それは、プラトンの『ゴルギアス』篇でソクラテスが、自分こそアテナイ唯一の真の政治家だと僭称していたことを思い返してもいいと思うが、どうみてもそういうことはあり得ないが、敢えてそうみなすし、他者に向けても主張する、というところに、もしそういうならば、「ソクラテスアイロニー」があったのであろう。そしてそういう態度は別にソクラテスにおいてだけでなく、普遍的にみられるのではないだろうか。

芭蕉全発句』だと、例えばp.120だが、「髭風ヲ吹て暮秋歎ズルハ誰ガ子ゾ」という一句を山本健吉が論評している。ここで暗黙に参照されているのは杜甫であるそうだが、杜甫芭蕉も激しく仕官の道を求めながら容れられず、漂白の詩人として終わったそうである。当たり前だが、杜甫松尾芭蕉も近代人などではないし、ヨーロッパとは関係がない。内面の社会的構成などというような浅はかな議論、理屈でこれを説明できないのだ。

松尾芭蕉を離れて、明治に移るが、正岡子規松尾芭蕉の近世(江戸時代)の神話を破壊したらしい。そして「写生」を主張し、個を中心として短歌や俳句の運動を興したが、20世紀半ば以降その路線が行き詰まっているのではないか、というのが、山本健吉の意見である。そのことの是非を別にしていえば、「写生」は、当たり前だが、客観的、科学的、合理的な認識ではない。それは現実に向き合う一定の美的な態度である。和歌、短歌であれば、五七五七七、俳句であれば、五七五という短詩形文学の制限、定型のなかで、言葉の力で無限、膨大になる現実の事象からほんの一部を切り取り、切り分けるということなのである。

正岡子規の『子規歌集』(岩波文庫)から一首挙げれば、明治31年の「足たたば」連作の冒頭のものである。「足たたば不尽の高嶺のいただきをいかづちなして踏み鳴らさましを」。言うまでもないが、正岡子規は病人であり、寝たきりである。富士山に登山することなど出来ないのだ。その彼がもし足が立ったならば、という歌がこれである。これは風景とか外物を詠んだものではないが、何かの花などの実際の事物を詠む場合も同じであり、無数の現実のなかから特にそれを切り取った、ということが大事なのである。

アメリカ現代詩共同訳詩シリーズ(1)、『ジャック・ケルアック詩集』(池澤夏樹高橋雄一郎社、思潮社)p.164-165には「西洋俳句集より」がある。それを見てみると、次のようなものである。「七月のこの夕べ/ドアの敷居の上に/大きなカエル」、「薬箱の中/老衰で死んでいた/冬のハエ」、「雨の/味/なぜひざまずく?」、「冷蔵庫のドア/蹴とばそうとしてミスったけど/勝手にしまった」。"This July evening, / a large frog / On my door still.", "In my medicine cabinet,/ the winter fly / has died of old age.", "The taste / of rain / - Why kneel?", "Missing a kick / at the icebox door / It closed anyway."

ここに五七五といった言語的な制約、定型が存在していないのは一目瞭然だが、ケルアックなどの欧米人にとっては、こういう現実の切り取り方、視点、態度、こういってよければ美的な態度が問題だったのである。松尾芭蕉正岡子規もそうだが、美的な態度というからといって、審美主義、耽美主義、唯美主義のようなものではない。彼らは外的な物や現実、事実(と彼らがみなしたもの)を詩の言葉に変換するし、そこにおける情緒も派手で過多なもの、大袈裟なものではなく、枯れたもの、淡々としたものである。だがしかし、それは、近代科学のような意味で、客観的、合理的なものとは全く違うのだ。むしろそういうものとして、真に美的であり、美的な生存、実存、態度なのだ、というべきである。「美を友として世を送った人のみが麗しい往生をすることができる。」(岡倉天心=岡倉覚三『茶の本』村岡博訳、岩波文庫、p.86)