about sexuality

記憶を辿ってみたのだが、私は、熱心にポルノ画像を蒐集する趣味はない。インターネットには無数の静止画、動画が転がっているだろうが、熱心に集めたことはないのである。その昔、最初にパソコンを購入した1998年頃のことだと思うが、outlook expressというメーラーに当時付属していた、ニュース・グループというものに非常に驚いた記憶がある。というのは、ほんのちょっと操作しただけで、あっという間に、大量の無修正の同性愛のセックスの画像が入ってきたからである。そのことにはびっくりしたが、しかしながら、その後、そのパソコンの機械はクラッシュしてしまった。パソコンを買い換えたが、そうすると、もうニュース・グループとかはなく、そうだとすると、あれこれ検索して地球の裏側のウェッブサイトまでエロ画像を漁りに行く元気は私にはなかった。

私はポルノのヴィデオ、DVDを購入したことも視聴したこともない。大学2年生の頃のことだが、大学のサークル、文学研究会の一年後輩の井本君などと新宿二丁目のルミエールに遊びに行ったが、そのとき私が購入したのは、どういうわけか、性転換手術のドキュメンタリーヴィデオであった。私はそれを1回か2回観たのだが、井本君がちょっと好奇心があるから貸してくれ、と言ってきて、貸したのだが、井本君は操作を間違えてそのヴィデオをぶっ壊してしまった。

思い出すのは、男性同性愛に限らず大量の資料を遥か昔、子供時代、小学生の頃から延々と調べ続けてきたということで、例えば10歳かそれ以前の段階で私が調べていたのは、カルーセル麻紀であった。彼女はモロッコで性転換手術(性別再適合手術)を受けたが、その前後に吉行淳之介と二度対談しており、私はそれをよく調べたのである。彼女に興味を持ったのは、最初は新聞記事で見掛けたからであった。確か夕刊だったと思うが、その記事には彼女の若い頃の写真と共にインタヴューが載っており、それが美しい印象だったから、興味関心を抱いたというわけである。

2Fのパソコンは、ご隠居さんというペンネームの、全国「精神病」者集団で知り合った方から無償で頂いたものなのだが、何しろただだから、ぼろであり、すぐに凍るが、それでも1Fの機械よりも使い易い。1Fのノートパソコンのほうが高い機械だが、電源ボタンを押してから使えるようになるまで1時間以上も掛かるから、本当にうんざりで厭になってしまう。現在は手書きでノートなどに書かず、全部、キーボードで打つので、パソコンは第二の身体というか身体の延長、一部のようなものであり、それが不自由なのは非常に苛立たしいことである。だから「もう買い換えよう」という会話を延々と家族でしているが、しかしながら、現実に購買行動を起こすことは決してないまま1年以上が経過してしまった、というようなことである。

ポルノ画像を集めないというのは、私が性に淡白だからではなく、写真を見ても致し方がないと思うし、それにかつてのニュース・グループはともかく、特に海外のポルノのサイトには有料部分に誘導したりするような悪意的なものが多いという情報を得ているからである。そこまで危険を冒さなければならないようなものだとは私には思えないのである。

昔の記憶だが、1980年代の終わりである。千葉県船橋市の七林中学校というところに私は通っていたのだが、同級生にゲイの少年がいたが、彼は不良グループからいじめられていただけではなく、兄から深刻な家庭内暴力を受けていた。そして、同級生にはそういう人々が結構いた。中学校を卒業して以降、そのゲイの少年と再会する機会は二度となかったのだが、大学生か大学院生の頃だったと思うが、気紛れにインターネットで検索して彼のことを少し調べてみたことがある。そうすると、彼が東京理科大学に進学し、登山のサークルに入った、というところまでは分かった。その大学の登山サークルのウェッブサイトがあって、そこのなかの写真に彼の姿があった。その写真のなかの大学生になった彼の姿は、中学生の頃とほとんど変わっていなかったので、私は懐かしさを覚えた。だが、大学を出てから彼がどうなったのか、何処にいるのか、というようなことは、全く判明しなかった。

私が言いたかったのは、性的な魅力とか美などは、画像、写真のような二次元の媒体では表現できない雰囲気とか匂いのようなものとしてもあらわれるのではないのか、ということである。その少年は美しかったけれども、彼の魅力はそれだけではなく、声や話し方でもあり、また、何処から由来するのか分析することができない不思議な体臭でもあった。そういうものをフェロモンというのかどうかは私には分からない。

大分市から船橋市に移り住み、中学校に初めて登校してみたのだが、そのとき彼と出会った。彼の喋り方は、所謂オネエ言葉だったが、13歳の頃の私にはその知識・概念がなく、当惑して、歌舞伎役者の家の子供なのか、と間抜けな感想を漏らしたことを、非常によく覚えている。

私の考え方は、13歳のときにその少年と出会ったが、告白したり恋愛する機会がないまま学校を卒業してしまい、その後会う機会がなかったとすると、そういう機会は二度と訪れない、というものである。実際、37歳の現在に至るまでなかったのである。大学院生の頃だったと思うが、津田沼に当時住んでいた結構美しい少年(といっても、大学生か専門学校生だったと思う)と会ったことがあるのだが、そのときの経験は苦々しいものであった。というのは、彼の部屋で彼と会話すると、彼は美しいから、多数の男達から求められ、別に愛撫されても全く何も感じないのだ、ということだった。そして、金銭を要求してきたのである。私は支払わなかったが、そうすると、その彼と二度と会うことはなかった。

浅草の三社祭を見物し、その後、上野から新宿へと廻り、駅で大量の群集を長時間観察して考えてみたのだが、自然は数限りない美を産み出し続ける、と思った。新宿駅を歩いている通行人を見れば、なかには若くて美しい青少年も沢山いるし、新宿という土地柄、その一定の割合は同性愛者であったりバイセクシュアルなのではないか、と私は推測したが、さらに推論を進めて、現在少年である人々も、やがて歳を取り、成熟した大人の男になっていく、という現実をよく認識してみた。また、そういうふうになれば、また新しい世代の人々が10代の終わりという微妙な年頃に差し掛かり、やはりその一定数は非常に美しく魅力的であるに違いない、というふうにも推測してみた。そういうふうにして無限に続くのである。

私が考えたのは、何も自然という要因だけではなく、社会とか人為的な要因でもある。というのは、私にはその具体的な理由の個別詳細までは分からないのだが、同性愛的な少年のなかには、非常に中性的な、或いは女性的な美しさを称えている人々が一定の割合でいるが、それは彼らの生理的な理由、例えば性ホルモンによってそうなったのかもしれないし、彼らが個人の努力で(といってもどういう方法があり得るのか私は知らないのだが)それを実現しているのかもしれないのだが、とにかく、驚くほど美しい人々が大量におり、未来永劫存在し生成し続けるに違いない、ということである。

私がセクシュアリティについての理論的な論争、例えば本質主義構成主義の論争について疑問なのは、そういうものはそういう経験的で感性的な現実を少しも説明しないからである。私が上述のように観察した事態は、どうしてそういうふうになっているのか、ということを、そういう理論の数々は全く何も教えてくれないのである。私としても彼ら理論家よりも優れた仮説、合理的な仮説があるわけではないのだが、そこには自然の産出性、つまり、次々に美しい個体、美しい身体を産み出し続けるという産出性と、人為的で社会的な要因が複雑に絡まり合っているに違いない、というくらいは推察したのである。

それはそうと、私が言いたかったのはこういうことである。今述べたことから、私は、何も焦らなくてもいいのかもしれない、と一旦は考えてみたのである。というのは、将来においても幾らでも無限に美しい少年がいるはずなのだから、自分と気が合う人々が現れるまで気長に待てばいい、という考え方である。ただ、そうはいっても、そういうことを空想しているうちに、生涯が無駄に終わってしまうのだ、というどうしようもない事実も、認識しないわけにはいかないのである。