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我々を構成する日本語という言語という条件を検討しますが、まず予備的に考察しておきたいのは、ソシュール以降の言語学が扱う言語と文学が扱う言語が異なることです。

ソシュールには、ランガージュ / ラング / パロールという概念枠組みがあり、記号(シーニュ)はシニフィアン / シニフィエという対で捉えられます。図式的に申し上げれば、ラングにパロールを加えたものが、総体としての言語、ランガージュです。

ソシュールの対象は、我々がごく日常的に使用している言語です。しかも、語られる言葉、話し言葉パロールです。そして、通時態より共時態を重視します。ただ、注意すべきは、それは別に言語の歴史的な変化を無視することとイコールではない、ということです。

例えば、古フランス語から近代的なフランス語になるにつれて、語の形や発音などが変わってきた、といわれており、それもソシュール的な言語学の対象です。ですが、具体的で唯物的なマテリアルの確保が困難である、という理由で、そういう研究は困難です。

それがどうしてなのかは、ちょっと考えてみればいいのですが、19世紀末から20世紀初頭に存在したソシュールの目の前にあったのは、近代的なフランス語という現実だったからです。それ以前のありようのフランス語を話していた話者とかそのパロールを、具体的にどうやって確保するのでしょうか。それは、端的に不可能としかいうことができません。

勿論、言語には、話され、語られたものだけではなく、書かれたものもあります。それはそうなのですが、ソシュール自身が何よりも「パロール」に定位したというのは、歴史的で文献的な事実、言語学における事実です。

我々は現在話されている言語、自分が話し、また、隣人が話している言語ならば理解することができますが、かつてどうであったのか、ということを知る術はありません。過去を知るには、書かれた資料・史料を読むしかありませんが、話されたものと書かれたものが何処か決定的に違うのではないか、と疑う必要があります。

そういうことを前置きしたうえで、言語の条件の検討に入りますが、これは初歩の文学史ですから、科学としての言語学とは違うものです。

明治日本において、決定的に重要だったのは、「言文一致」ですが、そもそも話された言葉と書かれた言葉が一致できるという前提そのものを疑うべきです。それは正岡子規の「写生」、物とか外的現実を言葉が簡単に切り取り写すことができる、という発想と同じですが、とにもかくにも、そういう楽天性が近代的な言語としての日本語が成立する条件だったのです。

言文一致に努力した初期の代表的な人物は二葉亭四迷ですが、ここで注目してみたいのは、彼のアイロニー、及び両義牲です。そもそも「二葉亭四迷」というペンネームが、父親から「くたばってしまえ」と罵倒されたことに由来していますが、それをそのまま筆名にしてしまうところに、彼のセンスを窺うことができます。

二葉亭四迷を触発したのは、当時のロシア文学の読書及び翻訳紹介です。彼はドストエフスキーを読んでいましたが、翻訳したのは別のもの、確かツルゲーネフです。そして彼の日本語革新の影響力は、『浮雲』という実作よりも、翻訳のほうが大きかったといわれています。

そうしますと、そこにあるのは、素朴に「物」を写すというよりは何か別のものです。当時のロシアをヨーロッパとだけ括ることはできないでしょうが、ロシア文学において描かれているような何か、「観念」と言ってもいいのかもしれませんが、そういう何かを当時の日本語で何とか書くことができないか、ということだったはずです。

そういう彼の苦闘は、文学そのもの、言語の革新・改良などに留まらず、「文学は男子一生の仕事にあらず」と考えて、筆を折る、ということになります。ただ、彼の時代にはマルクス主義などありませんし、彼の「政治」というのは、近代の我々が考えるような進歩的なものなどではなく、「壮士」的なもの、ナショナリズム的なものだった、と考えておくべきでしょう。

そういうものが現実にうまくいくはずがありませんし(もし成功していたならば、彼はただの政治家になっていたでしょう)、挫折してしまい、彼は、数十年後に文学に再び戻ってきます。そのときにまた、強烈なアイロニーが発揮されるのです。

当時、自然主義文学が流行していました。それは二葉亭四迷などの先人が苦労して確立した日本語表現をそのまま使って、自然主義文学者にとって「現実」だと思えたものをただひたすら書き続ける、というものでしたが、そういう状況に接して、二葉亭四迷は肯定とも否定ともいえないアイロニカルな戦略を採用します。

彼は、そういう自然主義文学は、牛が涎をただ垂れ流しているだけなのと同じだ、誰にでもできる、と痛烈に批評しました。ところが、彼は、そういうものをただ単に「否定」したわけではありません。なんと、彼自身がそういうことをやり、しかも、『平凡』という実に皮肉な題名を付けたのです。

こういうことは遥か昔のどうでもいいことだ、と思われるかもしれませんが、21世紀の現在にさえ、政治、文学の狭間には、二葉亭四迷のような極めてアイロニカルな人物を幾らでも見出すことができます。例えば、プロレタリア詩人の安里健はどうでしょうか。彼は、一体どうして「スターリン主義者」などを自称しているのでしょうか。既に明治の二葉亭四迷においてそうであったように、我々の現実においては、政治においても文学においても、とんでもない困難と行き詰まりがあるという理由で、二葉亭四迷とか安里健のような複雑に屈折した人物が次々に無数に生み出されざるを得ないのです。話し言葉はともかく、何らかの仕方で書かれ、作品として記録、保存され、継承されてきたかたちでの言葉というものは、そういう高い代償、犠牲においてしか成り立ってこなかったのではないでしょうか。