人間の快楽

考察を続ければ、性ということだが、性をただの生理的な過程とだけ考える人々は非常に少ない。例えば恋愛感情によって意味付けられたり、時には神秘主義的に意味付けられたりする。性がそういう観念に還元されることはないが、他方、純粋な身体の問題だけでもないのである。

私は小学生の頃、三田村泰助という中国学者が著した『宦官:側近政治の構造』という中公新書が非常に好きで、繰り返し繰り返し読み返していた。内容を完全に暗記するほどに読んだのだが、私に印象が深かったのは、次のことである。宦官といっても、当たり前のことだが、女性を好む人々と少年を好む人々がいたのだが、まず、前者についていえば、宮廷の女官と結婚する場合が多かった。彼らの夫婦生活の中心は、ふたりで一緒に食事をするということである。宦官の愛人は、漢代には「対食」、明代には「菜戸」といわれたのだが、「対食」というのは、端的にふたりでご飯を食べる、という意味である。

宦官の性行為についても歴史記録が遺っているが、中公新書を読み返してみたらそれはなかった。だから、別の文献で読んだのだと思うが、私の記憶では、それは、延々と前戯を繰り返し、やがてオーガズムに到達し、大量の汗を掻いて終了する、というものである。

では、男色というか、少年を好む宦官はどうだったのかといえば、歴史の記録によれば、年長の宦官が若くて美しい年少の宦官を恋人、愛人にすると、彼らの関係は、大浴場で年少の宦官が年長の宦官の背中を流してあげる、というようなものだったそうである。

どうして私が上記のことに興味があるのかといえば、たとえ生殖器を切除するとしても、人間から性の次元を取り去ることはできない、ということを歴史的な事実が教えているからである。生理的にいっても、人間の(ここでは男性を考えるが)性欲は、男性ホルモンを分泌する睾丸、精巣によってだけ規定されているわけではなく、脳によって記憶されている場合も多い。そうすると、去勢によって性欲は消失するはずだが、実際にはそうならないのである。ただ、ひとつ問題は幼年期に去勢された「通貞」といわれた宦官は、最初から性欲がなかったのではないか、ということである。このことについてははっきりとした証拠がないから、疑問を提出するだけに留めておく。

【補足】
私が漠然と想起し連想するのは、もう著者名も題名も細かい内容も忘れた、大昔に読んだ小説である。確かヨーロッパの軍隊が舞台だったと思うが、政治的な権力が人間の愛を屈服させることは出来ない、という短篇である。

それだけではなく、いかに苛酷な状況でも人間の愛であるとか性、ささやかな楽しみ、快楽などは執拗に生き残ると思うのだが、幾つか例をあげておけば、ラテンアメリカマヌエル・プイグの小説『蜘蛛女のキス』とジャン・ジュネが撮った映画(題名は失念)などだが、それらの舞台はいずれも監獄、刑務所である。そういう極限的な状況においても、愛などのような人間の営みは生き残るし、いかなる権力もそれを根絶やしにすることはできないのだ、というのが、私の意見である。

近代の日本、戦中の日本でいえば、愛とか性とは関係がない話なのだが、例えば、戸坂潤と三木清は獄死した。彼らは本当は死ななくてもよかった。なぜならば、戦争は終わっていたからだが、敗戦後何らかの手続きの問題で釈放が遅れ、そうすると、そのうちに監獄で死んだ。私の記憶が正しければ、独房のなかには大量の虱がいて、彼らはそれに非常に悩まされ、皮膚疾患などのせいで死んでいったはずである。

私がいいたいのは福本和夫の事例のほうなのだが、彼も20年投獄されていたが、生き残った。彼には獄中での執筆なども全く許可されていなかったが、何処かで見付けた紙片、巻紙など刑務所のなかで入手できたごく僅かな紙の数々に、非常に細かい字で日々の考察を書き留めていた。そしてそれを隠し持っていたのだが、彼は釈放後、それを獄外に持ち出すことに成功し、後に出版された。こぶし書房から出ている福本の著作集では確か第4巻だったと思うが、そのなかには『窮通の理』のような驚嘆すべきテキストも含まれている。私が思うのは、戸坂や三木のように殺されていく人々もいるが、福本のように生き残り、そして、自らの営みをしぶとく継続することが出来る人々もなかにはいるのだ、ということである。

私自身は怠惰で余り調べていないのだが、ソルジェニーツィン収容所群島』、プリモ・レーヴィ、ジョルジオ・アガンベンの「剥き出しの生」などの考察があるが、ナチススターリン強制収容所を想定してみれば、そこにあるのは極限の生存である。殺されてしまっているわけではないが、そこでは人間性は最低限度のぎりぎりまで還元されてしまっている。

別に諸外国を見なくても、近代の日本がアジア諸国を侵略した場合のことを考えてみても、そういう現地の人々やアメリカ兵捕虜に極めて苛酷な取り扱いをした場合があった。そして、日本兵自身も南方の自然、堪え難いほどの暑さ、食糧不足などのせいで、限界体験へと追いやられた。戦時中のそういう話は無数に残っているはずである。

特に戦争、そしてナチズム、スターリニズムなどの余りにも強大な政治権力の場合などにおいてそうなるが、圧倒的な力、無慈悲の暴力に人間が晒される、という事態である。そこにおいては、殺されていく人々、死んでいく人々も勿論大量にいる。しかしながら、なかには生き残る人々もいる。それは運不運の問題なのだろうか。そうかもしれない。智慧とか生きる意志、意欲などの問題なのだろうか。それもそうかもしれない。

大岡昇平の戦争小説には、文学青年だが合理的に考える主人公と対比されて、田邊元の哲学の信奉者が出てくる。その人物には合理的に考え行動することが出来ない。どういうことかといえば、戦地、南方の島の極限状況では、無駄な動作はやめて生命力、体力を保存、温存しなければ生き残れないのである。だから大岡昇平の主人公はそうしていたが、哲学信奉者にはそれが出来なかった。だから、その人物は、体力を無駄遣いし、すぐに死んだ。他方、大岡の主人公のほうは生き残った。両者の違いは具体的にはどういうところにあるのだろうか、というのが、私の興味関心である。

ただ、生存は素晴らしい、というような抽象的な考察ではなく、現実がどうなのかということをみれば、次のことに気付く。プリモ・レーヴィは、強制収容所体験に触れて、人間であることの恥辱、生き残ったことそのものの恥辱、罪というようなことを語っていたはずだが、そういう状況に追いやられた被害者の心に大きな外傷が残り、生き残ったという事実そのもののせいで自分を責め続ける、という場合があるのである。

強制収容所だけでなく戦争体験においても、兵士として加害者の側だった人々も、現地住民として被害者だった人々も、戦争が終わった後には大きな心の傷が残るのではないだろうか。例えば、沖縄戦はどうだろうか。外国でいえば、イスラエルパレスティナの紛争はどうだろうか。アメリカとアフガニスタンイラクなどの戦争の場合、また、かつてのベトナム戦争の場合はどうだろうか。いずれも、深刻な精神障害に陥る元兵士が大量にいて、社会問題になってきたのだ。

現代日本の我々は別に、強制収容所に入れられていないし、自ら戦争に行っているわけでもないかもしれない。だが、我々が知っているのは、例えば、子供の虐待、或いはいじめなどの場合である。そういう体験を潜り抜けて生き延びてきた人々が、後に、診断名はどうあれ、深刻な精神障害に陥る場合があるが、そういう人々は、そういう体験から生き延びた、生き残ったということそのものに苦しんでいるのである。自己愛ということを考えてみると、過剰な自己愛ということでなくても、或る程度の自己愛、自己肯定は、人間がまともに生きていくうえでは絶対に必要不可欠なものだ、というのは、別に精神医学、精神病理学精神分析学、心理学などの専門家でなくても、誰でも経験から洞察できるのではないだろうか。しかしながら、一定の状況において、その自己愛が根底から破壊される場合があり、そうすると、その回復は不可能である。それが、別に戦争などしていない先進諸国の現代社会においても見受けられる人間の悲劇である。

森谷めぐみさんという方は岡山在住だが、以前、鎌田哲哉さんの『web重力』に短いエッセイを寄稿していた。それを読むと、当時の森谷さんが彼女の地元の運動体の人々と交流して、自分のNAM体験を話しても、聞いて貰えない、ということに苦しんでいたのが分かる。自分の経験には何か普遍的な意味があるはずだ、というのが、彼女の信念であった。

森谷さんは、元々、空閑明大さんやスペースAK、その周辺の関西の人々と非常に親密な関係にあった。だから、空閑さんやスペースAKがNAMから排除されたことに傷付いたのだが、その時点では、やむを得ないことだと自分を納得させていたのである。

その彼女が、2002年のQ-NAM紛争で発言したのは、こういうことになるなら、なんのために空閑さんやスペースAK、その周りの人々は犠牲になったのか、という不条理への根本的な疑問である。それはこういう意味だ。2000年だったと思うが、スペースAKを当時NAM代表だった柄谷行人さんが強権的に排除したのは、空閑さんが独裁者だったからというだけではなく、空閑さん、当時事務局長だった乾口さんなど関西の人々が、根性論的、精神論的であり、合理性がない、ということが理由だった。インターネットなどの技術的な体制を確立すべきだ、という話だったのである。ところが、一定のシステムを構築してみると、今度はそれが不愉快で不満だからという理由で全部ぶっ壊すとしたら、一体何なのか、というような疑問を、森谷さんに限らず人々が抱くとしても、それは実に当たり前のことである。

現実をいえば、2002年に森谷さんの発言が全く無力だったというだけではなく、NAM解散後彼女が自分の体験を誰か他人に語ろうとしても、誰も耳を傾けてくれない、というような絶望的な状況である。そういうことを一体どうしたらいいのだろうか。確かに、僅か3年で瓦解したNAMに客観的な意味など何もないが、森谷さんなどの経験には本当に少しの意味もないのだろうか。私は、そうは思わないが。