"association"を考える

NAMは"associationism"を標榜していたわけだが、日本では、「連合主義」と訳されていた。が、「連合主義」の語感が古いという理由で、「アソシエーショニズム」とカナ書きされていたのである。それはどうでもいいことだが、"association"を根本に据える立場、"associationism", "associationisme"をほんの少し検討してみたい。

"association"が一般の思想史、また社会思想史に登場したのがいつなのかははっきり分からないが、まず、17-18世紀のイギリスにおいて、ジョン・ロックデイヴィッド・ヒュームの認識論にそれを見出すことができる。"association of ideas"というかたちだが、これは「観念連合」と訳される。または、「連想」だろうか。そして、イギリス経験論者の認識論から出てきた心理学を連合主義心理学、連想心理学などということもある。

この場合の"association"は、イギリス経験論は要素還元主義なので、ロックの場合"idea"、ヒュームの場合"impression"と"idea"ということになるが、心とか知性を構成する最も個々の要素までバラバラにしてから理解しようとするので、そうすると、我々が経験しているような全体、総体としての心は、その個々の観念・印象などが纏められたものとして捉えられなければならない。そこで持ち出されるのが"association"である。

ロックとヒュームとで捉え方が少し違うのも重要である。ロックの『人間知性論』では"association"は「気の狂い」として否定的に評価されていた。というのは、もろもろの観念を心が連想などによって結び付けても、現実とまるで違う恣意的なものである場合が多いからである。ヒュームの場合、"association"の評価は肯定的だが、その場合、信念・信憑、習慣、慣習、黙約(黙諾)、想像力などとの関係が重要である。ヒュームの基本的な考え方は、ただの感覚的な所与を超え出る働きであるところの想像力、想像作用によって、ばらばらな印象及び観念が結び付けられて観念連合が生じる。そして、認識や行為の繰り返し、反復を通じて習慣が形成される。そこにおいて重要なのは、ロックがいうような「真知(knowledge)」ではなく、「信」である。そうはいっても、その「信」を何が支えるのかまるで不明なので、そのことでヒューム本人は深刻な不安や懐疑に陥るのである。彼が観念連合をただの「気の狂い」とは考えなかったとしても、それはやはり主観的なものでしかなく、事物の側の必然的連結である保証は全く何もなかったからであり、実は、その確信的な問題はカントの『純粋理性批判』以降も引き継がれ、少しも解決されていない。因果性を「範疇」の一つと考えてみるとしても、そういうふうに主観の「投げ入れ」を通じて外界を認識してみても、だから、本当に事物の側に対象的に必然的な連結があるのかどうか、全くわけがわからないからである。そのことは広くいえば自然の斉一性、規則性、統一性などの問題であり、また、帰納法帰納判断の正当化、また、アブダクション(仮説演繹法)の問題でもある。

ロック、ヒュームは知、科学性の規範としてニュートン物理学を参照していたが、そうすると、重力の法則に近いものを心、人間知性において見出したかったということなのだが、観念連合、連想がそれに当たるのかどうかは不明である。林檎が木から落ちるというのと同じような関係が、結び付けられる観念と観念の間にあるのかどうかは不明だからである。もし、観念と観念とを結び付ける力が、重力のように客観的なものであるならば、観念連合は、ロックがそう考えたような、「気の狂い」などではないはずである。

こういう思想史の話と、社会思想としての"association", "associationism", "associationisme"は無関係ではないかと思われるだろうし、実際無関係だが、背景説明として我慢していただきたい。直接NAMの成立に関係している"association"は、歴史においては、プルードンにおいて現れると思う。NAMは、まるで現実的ではなかったとしても、考え方の内容からみれば、プルードン主義だったと見るべきである。

プルードンにとっての"association"は、勿論、イギリス経験論者達とは異なり、もはや「観念連合」、「連想」ではない。それは、政治的、経済的な人々に結び付きを意味している。その内容を簡単にみれば、政治的には、プルードンのいう「連合」は、人々の具体的で現実的な「契約」によって成立し、平等主義的且つ分権的である。経済的には、「労働者合資会社」のようなものを意味している。我々にとっての地域通貨に似たものとの関わりとしては、彼は、政治家・活動家として、「人民銀行」というアイディアを考え実行しようとしたが、時のフランス政府から弾圧され潰された。だから、「人民銀行」の具体的な中身の詳細、そしてもし実現していたらどうだったのか、ということは、我々には分からない。

ここで考えたほうがいいのは、プルードン以降NAMに至る社会思想としての"association"にしても、イギリス経験論の"association"がそうだったように、そこにおける人々の関係性、結び付きは恣意的で、何の客観的な根拠も合理性もない「気の狂い」のようなものなのではないのか、と疑う必要がある。マルクスエンゲルスであれば、社会がブルジョアジープロレタリアートという二大階級に分かれていく傾向を想定し、そして、彼ら自身はそういう表現を用いていないのだとしても、ルカーチなどの20世紀のマルクス主義者は「階級意識」を重視したわけである。プロレタリアート(勿論それだけではなく、農民、ルンペン・プロレタリアート、さらに独立小生産者なども当然存在しているが)という集合は、別に恣意的なものではなく、現実の生産諸関係、経済的な制度に存在根拠、成立根拠がある。階級「意識」を考えるとしても、それは、頭のなかだけにあるようなもの、観念的に捏造したものではなく、唯物的な条件によって出来上がってくるようなものであるはずなのである。

私が言いたいのは、プルードン主義そのもの、その21世紀ヴァージョンであるNAMにおいては、メンバーの結び付き、"association"などは恣意的なものでしかないのではないのか、ということである。そこには、マルクス主義が想定する階級の利害、共通の利害関心などは全く何もないのである。NAMでいえば、そこにあったのは、せいぜい、「柄谷行人の著作の愛読者」であるというようなどうでもいい共通性だけである。そういうものから出て来る"association"などしょうもないのではないか、とまず疑うべきである。

経済的にいっても、"association"を生産者協同組合、消費協同組合(生協)、地域通貨フェアトレードなどと具体的に考えていくのだとしても、そういう仕方で商品流通、商品(地域通貨の理論の表現では、モノ・サーヴィスというが)交換などをどこまで編成していけるのか不明である。イギリス経験論で観念の組織化が問題であったように、NAMの"associationism"では商品、というよりも、モノ・サーヴィス、「財」(近代経済学は一般的にこのエレメントに定位すると思うが)の組織化が問題だったのだとしても、そういう売られるモノをどう合理的に編成・組織化できるのか、消費(買い)の側はどうなのかというのは、一筋縄ではいかない。

政治的、社会的、というか、組織編成においても、プルードン自身の社会構想と一致するかどうかは分からないが、NAMはプルードン主義に似た"associationism"だった。つまり、一つの大きな中央組織があるのではなく、NAM○○とか、○○系(この用語は、余りにもダサいし酷いのではないか、と、当時、稲葉振一郎とか山形浩生などNAMを批判的に冷ややかに観察していた人々の間では非常に評判が悪かった。実際、私もダサいしどうしようもなかったと思う)など個々の小さく分権的なグループがまずあり、それが緩やかに連携してネットワークを創る、というような発想である。勿論それが上手くいくのかどうかは、別問題である。

NAMが2002年末から2003年初頭に掛けて深刻に行き詰まり、解散した時、柄谷行人はいきなり"FA", "Free Associations"というアイディアを提起して、人々を落胆、幻滅させた。"FA"とは、もうどんなものであれ中央機関など要らないから、個別に団体を作ってほんの少し横の連絡を作るだけでいいし、フロイト精神分析がいうような意味での「自由連想」のようなイメージでやればいいのだ、という楽観論である。しかしながら勿論、NAM末期柄谷行人の我儘に振り回されて非常に厭な思いをした人々が、何か社会的な運動をする団体を作って"FA"に参加してみようなどと思うはずがなく、彼が作った"FA"には全く誰も参加せず、頓挫してしまった。それが歴史の現実である。くだらない思い付きなどが勝利するはずがないのだ。