『問いただす人』

2000年より前に読んだバークリの経済論について書きたいが、それは東京大学出版会から1971年に翻訳・出版された『問いただす人』というものである。そこでバークリが展開している主張を一言でいえば、アイルランド中央銀行を創って貰いたい、というものである。

当時イングランドには中央銀行があったようだが、アイルランドにはまだなかったようで、バークリはアイルランドの知識人としてそれを憂慮したのである。というのは、銀行も私立、私企業としてのみあり、倒産も多く、経済が混乱していたからだ。

そういうバークリの意見は、「存在するとは知覚されることである」という彼の唯心論哲学の体系とは関係がないし、そういう意味で彼は「実践的」な人だったのではないだろうか。晩年には「タール水」というものに嵌ってしまったのだが、どうも彼はそれが医学的にも有効で、人々を救う、と思い込んだようだが、実際には効能は確かめられないようである。今日でいえばホメオパシーを想定すればいいのではないかと思うが、効果が定かではない民間療法は今も昔も多いわけである。

レーニンの『唯物論と経験批判論』ではマッハ主義、科学者のエルンスト・マッハに影響された当時の知識人・活動家が批判されているが、レーニンはそこで、マッハ主義の起源はバークリであり、マッハ主義はバークリの唯心論の再版であり、現代科学で粉飾しても内容は同一だ、と考えたわけである。本当にそうなのかどうかは、マッハそのものをよく調べなければ分からないのだが、そういうレーニンの立場から窺えるし考えるべきなのは、近代的な、つまり19世紀後半・20世紀以降の唯物論の成り立ちとその前史である。

近代以降唯物論とされてきたようなものは、中世には唯名論、17世紀には経験論、18世紀には感覚論、機械論的唯物論などとして徐々に展開され、19世紀にはマルクスエンゲルスの立場が正統的なものと考えられ、20世紀にはそれをレーニン以降の人々が展開してきたはずである。そうすると、バークリは一応経験論哲学ということになっているのに、どうして、ということになるわけだが、イギリス経験論のなかでもバークリは特殊なのではないだろうか。

ヒュームにおける懐疑論的な契機においては、ひょっとしたら物理学的な知の確実性も疑われるのかもしれないが、それでも、ジョン・ロックデイヴィッド・ヒュームにとってはニュートンの物理学は知の規範であり、ニュートンが物体について遂行し実現したのと同じことを知性、精神、心についてやりたい、というのが、彼らの認識論の成立の動機である。世俗的な人間であるロックとヒュームは、ニュートンを疑うとか否定する契機や理由はなかったはずだが、聖職者であったバークリの場合はそこが違う。

ロックが導入した「観念」という用語を自分なりに発展させながら、バークリは、確か、ニュートンの物理学に論争を挑んでいたはずだが、彼なりの哲学の原理からみれば、そういう自然科学の知識の確実性も疑わしいのではないか、という議論だったと思う。

別に物理学を疑ったからそれが良くないという話でもないのだが、少なくとも、イギリス経験論として一括りにされていても、ロック、バークリ、ヒュームの立場はそれぞれ違うし、それから特に、世俗的で現実的な傾向のロック、ヒュームと、宗教を擁護するバークリではそもそも哲学の動機が異なる、ということに注意したほうがいいであろう。存在するとは知覚されることだ、という意見を徹底すれば、誰も知覚していない出来事は無いのと同じだ、という極論が出てくるが、バークリは、実は、世界の全てを神が見ている、知覚している、という救いを用意している。現代の我々がそういうキリスト教的な発想に同意できるかどうかは、全く別問題なのだが。