race, nation

「民族」という規定がそもそも二重です。"race", "nation"とかいいますが、生物学的根拠が想定される場合と、社会的根拠が想定される場合があります。

外国人に日本が乗っ取られる、と妄想する場合、国民、民族、国家などをそれぞれ具体的に考察したほうがいいですね。

まず、生物学的根拠のほうから申し上げれば、「血」ということですが、99%妄想です。

朝まで生テレビ』に西尾幹二が出演した晩がありましたが、彼が外国人労働者を恐れる理由は、日本女性と結婚し、混血の子供が生まれ、日本人の純血性が損なわれるからだそうですが、まともな考え方でしょうかね。

私は日本の古代史に詳しくありませんが、そもそも「日本人」は歴史的にどう成り立ってきたのでしょうかね。天皇がそもそも朝鮮などから渡ってきた可能性もあるのではないでしょうか。

"race"のほうはレイシズム、人種主義、人種差別とも結び付きますが、西尾幹二の「純血性」もそういう妄想です。

往々にして人々は自らの生物学的な身体を構成する「血」について、科学的にはありもしない妄想に耽るのですよ。それは文学ですが、出来の悪い文学です。

日本人だけではなく、例えば「ユダヤ人」を考えてみますと、ややこしい問題で、マルクスからサルトルに至る人々を悩ませてきました。

シェイクスピアの『ヴェニスの商人』に出てくる高利貸のように、ユダヤ人には共通の身体特徴があったかもしれず、そうすると、遺伝的根拠が少しあったでしょう。

ですが、それだけではないですよね。イスラエル建国までのユダヤ人は差別されてきて、金貸しくらいしかまともな職業がなかった、ということが重要です。

そしてユダヤ人のアイデンティティの最大の根拠は、DNAとかではなく、ユダヤ教への信仰でしょう。

そうしますと、現代のイスラエル国家はどうなのか、とか、中東におけるイスラエルパレスティナの関係はどうか、という問題になります。

日本人に戻りますと、別に日本人の同一性、共通性(あるとしてですが)は、神道、仏教、儒教天皇教などではないのではないでしょうかね。

生物学的遺伝、DNAも全くないわけではないでしょうが、歴史的にみれば様々なタイプが混淆してきたのでしょう。

生活様式に注目しても、農耕、稲作が弥生時代以降重要ですが、敗戦後減反政策も進み、農村は荒廃し、消滅寸前です。

我々現代人の多数は、別に農業などに従事していませんし、「日本人」の同一性を空想しても無意味ではないでしょうかね。