about music and sexuality

miyaさんは私のいうことが必要以上に難しい、と書いていたのだが、私自身はそうは思わないが。

もし私のいうことが難しく感じられるとしたら、事柄自体、問題自体が難しいからで、冷たいようだが、安易な解決など存在していないのである。

miyaさんは彼が科学と呼ぶものとは別に美学を考えたいらしいが、別に反対ではない。ただ、私の意見は、どこまでも現実的な条件から出発するのでなければならない、ということである。それは例えば、一人の人間が「全て」を聴くことは物理的に不可能だ、ということである。もし私がパウエルの全録音を聴いたとすれば、その経験を吟味するところしかどんな美学も批評も始まらない。そして、1990年代以降の新しい音楽の数々をそれほど聴いていないし、よく知らないのだとすれば、そういう現実の条件、唯物的な条件を変更することはできないのである。

私の文章が難解だというmiyaさんの苦情は、他者や共同体に開かれていない、という文句に繋がっているのだが、それは致し方がないことである。というのは、私は少しも妥協しないからである。

miyaさんの長大な反駁を読んでも、論旨が分からないのだが、彼がバークリー・メソッドについて言いたいことも理解できないし、私の文章を部分的に掴まえて揚げ足取りばかりしている、というのも、呆れてしまうが、「人間とはそういうものだ」というのが私の考え方である。

miyaさんは、バークリー・メソッドを解説する人々は既に膨大にいるから、その理論や論理を批判的に検討して深めて貰いたい、とか言っているが、私に理解できないのは、私は別にバークリー音楽院に行ったというわけでもなく、そういうことをしなければならない理由もないからである。

miyaさんがこういうことをどのくらい知っているのか分からないが、バークリー・メソッド、というか、ジャズなどのポピュラー音楽でよく使われる記譜法、技術を検討すると、過去のクラシック音楽、バッハ以降19世紀に至るまでの過程で確立されてきた調性についての理論をそのまま流用しただけではないのか、ということがある。例えば、ハ短調をCmなどと略して書くのだし、私はピアノしか知らないが、クラシックのピアノの譜面は二段になっている。つまり、ト音記号で書かれる右手と、ヘ音記号で書かれる左手に分かれているのだが、一般のジャズなどポピュラーの楽譜は一段である。つまり、メロディーにコードネームが付属しているというかたちなのである。

そういうものを批判的に吟味して欲しいというmiyaさんの言い分は私には理解できないが、ただ単に歴史を参照すればいいのであり、そうすると、1950年代から1970年くらいに掛けて、様々なオルナティヴが実行されてきた、ということが分かる。二つだけ挙げれば、マイルス・デイヴィスのモードという考え方とフリー・ジャズである。そして、1958年から半世紀以上経過した現在に至るまでのごく最近の流れを検討してみれば、多くの人々が、フリーではなく一定の調性に沿って、ロマンティックな(こういう漠然とした一般的な括りが妥当かどうか分からないが)演奏をしているのだし、そういう現実を考慮、検討するしかないのだが。

さらにジャズ以外の音楽史も参照すべきで、そうするとそこに観察されるのは、古典派、ロマン派、後期ロマン派と19世紀に近付くにつれてどんどん調性が複雑化してきた、という歴史である。そして、20世紀にはシェーンベルグ以降の現代音楽が存在していた。20世紀の音楽といっても本当に多様であり、一筋縄ではいかないし、単純化することもできない。

クラシックであろうとジャズであろうと、音楽には歴史があるが、歴史があるから、どんどん進歩・進化・発展するということはできない。そういう発展の果てに調性がすっかり解体してしまったのだとしても、演奏する側も聴く側も、感性、「耳」が直ちに変わる、ということはないのである。

一つの可能性として、歴史的な限定とは別箇に、或る種の調性、ロマンティックなものが人間には聴き易いのかもしれない、ということがある。そうすると、音楽史がどうあれ、現実に創り続けられる音楽の大多数は、現代音楽とかフリー・ジャズのようなものでは「ない」、ということになるはずだ。

また、前衛的な音楽を創る、ということと、聴き手が存在しているのかとか、売れるのかという問題もあり、音楽家も生活していかなければならない以上、そういう商業的な次元を無視することはできない。また、純粋な商売というだけの次元でなくても、名前は忘れたが、こういうことがあった。20世紀のヨーロッパのコンサート・ピアニストで結構有名な人だが、彼は趣味で現代音楽の作曲をしていた。ところが、それを自らの演奏会では演奏しなかったどころか、自分が作曲している事実をひた隠しにしていたのである。彼は、古典派、ロマン派を演奏する自分の活動は聴衆に受け容れられても、現代音楽的な作曲は受け容れられない、と思っていたのである。

例えば、現代日本で、山下洋輔は超有名人で、ジャズ・ピアニストといえば、多くの日本人が真っ先に彼のことを思い浮かべると思うのだが、そういう事態は例外的なのではないか、と疑うべきであろう。私は、日本人の大多数が実験的、前衛的な音楽を好むとはどうしても思えないのである。

アメリカにおいて、セシル・テイラーが超有名人だとか、一般の聴衆に広く受け容れられている、というような現実があるのだろうか。それはないはずだ。では、テイラーと山下洋輔の場合どこが違うのかということになるし、大多数の人々は山下洋輔の音楽をよく調べておらず、ごく一般的なイメージを持っているだけなのではないか、と推測したほうがいいと思う。

山下洋輔=ピアノに肘打ち、といった一般的なイメージがあるが、人々は山下洋輔の音楽と板橋文夫の音楽の違いを考慮しないし、山下とほぼ同世代には色々なピアニストがいるのだが、例えば、本田竹広佐藤允彦菊地雅章などがいるが、そういう音楽をよく検討していないのである。それは致し方がないことなのだが、逆に、広く知られている山下洋輔は誤解されているのではないのか、と考えてみたほうがいいと思う。

バークリー・メソッドはクラシックの楽典を引き写し、記号化、簡略化しただけのものだ、と断言していいのかどうかは分からないのだが、ジャズには、例えばブルース、ブルース・コード、ブルース・ノートなどもある。そこから見えてくるのはもう少し複雑な事情である。

例えば、5番目の音だったと思うが、それを少し下げる。それも、一音、半音下げるのではなく、微妙に下げる、というようなことで、だからそれは、ピアノでは表現できない。そしてそういう微妙な表現と、黒人の黒人性が結び付けられることがあるが、白人 / 黒人などの人種、ナショナリティを考慮すると次の難問がある。

それはジャズを含めたアメリカのポピュラー音楽に聴き取られることが多い「黒さ」、ブラックネスが、アフロ・アメリカン、アメリカ黒人にしか妥当しないかもしれず、アフリカの音楽を調べると、その印象は実は「白い」かもしれない、というようなことである。

我々が歴史的、経験的に熟知しているのは、「黒っぽさ」が完璧に「学習可能」だという事実である。それは初期のジョー・ザヴィヌルに見ることができるが、彼は元々ウィーン子であり、ヨーロッパの白人である。ところがそのザヴィヌルは、あっという間に、ほぼ数年で、当時の「ファンキー」を理解・習得してしまい、キャノンボール・アダレイのバンドで「マーシーマーシーマーシー」というファンク・ジャズの代表曲を作曲・演奏したのである。

それから、私はコンサートで何度も聴いたことがあるが、我々の多くはアフリカの音楽そのものをよく知らないのかもしれない。だが、渡辺貞夫の歩みを見てみればいいのだが、彼は、パーカーのビバップから出発し、バークリー音楽院に留学した後音楽性の幅を広げてボサ・ノヴァビートルズ・ナンバーを演奏し、『カリフォルニア・シャワー』でフュージョンを確立し爆発的なセールスを記録したが、その彼が或るとき、アフリカに赴き、アフリカの音楽の影響を深く受けてアルバムを創ったことがある。"Sadao Watanabe"という渡辺貞夫の笑顔のアップがジャケ写のアルバムなのだが、そういうものを聴き、参照して、そこから間接的にアフリカを窺うこともできるのである。

デューク・エリントンの「ジャングル・スタイル」を検討してみれば、エリントンは、ニューヨークの都会っ子である。社会的地位も高く、経済的にも恵まれている。1930年代のアメリカにはまだ人種差別はあったが、それでも、彼は別に19世紀の奴隷ではないし、元々のアフリカというルーツからも完全に切り離されている。「ジャングル・スタイル」、我々がよく知る「キャラヴァン」などで表現されているものというのは、想像され妄想されたアフリカなのである。そういう想像的な次元は以後もずっと続く。ガレスピーの「チュニジアの夜」はどうだろうか。他にも沢山あるだろう。

ナショナリズムについてよくいわれるように、そういうものは想像的に回復され取り返されたものなのである。現在アフリカに存在する音楽が「オリジナル」かどうかまでは分からないが、とにかく、アフリカの音楽とアメリカの音楽、特にアフロ・アメリカンの音楽の雰囲気や気分などは違うのではないか、ということを考慮したほうがいいであろう。

ナショナリズムナショナリティなどが、言語を通じて構成、仮構されるだけではなく、音楽などを通じてもそうである、という可能性がある。近代の日本でいえば、演歌とか歌謡曲を考えてみればいいと思うが、元々「演歌」というのは、自由民権運動と関わりがあり、そういう運動の弁士が、大衆に自分の政治的主張を分かり易く伝えるために音楽を取り入れたのだが、その後少しして、「演歌」の内容は決定的に変質した。それは純粋に音楽的には、ヨーロッパの過去の音楽の技法と理論を少し取り入れたということだし、歌詞の内容としては男女の恋愛を歌うものが大多数になったということである。日本に住む多くの人々の感情が、そういう音楽を通じて触発され形成されてきたのではないか、という歴史的な可能性がある。

演歌・歌謡曲、現在のJ-POPなども含めてだが、今作られている楽曲の大多数が似たりよったりであり、事実上過去の膨大な楽曲からのサンプリングである、という現実がある。いつからそうだったのかは分からないし、最初からそうだったという可能性もあるが、とにかく、現在あるのは過去の表現を使い廻している、というようなプロセスである。それは、一定の難しさの範囲で、調性のなかで、その他、大衆、聴衆に一般的に受容して貰えるための条件を考慮して楽曲を作ると、どうしてもそうなってしまうということであり、そこでは「新しさ」は不可能なのである。だからといって、いきなり現代音楽、無調とか、フリーになれば、「新しく」なるのかというと、そういう問題でもないが、とにかく現在の商業的な制約のもとで可能なことが著しく限られているようだ、ということだけはどうみても事実である。そして最後に一言だけいえば、特に若い人々だが、彼らの感情や主観性は、そういうふうに粗製濫造される商品によって媒介、触発され、成り立っているのである。例えば、彼らの参照は「浜崎あゆみ」などなのだし、そのことを教養主義的にあれこれ言っても致し方がないであろう。

例えば私は、カラオケ教室を経営しているが、演歌にも新曲、新譜というものがある。それを生徒が持ってくるから、検討してみるのだが、毎度毎度、既視感に襲われる。どれもこれも、何処かで聴いたことがある音楽ばかりなのだ。別に盗作というわけではなくて、現在の条件では、どうしてもそうなってしまう、ということなのである。

ただまあ、一言いっておけば、そういうなかにも、たまにいい曲があるし、それがヒットしたりする場合もある。誰でも知っている例を挙げれば、坂本冬実の「また君に恋してる」などである。

ヒット曲、名曲が生まれる条件は色々とあるだろうが、商業主義や市場を問題にする音楽社会学だけでは、その謎を解くことはできない。例えば、美空ひばりの「川の流れのように」に独特の何かがあるとすれば、それはどういうものなのか、ということを、社会学的な分析だけで解明することは不可能であろう。

音楽に限らず美の規範、美意識などの変異を考察したほうがいいと思う。例えば、先程、プラトンは『パイドロス』で少年の美を問題にしたと申し上げたが、プラトン少年愛と現代の我々が考える同性愛が違うというのは、フーコーや彼が参照するドーヴァー(『古代ギリシアの同性愛』)などを読まなくても明らかだと思うが、もう少し内容に立ち入る必要がある。

アテナイにおいては、当時の一定の条件のなかで少年愛が成立していた。例えば、自由市民とか、年齢の違いに基づく「教育」として少年愛が考えられていた、とかである。もし奴隷の少年なら、彼はただ単に肉体を消費され享楽されてしまっただけで、彼自身の自由などは少しも問題にされなかったと思うが、自由人同士、市民同士の関係であれば、そこが違った、ということである。

フーコーやドーヴァーなどを参照して分かるのは、そういう少年愛の実践が、当時の直接民主主義的な政治体制、そして、「対等」であることを理念とする関係性などと密接に結び付いていたことが分かる。少年と彼を愛する年長者、「念者」との関係を考えてみると、色々と制約、条件があったのである。例えば、フーコー、ドーヴァーを読んでそう言っていたのだと思うが、昔浅田彰が言及していたが、古代ギリシアアテナイの性的な実践においては、少年の側は快楽を感じてはいけない、とされていたそうで、勿論現実にはそういうことはなかったとしても、規範としてはそうだった、ということである。

もう一つは、直接民主主義的な政治への市民としての参加、という問題もある。少年もやがて大人になり、都市国家の政治に関わっていくわけだが、若い頃他の男性に従属していたとか、或いは、売春をしていた、という事実が暴かれたり、事実でなくてもそういう噂を立てられてみんなが信じてしまえば、政治的に失脚してしまう、ということがあったようである。

フーコーなどの論点は、古代世界においては、同性愛 / 異性愛という概念の対ではなく、能動 / 受動という対が問題だった、ということなのだが、そうすると、少し難しい問題が生じてくる。少年と念者の間には、恋愛関係や性的な関係があっただろうが、少年が念者に従属する、ということではいけなかったし、もしそうであれば、政治的な権利、市民としての権利を(能動ではなく受動に陥ったという理由で)喪うことになってしまった。

廻り道をしたが、私が最初、言うつもりだったのは、美意識が古代と現代で違う、ということである。アテナイでは、美の規範は少年であり、それも、髭が生えていないような年齢の少年であった。現代の同性愛における美意識や性的な好みは多種多様だが、一つ確かにいえるのは、そういう少年愛的なものだけが美の規範ではない、という事実である。

古代ギリシアだけではなく、例えば、近世、江戸時代の日本でも、同性愛的な、或いは男色の美の規範は当時少年だったのではないか、と推測できるが、次のような歴史的な経緯を考察してみたらどうだろうか。歌舞伎が生まれると、最初は女性が演じていたが、売春など風俗を紊乱するという理由で禁止された。そうすると、若衆歌舞伎というかたちで少年が演じるようになったが、その彼らも性的な対象になったし、また売春などをしたので、それも禁じられた。そして最終的に、前髪を剃り落とした成年の男達によって演じられる、という形態になった。そういう男達、役者達は性の対象にならなかったのかどうか、は分からないのだが、当時、女性だけではなく、基準としては前髪がある、剃っていない、ということだが、少年も性的な対象と見られていた、ということは推察できると思う。

古代ギリシアアテナイを考えてみると、当時には、近代の我々にとっての「人格」、「自由」などはなかったはずだが、そうはいっても、自由市民と奴隷の区別はあった。推察してみると、奴隷の人々は、女性であれ少年であれ、主人、奴隷所有者の恣意で、肉体を消費され享楽されていたのではないか、と思われる。そういうことは当時、広く行われていたはずだが、問題にされてきたのは、自由人同士の困難な関係性のほうである。

そういうことから私が考えたのは、現代社会の問題性である。例えば、日本人男性がアジア諸国に買春ツアーに繰り出す場合がよくあり、倫理的に非難されているが、その対象は女性であったり少年であったりする。そしてそういう関係性は、純粋に貨幣、金銭を介した売る / 買うというものである。

私は別に、そういうことが道徳的に善いか悪いかを言いたいわけではないのだが、古代人が奴隷との関係だけで満足できなかったように、現代人の多くも買春ツアーだけでは満足できないのではないだろうか、ということである。

何もフィリピンとかタイまで行かなくても、新宿二丁目には売り専バーがあるが、ドキュメンタリーの類いを参照すると、その客達というのは、ビジネスマンなどとして働いていて、故に少し金銭ならあるが、しかし時間がないし、一々恋愛しているような暇がない、余裕がない、といったタイプの人々である。だから彼らは少年を金銭で買うわけだが、ただそれだけの関係で満足できるのだろうか、ということである。セックス・ワークの是非については議論があり、そういう商売をする人々も個人の自由であり、人権ではないか、という意見があるし、それはそうだと思うが、売る側も買う側も、貨幣による関係だけでは最終的に満足できない可能性もあるのである。

金銭関係に還元されない「恋愛」、性に還元されない「愛情」などは、プラトンにおける二重性、感覚的な快に還元されない「美」を想起させるし、それらは、イデオロギーとまでは言わないが、想像的な次元である可能性がある。

例えば、結婚を考慮してみても、現在の日本がどうかは分からないが、かつては、自分だけでは暮らしていくことができないという理由で結婚を選択していた女性が多かったはずだし、そこには、事実上従属関係があったはずである。それが全てではないのだとしても、経済的な利害が関わっていたわけである。

身体的、生理的なレヴェルを考えてみると、女性の身体の構造のことはよく知らないが、男性の身体についていえば、性的な欲望、欲求が高まる場合があり、それは、一定の性的な行為の結果、射精に到達すると消滅する。それはただ単に生理的な過程だから、排泄と同じだが、人間の性的な行為とか、さらには恋愛も含めたそれが、生理的な過程、ただの自然、生物などに還元されることはないであろう。

よくロマンティック・ラヴとか情熱的な恋愛などが、近代のイデオロギーなのだ、という意見を耳にするし、実際にそうだろうとは思うが、では、近代以前の人々が、純粋に生理的な欲求という理由だけでセックスをし、経済的な動機だけで夫婦関係や家族などを創っていたのかどうかは、もう少し検討してみたほうがいいような気がする。