shiki koji no shiki

正岡子規が書き遺したものを大別すれば、俳句、短歌、随筆になり、恐らく短歌の革新が最も重要である。勿論、柿喰へば鐘が鳴るなり法隆寺、という彼の俳句のことは誰でも知っているし、重い病いのなかで書かれた「三大随筆」には感銘を受けるが、日本語の文章表現としては短歌が一番重要だったのではないのか、ということで、20世紀でいえば寺山修司のように多面的な仕事をした人も同じである。

正岡子規の短歌は口語体ではなく文語体であり、随筆も同じである。だから、そういう意味では、二葉亭四迷以来小説の領域で繰り広げられてきた実験とは別である(夏目漱石の友人であったのだとしても)。だが、短歌は短歌そのものとして重要である。

そもそも、近代的な短歌は正岡子規によって成立したのではないだろうか。勿論彼一人ということではなく、同時代の数名と共に、ということだが、明治期にそれまでの和歌とは異なる何かが目指された、ということである。

理論と実践、というような近代的な二分法を持ち込めば、正岡子規は『歌よみに與ふる書』という歌論を著し、彼自身が短歌を実作した。伊藤左千夫など沢山の弟子、門人もいた。彼において理論と実践、歌論と作歌がどれほど一致していたのか、ということはともかく、そこにおいて重要なのは、『古今集』と紀貫之の全否定である。

古今集』を否定するということは、それ以降連綿と続いてきた日本の伝統的な美学、美意識を拒否するということである。紀貫之は、『古今集』の「假名序」で日本最初の文学史、文芸批評を展開したが、それは、それまでに存在していたもろもろの歌人の作風の是非を論い、評価するということである。そういうふうに成り立った『古今集』、『新古今集』、そしてその後の和歌というものは、言語的には高度な達成であったはずである。

つまりそれは、素朴に「物」を写す(映す)、ということではなく、既に膨大な伝統、和歌の数々があり、それらを念頭に置き参照しながら書く、ということである。現代思想とかポストモダニズムにかぶれた我々には、正岡子規や明治期のもろもろの歌人よりも、近代以前のそういう伝統のほうがむしろ分かり易いのかもしれないが、しかしながら、そういうことは、我々が江戸時代とかそれ以前に作られた無数の和歌を本当に「味わえる」かどうかとは別のことである。

さて、正岡子規が持ち込んだ革新、切断は、一つには「写生」であり、もう一つは(といっても、前者と切り離せないが)『万葉集』に還る、ということであり、『万葉集』以降としては源実朝の『金槐和歌集』を評価する、ということである。

勿論、万葉の人々が正岡子規が想像したような在り方だったのかどうかは分からないし、『万葉集』がそれほど素朴で、言語、つまり他の作品や観念に媒介されたり、屈折・反省していないのかどうか、ということも疑問なのだが、とにもかくにも、正岡子規が近代短歌を確立するうえで『万葉集』の参照は不可欠だったのである。

それは小説の領域における「言文一致」、自然主義文学、リアリズムと同じに見えるかもしれないが、そういうものにおいて、古代に還ることが必要だったのだろうか。少なくとも、二葉亭四迷が参照したのは同時代のロシア文学だったし、それ以外のいかなる文学者(小説家)にも近世(江戸時代など)を否定するために古代に戻る、という発想はないと私は思うのだが、どうだろうか。

正岡子規の同時代の状況をみれば、今日ほとんど顧みられない、彼が批判したような和歌の数々があった。そして、彼の同時代の歌人として極めて重要なのは、與謝野鉄幹、與謝野晶子である。

正岡子規や與謝野晶子が読み続けられているのに対し、與謝野鉄幹はそれほど広く読まれていないから、歴史とか後世は公平ではないのかもしれないが、與謝野鉄幹を検討すれば、問題が多い。

與謝野鉄幹もまた、近代的な表現としての短歌を確立しようとしたのだし、それまでのような、彼には趣味的にみえた和歌を否定しようとした。しかしながら、與謝野鉄幹の場合、それは愛国主義的な激情、「国士」、「壮士」的なパッションの噴出、奔流となってあらわれる。そういうものが直截に表明され続ける彼の歌集の芸術的な価値は非常に疑問だし、それだけではなく、朝鮮との関係でややこしい問題がある。当時、朝鮮に政治的、軍事的に無理矢理圧力を掛けて強引に「近代化」させようとした一群の日本人がいたが、彼はそのなかの一人だったのである。

與謝野晶子についていえば、彼女は非常に知られているし、その影響は短歌のみならず、日露戦争を批判した『君死に給ふことなかれ』という反戦、というよりも厭戦の自由詩で有名だし、また、『源氏物語』の現代語訳も手掛けている。ところが、知られている割に、彼女の短歌の解読は困難である。それは一つには、彼女が遺した短歌作品が余りにも膨大だからである。もう一つは、特に初期の『みだれ髪』に一読しても意味が了解できない難解な表現が頻出するからである。一読しても、どころか、何度読んでもわけが分からない表現が多過ぎるのである。そしてそれは後年の彼女自身にとっても同じだったようで、彼女は何度も繰り返し『みだれ髪』を改訂しているが、成功しているかどうかは不明である。

與謝野晶子の短歌、特に『みだれ髪』の過度の難解さは特殊だが、それでも、解読が困難であるということは短歌、俳句などの日本の短詩型文学の本質なのではないか、と考えるべきである。

例えば、塚本邦雄が、斎藤茂吉の短歌を詳しく注釈したシリーズがある。それは面白いのだが、塚本邦雄の読み方でいいのかどうか、ということは、最終的には不明である。というのは、合理的に考えてみればいいが、そもそも斎藤茂吉が遺した短歌は、五七五七七、三十一文字である。ところが、塚本邦雄はそれに膨大な解釈を加えるのである。

近代以前から、和歌に解釈を加える日本独特の伝統があったはずで、それは、勿論近代的で科学的な言語学でないことは当たり前だが、我々が普通にイメージするような文芸批評とも違っていた可能性が高い。20世紀においては、塚本邦雄の近代短歌の読み方があるわけだが、塚本邦雄の方法論が本当に妥当な理解に到達するのかどうかは、深く疑問である。